第九十八話「未来への宣言と、それぞれの決意」
バベル・ガーデン、展望テラス。
修復完了と新憲章の発布、そして盛大な祭りを終えた翌日。
ここには、この塔を支える幹部たちが集まっていた。
心地よい風が吹き抜ける中、テーブルにはヴォルグが用意した軽食と、最高級の紅茶が並んでいる。
それは、激動の日々を乗り越えた戦友たちによる、ささやかな「未来会議」だった。
「…ふぅ。嵐のような日々でしたね」
総務部長ルミナが、紅茶を一口啜り、眼鏡を外してレンズを拭いた。
その顔には疲労の色も濃いが、それ以上に晴れやかな光が満ちている。
「だが、ここからが本番です。…修復は終わりましたが、それは『箱』ができたに過ぎません」
カチャリ。眼鏡をかけ直すと、彼女の瞳が仕事の鬼のごとく鋭く光った。
「人口の増加に伴う食料自給率の向上、交易連盟との連携強化、そして観光客誘致のためのインフラ整備。…やるべきことは山積みです。私は、このバベル・ガーデンを、世界で最も効率的で、豊かな『都市』にしてみせます」
ルミナがタブレットを指先で弾く。
画面には、今後十年分の計画表がびっしりと書き込まれていた。
「げぇ…。鬼だな、相変わらず」
魔王ガルシスが顔をしかめるが、その口元はニヤリと笑っている。
「だが、悪くない。…都市が大きくなれば、それだけエネルギーが必要になる」
ガルシスは立ち上がり、眼下に広がる街並みを見下ろした。
「私の蒸気機関は、まだ産声を上げたばかりだ。…ゆくゆくは、この塔だけでなく、大陸全土にパイプラインを張り巡らせる。世界中の人間が、蛇口をひねれば極上の湯が出る…そんな『温泉ユートピア』を作ってやる!」
壮大すぎる野望。しかし、彼ならやりかねない。
「夢がないですな、魔王様」
呆れたように言ったのは、総料理長ヴォルグだ。
彼は巨大な骨付き肉を齧りながら、豪快に笑った。
「インフラは二の次です。大事なのは『味』ですよ。…儂は目指します。このバベル・ガーデンを、世界中の美食家が垂涎する『食の聖地』にすることを!」
ヴォルグは拳を握りしめる。
「未知の食材、未知の調理法。…上層で手に入れた素材を使えば、神すら唸らせる究極の一皿が作れるはず。料理人としての道は、まだ始まったばかりです!」
熱い。
おっさんたちの夢が、真夏の太陽のように暑苦しく燃え上がっている。
「皆さん、精が出ますねぇ」
のほほんとした声で割って入ったのは、牧場長アレクセイだ。
彼の膝の上では、いつものスライムがプルプルと震えている。
「僕は、もっと牧場を広げたいですね。…昨日、大家様のモフモフちゃんと遊んでいて気づいたんです。魔物と人間は、もっと分かり合えるって」
アレクセイは目を細めた。
「世界中の珍しい魔獣を保護して、人間と共生できる『パーク』を作る。…子供たちが魔物の背中に乗って笑い合う、そんな優しい場所を作りたいんです」
「フッ、素晴らしい博愛精神だ」
パチパチと扇子を鳴らして拍手したのは、娯楽部長オズワルドだ。
「だが、衣食住が満たされた後に人が求めるのは、心の潤い…すなわち『文化』だ」
オズワルドは立ち上がり、演劇の一幕のようにポーズを決めた。
「劇場を作り、美術館を建て、吟遊詩人を招く。…この塔を、武力や経済だけでなく、芸術の最先端を発信する『文化の塔』にする。それこそが、元参謀たる我が輩の最後の仕事よ」
効率、技術、美食、共生、文化。
それぞれの夢、それぞれの正義。
かつては敵対し、殺し合っていたかもしれない彼らが、今は同じテーブルで、同じ方向を向いて語り合っている。
その光景を、少し離れた場所から見つめる影があった。
「…ふーん」
エプロンドレスの少女――大家、真音だ。
彼女は柱の陰で、盗み聞き…ではなく、彼らの熱弁に耳を傾けていた。
