第2話 幼馴染の勇者
王都の石畳は、朝の光を均等に反射していた。
東門まで、まだ距離がある。市場の路地を抜けながら、カイトは頭の中で選択肢を整理していた。手持ちの情報、使えるスキル、移動できる方向。感情を後回しにするのは、コンサルタントとして体に染みついた習慣だ。問題が積み上がっているときほど、順番に片づけるしかない。
「カイトー」
背後から声。
振り返らなくてもわかった。この呼ばれ方をするのは、この世界に一人しかいない。
「シグ」
「待ってたんだよ。城門のとこで」
足音が近づいてきて、隣に並んだ。シグは額に汗をかいていた。走ってきたらしい。
聖剣が腰に下がっている。鞘は白く輝き、革帯の金具は新品だ。鎧の胸当てには王家の紋章が入り、ブーツは底が厚く、旅用の高級品だとひと目でわかる。転移して三日でここまで揃えたのか、と思った。
「見送りに来てやったんだぜ」
「そうか」
「冷たいなあ。幼馴染じゃん」
「そうだな」
カイトは歩調を変えなかった。シグが合わせてくる。
「ま、正直しょうがないよ。魔力ゼロじゃな。俺がいくら口添えしても、覆せる話じゃないし」
「頼んでいない」
「え、頼んでないけどさ、一応言いに行ったんだよ、俺。侍従に。でもあの王子が聞く気ないんだよね、最初から。俺にも何とかできなかったわ」
カイトは返事をしなかった。
言いに行った、という部分が本当かどうかは確認しようがない。確認する意味もない。シグは昔からこういう男だった。良く言えば気遣いができる。正確に言えば、自分が「良い人間だ」と思われることに熱心だ。
「お前さ、これからどうすんの?」
「東に行く」
「東って、魔王領じゃん。まじで?」
「向こうしかない」
「いやいや、さすがに危なくない? 俺みたいな戦闘力ないんだし」
カイトは少し考えてから答えた。
「捕まったら交渉する」
「……何それ」
「持ってるものを使うしかない」
シグは呆れた顔をした。それからすぐに切り替えて、新しい話題を出す。昔からこのパターンだ。
「そういえばさ、この聖剣すごいぞ。王国から支給されたんだけど、鑑定士に聞いたら最上位の魔力付与が六種類入ってるって。ポーションも三等級を月二十本の支給で、馬も専用のが――」
カイトは無意識に【資産鑑定】を発動させた。
聖剣:魔力付与六種、王家工房製。現在の市場価値、約24万ゴールド。
鎧一式:同工房製。消耗品含む維持費、月3万ゴールド換算。
ポーション(三等級×20本):月換算、約8万ゴールド。
馬(専用):調教・飼育費込みで月1万2千ゴールド。
ざっと月12万ゴールド超。
先ほど【経理】で見た王国の財政状況を思い出す。純度60%の通貨、年率30%のインフレ、国家予算の三倍の債務超過。その財政で、これだけの予算を一人の勇者に投じている。費用対効果の計算を誰もしていない組織の典型だ。
「……お前の装備、全部王国持ちか」
「そうそう。この世界、魔王倒してくれるなら何でも出すって感じだよ。俺向きじゃん」
「そうだな」
「お前も魔力あったら一緒に来れたのにな。惜しかったよ、まじで」
惜しかった、という言葉の意味をカイトは一秒だけ考えた。
シグが自分を「惜しい」と思っているのは、おそらく本当だ。ただしそれは友人を心配するという意味ではなく、「同じ立場で競いたかった」という意味だ。昔から変わらない。学生の頃も、同じ会社に入ってからも、シグはずっとカイトを「超えるべき相手」として見ていた。
カイトはそれを嫌っていた。正確には、疲れていた。
「まあ、お前なら何とかするだろ。昔っからそういうやつだし」
「そうか」
「数字と帳簿で魔王でも倒しちゃったりして」
笑いを含んだ声だった。冗談として言っている。
カイトは答えなかった。
東門が見えてきた。石造りの門扉は片方が開いていて、行商人らしい荷馬車が一台通り過ぎていくところだった。衛兵が二人、槍を持って立っている。
「じゃ、ここまでだわ。俺、城に戻らないといけないし」
「ああ」
「気をつけろよ、まじで。死ぬなよ」
「死なない」
「……それだけ?」
「それだけだ」
シグが何か言いたそうな顔をした。こういう場面でもっと感情的なやり取りを期待していたのかもしれない。だがカイトには、今ここで消費できる感情の余裕がなかった。感傷は後でいい。今は東の方角だけ見ていれば十分だ。
「……まあ、いいや。達者でな」
返事はしなかった。
東門をくぐる。衛兵は止めなかった。足の裏に石畳の感触がなくなり、土の道になる。振り返らなかった。
王都の音が、少しずつ遠くなっていく。
道の先に森が見えた。その向こうが魔王領だ。正確な距離はわからない。捕まったら交渉する、とシグに言ったのは本気だ。交渉材料がないわけではない。財務分析ができて、スキルが二つあって、倒産寸前の組織の立て直しを何度かやってきた。
必要とされる場所は、どこかにある。
カイトは歩き続けた。背後では、聖王国の門が静かに閉まっていく音がした。




