第九十五話「バベル祭の開幕と、賑やかな一日」
ドォォォォォォォンッ!!
早朝の空を震わせる号砲(ガルシス特製・空砲花火)が、バベル・ガーデンに轟いた。
「――静粛に!」
ざわめく数千の観衆の前で、拡声魔法のマイクを通した声が響く。
中央広場に設けられた特設ステージ。
その真ん中に立っているのは、純白のドレスではなく、動きやすい法被のような祭り衣装を羽織った大家・真音だった。
頭の上の熊耳には、ねじり鉢巻きがキュッと巻かれている。
「えー、本日は晴天なり」
真音は広場を見渡した。
人、人、人。
兵士も、冒険者も、近隣の村人も、そして国境を越えてやってきた観光客も。
全員がキラキラした目で、自分を見上げている。
(…くっ、やっぱ緊張する。何回やっても慣れないよ)
足が震えそうになるのを、グッと堪える。
袖の中で、小さな毛玉が「ぴゅい!」と応援してくれている。
舞台袖では、メルキオラスが親指を立てている。
「…私の家へようこそ!」
真音は腹から声を出した。
「今日は無礼講よ!食べて、飲んで、笑い転げなさい!誰か一人でもつまらなそうな顔をしてたら、私が直接デコピンしに行くからね!」
ドッ、と会場が沸く。
「このバベル・ガーデンは、世界一楽しい場所よ。…それを、アンタたちの全力で証明してみせなさい!」
真音は拳を突き上げた。
「バベル祭、開幕!!」
ワアアアアアアアアアアアアッ!!!!
歓声の爆発と共に、かつてない一日の幕が切って落とされた。
◆◇◆◇◆
祭りが始まると同時に、広場はカオスの坩堝と化した。
「いらっしゃいませぇぇッ!戦士の胃袋を満たす、暴力的なカロリーはいかがかね!」
メインストリートの一等地。
そこには、要塞のような巨大屋台が鎮座していた。
総料理長ヴォルグが、両手に中華鍋を持ち、炎を操っている。
「食らえ!『ドラゴン肉の爆炎ステーキ』!ソースは激辛マグマだ!」
「料理長!行列が止まりません!在庫が持ちません!」
「補給部隊(リッカ商会)へ連絡!肉だ!肉の雨を降らせろ!」
ジュワアアアッ!
香ばしい匂いが広場を支配する。
ヴォルグの屋台は、さながら最前線の補給基地の様相を呈していた。
一方、子供たちが集まるエリアでは。
「さあさあ、寄ってらっしゃい!世界一可愛いショーの始まりですよ!」
牧場長アレクセイが、シルクハットを被って呼び込みをしている。
ステージ上では、色とりどりのスライムたちがプルプルと跳ね回っていた。
「はい、合体!」
『プヨヨ~ン!』
十匹のスライムが合体し、巨大な『スライム・ベアー(真音の似顔絵)』に変身する。
パチ子(雷スライム)がピカピカと発光し、電飾代わりになる。
「うわぁぁ!すごい!」
「触りたい!プニプニしたい!」
子供たちの歓声に、アレクセイは目尻を下げて感涙している。
かつては魔物として恐れられた彼らが、今や子供たちのアイドルだ。
そして、特設劇場では。
「おお、ロミオ!貴方はなぜロミオなのですか!」
「ジュリエット!俺の筋肉が、貴女を求めて叫んでいる!」
娯楽部長オズワルド演出、兵士たちによる演劇『筋肉ロミオと魔法ジュリエット』が上演されていた。
原作レイプも甚だしい内容だが、観客席のオークやドワーフたちは号泣している。
「うぐぐ…!泣けるぜ…!」
「愛だ!愛がすべてを解決するんだ!」
混沌。
しかし、そこには確かな「熱」があった。
◆◇◆◇◆
午後。
真音は法被姿のまま、お忍び(バレバレだが)で屋台を巡っていた。
片手にはヴォルグのステーキ串、もう片手にはリッカの店で買った綿菓子。
「…んぐ、んぐ。美味しい」
彼女が歩くと、人々が自然と道を開け、笑顔で会釈をする。
誰も彼女を恐れていない。
ただの「食いしん坊な女の子」として接してくれている。
「やあ、大家様。楽しんでおられますか?」
声をかけてきたのは、聖王国の外交官ラウルだった。
彼もまた、平服に着替え、片手にビールジョッキを持っている。
