第1話 聖王国からの追放
異世界に召喚されて三日が経った。
謁見室の天井は高く、金箔を貼り込んだ柱が等間隔に並んでいる。深紅の絨毯、磨き上げられた床、玉座に腰かけた金髪の青年。聖王国アルベリア第一王子、エドワード・フォンス・セイント。装飾の多い甲冑は光を弾き、いかにも選ばれた者という顔をしていた。
「次は君だ、転移者」
榎本カイト、二十八歳。前職、経営コンサルタント。企業再生スペシャリスト。
三日前、書類仕事の帰りに意識を失ったと思ったら、ここにいた。隣には幼馴染のシグがいる。あいつはすぐに「勇者」の称号を得て、豪奢な部屋に通された。こちらは後回しにされたまま、今日まで待機室で過ごしていた。
「スキルを確認する。魔力鑑定石に手を置け」
鑑定士に言われた通りにする。石が淡く光り、すぐに消えた。
「魔力量……ゼロ」
静かな声だったが、謁見室の空気が微かに変わった。
「スキルは?」
「【経理】と【資産鑑定】です」
鑑定士が羊皮紙に書き付ける。小さく眉が動いた。
「……どちらも、戦闘向きではありませんね」
「ええ。前の世界でも専らデスクワークでしたので」
答えながら、カイトはスキルを静かに発動させた。
【経理】。
頭の中に数字が流れ込む。謁見室の装飾に使われた金箔の量、石材の仕入れ値、職人の工賃。絨毯の輸送コストと保管費。それだけではない。王宮全体の財務状況が、まるで透明な幕を通して浮かび上がってくる。
そして、赤。
数字が次々と赤く染まっていく。
国家予算の歳出に対して歳入が三分の一。積み上がった赤字は国家予算の三倍。王族の生活費と軍備費で予算の74%が消え、残りを騎士と魔導師の人件費が食いつぶしている。通貨の純度は年々落ちて今は額面の60%。インフレ率は年率30%進行中。
粉飾だ。
貸借対照表の外面だけ整えた、末期の赤字経営。このまま推移すれば、三〜四年で王国財政は崩壊する。
(……なるほど)
カイトはスキルを切った。表情は動かさなかった。
三日間で積み上げてきた肌感覚と一致している。神殿の装飾のくすみ、市場で耳に入った物価の話、衛兵の装備のほつれ。点でしかなかったものが一本の線につながった。
「鑑定結果を確認いたしました」
侍従が玉座に近づき、何かを囁く。エドワードがゆっくりと立ち上がった。
「転移者、カイトとやら」
「はい」
「魔力はゼロ。スキルは経理と鑑定。戦闘能力は皆無。そういうことか」
「概ねそうです」
エドワードは薄く笑った。最初から答えを決めた顔だ。
「魔王討伐において、数字を数える者など必要ない。我が国には優秀な財務官がいる。貴様のような凡庸なスキルは街の商人で事足りる」
「……そうですか」
「魔力なき者に、この国に留まる理由はない。追放だ」
声が謁見室に響いた。
柱の影に控えていた騎士たちが、微かに表情を変えた。嘲笑とも、居心地の悪さともとれる顔つきで。
(見た目だけ整えた鎧、か)
カイトは視線を動かさず、隅の騎士の甲冑に【資産鑑定】をかけた。年式が古い。本来の耐久値から換算すると、現役装備として機能する期間は残り数ヶ月。補修の痕跡が何度も重なっている。
修繕予算を削られているのか、補修費の申請が通らないのか。
いずれにせよ、装備の維持ができていない。兵士はどこまで搾り取られているのだろう、と思った。もっとも、財政が底をついた国で十分な装備を支給するほうが難しいのだが。
「今日中に城外に出よ。それ以上は要らぬ」
「わかりました」
返答は短かった。抵抗する気はなかった。財政状況を確認した後では、ここに留まる価値がない。
頭を下げて、踵を返す。
「カイト」
呼び止める声。
シグだった。謁見室の端の柱に、腕を組んで寄りかかっている。いつからいたのか、聖剣が腰に下がり、支給されたばかりの装備はよく磨かれていた。
「……しょうがないじゃん。魔力ゼロなんだから」
「そうだな」
「俺が何とかしてやりたいけど、でもさ、この世界のルールだし。勇者の俺でも変えらんないよ」
「変えなくていい」
「え」
「俺の問題だ」
シグは何か言いかけて、やめた。
カイトはそれ以上振り返らなかった。
廊下を歩きながら、頭の中でもう一度数字を並べる。年率30%のインフレ。純度60%の通貨。国家予算の三倍の債務超過。
エドワードが「優秀な財務官がいる」と言ったとき、反論する気が起きなかった。数字を見せても、見ようとしない者には届かない。コンサルタントとして十年で学んだことのひとつだ。
問題は、これからどうするかだ。
追放先に目処はない。言語は、転移時に刷り込まれたのか読み書きとも問題ない。手持ちは体一つと二つのスキルと、現代日本で叩き込んできた十年分の知識。
城門が見えてきた。衛兵が無言で道を開ける。
カイトは足を止めずに、外へ出た。
晴れていた。王都の雑踏が広がっている。物売りの声、馬車の音、市場の匂い。財政が崩壊している割に、表向きは賑わっている。が、物価の高さは路地の値札を一目見れば明らかだ。庶民は毎日少しずつ削られている。
帳簿を開いて初めて見える数字だ。
カイトはひとつ息をついた。感情は後回しでいい。今は情報を整理する。
「さて」
方向を確かめて、歩き出す。王都の東門が魔王領に最も近い。どこへ向かうかはまだわからないが、一方向に進む以外に選択肢はない。
胸の中に怒りがないわけではなかった。だが怒りを燃料にするほど非効率なこともない。
使えるものを使う。数字で考える。それだけだ。
背後では、聖王国が何事もなかったように動き続けている。
カイトの足取りは、変わらなかった。
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