第八十二話「修復の最終段階と、兵士たちの想い」
カンッ、カンッ、カンッ!
乾いた槌音が、バベル・ガーデン第三居住区画に響き渡る。
「よし!外壁の補修、完了だ!」
「配管の接続テスト、オールグリーン!蒸気漏れなし!」
現場監督の声に、作業着姿の兵士たちが歓声を上げる。
かつては瓦礫の山だったこの場所は、今や見違えるように整備されていた。
磨き上げられた石畳。整然と並ぶ居住ユニット。
そして、窓ガラスには鮮やかなステンドグラスがはめ込まれている。
元勇者軍、マルコは、額の汗を拭いながらその光景を見上げた。
「…できたな」
美しい。
自分たちの手で、一つ一つ積み上げてきた成果だ。
だが、その完璧な仕上がりを見るマルコの胸には、達成感とは裏腹の、冷たい風が吹き抜けていた。
「マルコさん!何ぼーっとしてるんですか!」
ドスン、と背中を叩かれる。
振り返れば、巨体のオーク――元魔王軍突撃兵のゴーグが、ニカッと笑っていた。
「見てください!僕たちが組んだ石垣です!ドラゴンが体当たりしてもビクともしませんよ!」
「…ああ。そうだな、ゴーグ」
マルコは力なく笑い返した。
ゴーグは不思議そうに首を傾げたが、すぐに「腹減ったな!」と食堂の方角へ鼻を鳴らした。
マルコは知っていた。
この工事が終わるという意味を。
それは、この塔の「完全復活」であり――自分たちの「お役御免」を意味することを。
◆◇◆◇◆
その夜。
作業現場の片隅にあるベンチで、マルコとゴーグは並んで安酒を煽っていた。
頭上には、世界樹の枝葉の間から星空が覗いている。
「…なぁ、ゴーグ」
「んぐ、んぐ…ぷはぁっ!なんですか」
ゴーグは干し肉を齧りながら、上機嫌だ。
「工事、もうすぐ終わるな」
「そうですね!予定よりだいぶ早いらしいです。リッカの姐さんが持ってきてくれた資材のおかげですね」
「終わったら…俺たち、どうなると思う?」
マルコの問いに、ゴーグの手が止まった。
「どうなるって…」
「俺たちは、自分たちがやったことの後始末をするために、ここで働かされている労働者だ。ここが直れば…契約終了だ」
マルコは缶の中の酒を見つめた。
「自由の身ですね…」
本来なら、それは待ち望んだ瞬間のはずだった。
ここに来た当初は、毎日「帰りたい」と泣いていた。
魔王軍のオークと肩を並べるなんて狂気の沙汰だと思っていた。
だが、今は。
「…帰りたくない」
ゴーグが、ボソリと呟いた。
「え?」
「僕は…帰りたくないです、マルコさん」
巨体のオークが、子供のように膝を抱えた。
「故郷の村じゃ、僕はただの『乱暴者』でした。魔王軍に入っても、ただの『駒』だった。…でも、ここは違う」
ゴーグは、自分たちが修理した壁を指差した。
「ここでは、誰かが俺の仕事を褒めてくれる。ヴォルグ将軍の飯は美味いし、風呂に入ればみんな極楽みたいな顔をします。…マルコさんとも、こうして酒が飲める」
ゴーグの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「もう…ここが…僕の家なんです。追い出されたら、僕はどこに行けばいいんでしょう」
「ゴーグ…」
マルコは言葉を詰まらせた。
同じだ。
自分も、故郷に居場所なんてなかった。
剣を置いた今の生活が、泥と汗にまみれたこの毎日が、何よりも愛おしい。
「…俺もだ」
マルコはゴーグの肩に手を置いた。
「帰りたくない。…ずっと、このバベル・ガーデンで働いていたい」
二人の男のすすり泣く声が、夜風に溶けていった。
その様子を、物陰からじっと見つめる影があった。
総務部長ルミナである。
彼女は手にしたタブレットを強く握りしめ、眉をひそめた。
(…やはり、現場には動揺が広がっていますね)
効率的な運営のためには、不要な人員は整理すべきだ。
工事が終われば、建設班の人員は過剰になる。契約通り解散させるのが、組織論としては正しい。
だが、彼らの「想い」を聞いてしまった今、ルミナの心は激しく揺れていた。
(私は…冷徹な管理者であるべきです)
彼女は踵を返し、最上層へと向かうエレベーターに乗ろうとした時、別な集団が目についた。
以前、不平不満を隠そうともしなかった貴族子弟たちだ。彼らは労働力として質が低いし、いわゆる不満分子だ。
彼らは契約終了と同時に去っていくだろう。それはいい。だが…。
◆◇◆◇◆
最上層『樹洞の聖域』。
深夜だというのに、真音は起きていた。
新入りの白い毛玉魔獣『モフモフ』を枕にして、ゴロゴロと漫画(図書室の新刊)を読んでいる。
「失礼します、大家様」
「んー?ルミナ?もう寝る時間じゃないの?」