その腕の中には、白い毛玉と、黒いクマのぬいぐるみ(メルキオラス)が抱えられている。
「みんな、すごいね」
真音は呟いた。
呆れているのではない。
その声には、純粋な感嘆と、少しの誇らしさが滲んでいた。
「くまちゃん。…私の拾った部下たち、思ったより優秀みたい」
「そうだね。君の目は確かだった」
メルキオラスがぬいぐるみの中で微笑む。
「…じゃあ、行こっか」
真音は一歩、テラスへと踏み出した。
◆◇◆◇◆
「――ずいぶんと盛り上がってるじゃない」
真音の声に、幹部たちが一斉に振り返る。
「お、大家様!」
「聞いておられたのですか!?」
慌てて姿勢を正す面々。
真音はペタペタと歩み寄り、テーブルの真ん中にあった最後の一つのお菓子をパクっと口に入れた。
「ん。…聞いてたわよ。世界征服だの、食の聖地だの」
彼女はもぐもぐと咀嚼し、ニカっと笑った。
「いいじゃない。…やってみなさいよ」
その許可に、幹部たちの顔が輝く。
「ありがとうございます!」
「必ずや、成し遂げてみせます!」
真音は空いた椅子にドカッと座り、足をぶらつかせた。
「でもさ」
彼女は頬杖をつき、悪戯っぽく言った。
「アンタたちがそんなに頑張っちゃうと、私が退屈しちゃうじゃない」
「え?」
「だから…私も、目標を決めたわ」
真音は背筋を伸ばし、黒曜石の瞳で全員を見回した。
その瞬間、場の空気がピリリと引き締まる。
可愛らしい少女の姿をしているが、彼女はこの世界最強の存在だ。
「私…もっと、強くなる」
意外な言葉だった。
これ以上、強くなってどうするのか。
神と殴り合いでもするつもりか。
そんな疑問が幹部たちの顔に浮かぶ。
「勘違いしないでよ」
真音はフンと鼻を鳴らした。
「誰かを倒すためじゃないわ」
彼女は、テーブルを囲む仲間たちの顔を、一人一人ゆっくりと見た。
その視線は、どこまでも優しく、そして力強い。
「アンタたちが好き勝手に夢を追いかけて、失敗して、泣きついてきた時に…『しょうがないわね』って、全部まとめて守ってあげられるように」
真音は自分の小さな掌を握りしめた。
「私の家にあるもの全て…誰にも、指一本触れさせない。そのための、『最強』よ」
それは、支配者の宣言ではなかった。
家族を守る、母親のような――あるいは、頼れる家長としての決意表明。
「…ッ!」
ヴォルグが、感極まって大粒の涙を流した。
ルミナが、眼鏡を外して目元を拭った。
ガルシスが、満足げに深く頷いた。
この主になら、一生ついていける。
いや、ついていきたい。
全員の心が、一つになった瞬間だった。
オズワルドが憧憬の眼差しで真音をみつめつぶやいた。
「…やはり、かないませんね…」
その光景を見たメルキオラスが、真音の膝の上で笑った。
「この場所は、まだまだ発展するよ。…君がその中心にいる限り、限界なんてない」
「当然でしょ」
真音は熊耳をピーンと立て、不敵に笑った。
「さあ、休憩は終わり!…未来の話はもう十分よ!」
彼女はテーブルの上に立ち上がった。
行儀が悪いが、誰も咎めない。
それが彼女のスタイルだからだ。
「やるわよ、みんな!このバベル・ガーデンを、世界一…いや、宇宙一楽しくて騒がしい場所にするのよ!」
真音は高々と右手を突き上げた。
「ついてきなさい!!」
その号令に、幹部たちも一斉に立ち上がり、拳を突き上げた。
「「「応ッ!!!!」」」
青空に、力強い返事が木霊する。
それぞれの夢、それぞれの決意。
それらが太い束となり、未来へと続く道を切り開いていく。
もう、迷いはない。
彼らの視線の先には、輝かしい明日が待っているのだから。
風が吹き抜け、世界樹がざわめく。
それはまるで、彼らの門出を祝福するファンファーレのように聞こえた。
(第九十八話 完)