「ラウル!来てくれたんだ」
「ええ。招待状をいただいたからには、這ってでも参りますよ」
ラウルは賑わう広場を見渡し、感嘆の息を漏らした。
「…信じられませんね。ここが数年前まで、人が寄り付かない魔境だったとは」
「でしょ?私の家、すごいでしょ」
真音は胸を張った。
鼻高々だ。
「ええ。…この活気、この笑顔。これこそが、我々が目指すべき平和の形かもしれません」
「難しいことは分かんないけど。…みんなが笑ってるなら、それが正解なんじゃない?」
真音は綿菓子をちぎって口に入れた。
甘い。
今まで食べたどのお菓子よりも、甘くて優しい味がする。
「…あ、セリーナだ」
人混みの中に、警備中のセリーナを見つけた。
彼女は鋭い目つきで周囲を警戒しているが、迷子の子供を見つけると、すぐに優しい顔で抱き上げている。
「彼女も、いい顔になりましたね」
「ん。…あいつ、真面目すぎるけどね」
真音は笑い、ラウルに串焼きを一本お裾分けした。
「食べてきなよ。ヴォルグの自信作だから」
「ありがとうございます。…では、遠慮なく」
聖王国外交官とバベル・ガーデン大家。
二人は並んで串焼きをかじり、同じ景色を眺めた。
そこには、国境も種族もない、ただの幸せな空間が広がっていた。
◆◇◆◇◆
そして、夜。
祭りのクライマックス。
広場の照明が一斉に落とされ、静寂が訪れる。
『…聴こえるか、愚民ども』
スピーカーから、重々しい声が響く。
ボイラー室からの放送だ。
『我は魔王ガルシス。…これより、夜空を焦がす「終焉の炎」を見せてやる。…心して見上げるがいい!』
厨二病全開のアナウンスと共に、ドォォォン!!という発射音が響く。
ヒュルルルルル…。
パァァァァァンッ!!
夜空に大輪の花が咲いた。
赤、青、緑、金。
魔力で強化された光は、通常の花火よりも遥かに鮮やかで、長く空に留まる。
「うおおおおおおっ!」
「きれーい!」
歓声が上がる中、次々と花火が打ち上げられる。
スライム型、剣型、そして世界樹を模した緑色の巨大花火。
真音は、最上層のテラスでそれを見上げていた。
隣にはメルキオラスと、猫姿のラズリ。
「…すごい」
光が、真音の瞳の中で弾ける。
眼下を見れば、数千人の人々が同じ空を見上げ、笑い合っている。
その光景が、花火の閃光に照らされて浮かび上がる。
「…ねえ、くまちゃん」
「ん?」
「私…みんなのこと、大好きかも」
真音の声が震えた。
花火の音にかき消されそうな、小さな声。
「ずっと一人だったから、分からなかったけど。…誰かと一緒に笑うって、こんなに温かいんだね」
ポロリ、と涙がこぼれた。
悲しくないのに、涙が止まらない。
「…よかったね、真音ちゃん」
メルキオラスが、そっと真音の手を握った。
ラズリも、足元で身体を擦り付けてくる。
「我が君の夢が、形になりましたな」
「夢…?」
「はい。「寂しくない世界」。…それが、貴方様の願いでしたでしょう?」
真音はハッとした。
そうだ。
強がって、我儘を言って、人を遠ざけていたけれど。
本当はずっと、誰かに「ここにいていいよ」と言ってほしかった。
誰かと一緒に、「綺麗だね」と言いたかった。
「…うん」
真音は涙を拭い、満面の笑みを夜空に向けた。
「叶ったよ。…最高の形でね!」
ドォォォォンッ!!
最後の一発。
夜空一面を埋め尽くす金色の光の雨が、バベル・ガーデン全体を祝福するように降り注いだ。
誰もが空を見上げ、誰もが隣の人と肩を組み、誰もが今日という日を心に刻んだ。
かつて孤独の象徴だった塔は、今夜、世界で一番「賑やかな家」となったのだ。
「…ありがと、みんな」
真音の感謝の言葉は、爆音の中に溶けていったけれど。
その想いはきっと、ここにいる全員に伝わっていたはずだ。
祭りは終わらない。
夜明けまで続く宴の灯りは、いつまでも消えることなく、彼らの未来を照らし続けていた。
(第九十五話 完)




