第八十三話「幹部会議と、新しい制度」
バベル・ガーデン、総務室・大会議室。
円卓を囲む幹部たちの表情は、昨日の熱狂とは打って変わり、真剣そのものだった。
「…さて」
総務部長ルミナが、積み上げられた資料の山を前に口を開いた。
「昨日の広場での『残留許可宣言』。…兵士たちの士気向上という意味では大成功でした。しかし」
彼女は眼鏡を押し上げ、鋭い視線を一同に向けた。
「あれはあくまで、私の独断による『口約束』に過ぎません。…彼らを正式に受け入れ、この塔の住民として養っていくためには、感情論ではない『制度』と『予算』が必要です」
ルミナはホワイトボードに向き直り、書き殴った。
『衣食住の保証』『家族の呼び寄せ』『教育・医療』『給与体系』。
「ここからは、夢物語ではありません。…国家運営のシミュレーションです」
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした。
場の空気が引き締まる。
◆◇◆◇◆
「まずは住居だ」
最初に発言したのは、魔王ガルシスだった。
「独身の兵士なら今の宿舎でいい。だが、家族を呼び寄せるとなれば話は別だ。プライバシーの確保、子供のためのスペース…第四居住区画の開放と改装が急務となる」
「配管はどうする?各家庭に風呂を引くのか?」
「当然だ!私の民に、湯のない生活などさせん!」
ガルシスが熱く語る。
次に手を挙げたのは、総料理長ヴォルグだ。
「食料供給も課題です。現在の食堂は集団給食が前提。家庭での自炊が増えれば、食材の流通ルートを変える必要があります」
「リッカ殿の市場を活用しよう。…だが、子供が増えれば『給食制度』も必要になるかもしれん」
「給食…!育ち盛りの子供たちに、私の料理を…!悪くない!」
ヴォルグの鼻息が荒くなる。
続いて、牧場長アレクセイ。
「学校はどうしますか?魔族の子と人間の子、一緒に学ばせるのですか?」
「区別はしない。…だが、喧嘩にならないよう、教育係が必要だ」
「オズワルド殿、貴殿の博識を貸していただきたい」
「フッ、やれやれ。魔王軍の参謀が、次は校長先生とはな」
議論は白熱した。
昨日までは「敵同士の寄せ集め」だった組織が、今、一つの「多種族共生国家」としての骨組みを作ろうとしている。
そこには、かつての支配者としての傲慢さはなく、これから共に暮らす「家族」を守ろうとする責任感だけがあった。
「…みんな、凄いね」
議長席のメルキオラスが、感心したように呟いた。
その隣で、大家・真音は退屈そうに――しかし、その耳はしっかりと議論を聞きながら、スコーンを齧っていた。
「…で?結局、どうするの?」
真音が口を開くと、議論がピタリと止まった。
「難しいことは分かんないけど。…要するに、『みんなが笑って暮らせるルール』を作ればいいんでしょ?」
「はい、大家様。その通りです」
ルミナが頷く。
真音はスコーンの欠片を指先で弾いた。
「なら、シンプルにいきましょ。…『困った時は助け合う』。あとは『私の許可なく不幸にならないこと』」
「…ふっ」
ガルシスが吹き出し、ヴォルグがニヤリと笑った。
「違いない。…我らが主の命令は絶対だ」
「不幸になることは許されない、か。…厳しい戒律ですな」
真音の言葉が、複雑な議論の芯を通した。
制度は必要だ。だが、その根底にあるべきは「大家の我儘」だ。
「決まりましたね」
ルミナは筆を置いた。
彼女の手元には、新たな法典――『バベル・ガーデン住民憲章』の草案が完成していた。
「では、これを清書し…本日ただいまをもって、正式採用とします!」
全会一致。
拍手が、会議室に響き渡った。
◆◇◆◇◆
その日の夕刻。
第三居住区画の広場には、昨日以上の熱気が渦巻いていた。
兵士たちの手には、真新しいカードが握られている。
『バベル・ガーデン市民証』。
それは、彼らがもう「使い捨ての労働力」ではなく、この土地に根を下ろすことを許された「住民」であることの証明だ。
「おい見ろよ!『家族招聘許可証』だ!これで田舎の母ちゃんを呼べる!」
「俺は『結婚許可証』をもらったぞ!食堂のウェイトレスさんにプロポーズするんだ!」
マルコとゴーグも、それぞれのカードを見せ合っていた。
「…夢みたいだ」
「ああ。本当に、ここにいていいんだ」
二人の目には、昨日の安堵とは違う、未来への希望の光が宿っていた。
ただ居場所があるだけではない。
ここで生き、家族を作り、歳を取っていく。その未来が保証されたのだ。
「ルミナ部長!ありがとうございます!」
「大家様、万歳ッ!」
兵士たちが口々に叫ぶ。
壇上のルミナは、拡声魔法で静まるように促した。
「礼には及びません。…これは、貴方たちが勝ち取った権利です」
彼女は凛とした声で告げた。
「ただし!権利には義務が伴います!この塔の平和と秩序を守ること。そして何より…」
ルミナは一呼吸置き、少し悪戯っぽく笑った。
「『幸せになること』。…それが、大家様からの絶対命令です!」
わっと歓声が上がる。
その喧騒を見下ろすテラスで、真音は「うるさいわねぇ」と耳を塞ぎながらも、その口元は緩みっぱなしだった。
「…これで、賑やかになるわね」
「そうだね。これからもっと忙しくなるよ」
メルキオラスが微笑む。
家族が増える。街が育つ。
孤独だった世界樹の塔は、今や数千の命が鼓動する、温かい「家」へと変貌を遂げた。
「…ま、悪くないわ」
真音は抱いていたモフモフの顔をムギュッと掴んだ。
「さあ、帰るわよ。…ヴォルグが『お祝いディナー』を作るって張り切ってたし」
「ぴゅい!」
真音は軽やかな足取りで部屋へと戻っていく。
その背中には、もう孤独の影は微塵もなかった。
バベル・ガーデンは、新たな時代へと歩み出した。
最強の大家と、愉快な住人たちが織りなす、騒がしくも愛おしい日常の物語として。
(第八十三話 完)