真音はページをめくりながら、気のない返事をする。
頭の上の熊耳が、夜更かしの罪悪感もなくリラックスして横に倒れている。
「ご相談がありまして」
ルミナは正座し、先ほど目撃した兵士たちの会話を報告した。
修復完了に伴う契約終了への不安。
そして、彼らがこの場所を「家」と感じていること。
「…契約上は、借金完済と同時に彼らは解放されます。故郷へ帰すのが筋です。しかし…」
「しかし?」
「彼らを失うことは、バベル・ガーデンにとっても損失です。彼らの熟練した技術と、この場所への愛着は、何物にも代えがたい資産ですから」
ルミナは苦渋の表情で俯いた。
「ですが、工事が終われば仕事はありません。ただ居座らせるわけにもいきませんし…どうすれば」
管理者の論理と、人情の板挟み。
深刻な顔をするルミナに対し、真音はパタンと漫画を閉じた。
「…バカじゃないの?」
あっさりと一蹴。
「えっ?」
「帰りたくないなら、残ればいいじゃない」
真音は起き上がり、モフモフを膝に乗せて撫でた。
「なんで追い出す必要があるのよ。部屋なら腐るほどあるし、飯ならヴォルグが喜んで作るわよ」
「で、ですが!仕事がなければ給料が払えません!彼らだって、施しを受けるだけの生活ではプライドが…」
「仕事なんて、いくらでもあるでしょ」
真音は指折り数えた。
「ホテルが忙しくなったら掃除係がいるし、リッカの市場の警備も必要だし、中層の探検だって人手がいるし…。ていうか」
彼女はルミナをジッと見た。
「アンタ、いっつも『忙しい、人手が足りない』って泣き言言ってるじゃない」
「うっ…」
「なら、そいつら雇いなさいよ。正規雇用で」
正規雇用。
その言葉に、ルミナは目から鱗が落ちた思いだった。
「奴隷契約じゃなくて、普通の従業員として雇う。…嫌な奴は帰ればいいし、残りたい奴は残る。シンプルでしょ?」
「…そう、ですね。あまりにも単純すぎて、盲点でした」
ルミナの表情が、パァッと明るくなった。
そうだ。ここは強制収容所ではない。
一つの巨大な事業体だ。優秀な人材を確保するのは、経営として当然の判断だ。
「それにさ」
真音は窓の外、広がる夜景を見つめた。
「家族が増えるのは、悪くないわ」
熊耳が、少し照れくさそうにピクリと動く。
「一人より二人、二人より百人の方が、ご飯も美味しいしね」
「…はい。その通りです、大家様」
ルミナは深く頭を下げた。
この幼い主は、いつだって物事の本質を突く。
難しく考えていたのは、自分の方だったのだ。
「では、直ちに『新規雇用契約書』の作成に取り掛かります!福利厚生、有給休暇、ボーナス査定…!ああ、忙しくなりますよ!」
ルミナの目に、仕事の鬼の炎が宿る。
彼女は一礼すると、風のように部屋を出て行った。
「…やれやれ。あいつも好きねぇ」
真音は苦笑し、再びモフモフに顔を埋めた。
ふかふかの毛並みを感じながら、彼女は小さく呟いた。
「ずっといればいいのよ。…みんないなくなったら、私が寂しいじゃない」
それは、誰にも聞かれない小さな本音だった。
◆◇◆◇◆
翌日。
第三居住区画の広場に、全兵士が招集された。
壇上に立ったルミナは、拡声魔法を使って高らかに宣言した。
「諸君!修復工事の完了、目前である!これまでの尽力に感謝する!」
ざわつく兵士たち。
ついに、解雇の通告か。マルコとゴーグは不安げに顔を見合わせた。
「それに伴い!現在の『隷属労働契約』は破棄される!」
やっぱりだ。
ゴーグが肩を落とし、泣き出しそうになる。
「代わって!希望者には『バベル・ガーデン正規職員契約』の権利を与える!」
…え?
シン、と静まり返る広場。
「残留を希望する者は、総務にて手続きを行え!給与は出来高払い、週休二日、三食サウナ付きだ!…以上!」
一拍置いて。
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
爆発的な歓声が上がった。
帽子を投げる者、抱き合う者、地面を叩いて喜ぶ者。
「やった!マルコさん!残れるんだ!ずっとここにいていいんだ!」
「ああ!ああ、ゴーグ!俺たちの家だ!」
マルコとゴーグは、強く抱き合った。
その目には、昨日とは違う、希望の涙が溢れていた。
その喧騒を、テラスから見下ろしている真音の姿があった。
「…うるさいわねぇ」
口では文句を言いながら、彼女は満足げにスライム・ドロップを口に放り込んだ。
頭の上の熊耳が、嬉しそうにリズムを刻んでいる。
バベル・ガーデンは、今日から本当の意味で、彼らの「家」となった。
鎖で繋がれた関係ではなく、心で繋がれた家族として。
(第八十二話 完)




