第八十一話「商人の月例訪問と、進捗報告」
バベル・ガーデン第一層、エントランス。
この日、赤髪の行商人リッカの足取りは、いつになく重厚で、そして誇らしげだった。
「…重いですぅ、師匠ぉ」
背後で弟子のルドが、普段の倍はあるかという厚みの革鞄を抱えて呻いている。
中に入っているのは、商品ではない。
この一年間の、バベル・ガーデンにおける全ての経済活動を記録した『決算報告書』だ。
「泣き言を言わない!これはただの紙束じゃないのよ。この塔の『未来』が詰まってるんだから!」
「は、はいぃ…!でも、腰が…」
リッカはビシッと指を鳴らし、受付カウンターへと進んだ。
そこには、総務部長ルミナが仁王立ちで待ち構えていた。
その眼鏡の奥の瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭い。
「待ちわびましたよ、リッカ。…準備は?」
「万端です。数字に嘘はつかせません」
リッカもまた、商人の顔を被り、不敵に笑みを返した。
今日は、ただの取引ではない。
この一年間の成果を問う、審判の日なのだ。
◆◇◆◇◆
総務室・大会議室。
テーブルの上には、山のような羊皮紙の束が積まれていた。
リッカは、その中から一枚の総括シートを抜き出し、中央に提示した。
「結論から申し上げます」
対面に座るルミナ、そして賢者メルキオラスが、固唾を飲んで注目する。
「本年度のバベル・ガーデン総収益。…当初の予測値を大幅に更新し、二六〇%を達成しました」
一瞬の静寂。
そして。
「…ひゃ、二六〇%…!?」
ルミナの声が裏返った。
彼女は震える手でシートを手に取り、数字を凝視する。
「ダンジョン収入、交易市の手数料、宿泊施設の稼働率…全てが右肩上がり。特に『エナジーバー』と『美肌の湯』関連商品の外販利益が、爆発的な伸びを見せています」
リッカは淡々と、しかし熱を込めて解説した。
「経費面においても、ドルフさんたち配管班による熱効率の改善、アレクセイ牧場長によるスライム増産体制の確立により、コストは三〇%削減されています」
「素晴らしい…。完璧です、リッカさん」
ルミナが眼鏡を外し、感極まったように目頭を押さえた。
「この数字があれば…大幅に前倒しできます」
「具体的には?」
メルキオラスが身を乗り出す。
リッカは、最後の一枚――『修復完了予定表』をめくった。
「現在のペースを維持できれば…修復工事の完了は、来年の春。当初の予定より、一年以上の短縮が可能です」
おおっ、と室内にどよめき(といっても三人だけだが)が走った。
修復完了。
それは、勇者軍と魔王軍の乱痴気騒ぎの清算を意味する。
「やったね。…君の手腕のおかげだよ、ルミナさん、リッカさん」
メルキオラスが、短い手を叩いて称賛する。
「ルミナさんが完璧にバベル・ガーデンのすべてのことを管理し、リッカさんが外の世界とここを繋いでくれたから、血(金)が巡り、肉(資材)がついた。君たちはバベル・ガーデンにとっての恩人だ」
「そ、そんな…!私はただ、商売をしただけで…」
リッカは顔を赤くして謙遜したが、胸の奥が熱くなるのを抑えきれなかった。
ただの行商人だった自分が、伝説の賢者にここまで認められるとは。
その時。
「――ねえ」
会議室の扉が開き、エプロンドレスの少女――大家、真音が入ってきた。
頭の上には、白い毛玉のような新ペット『モフモフ』が乗っている。
「なんか、ルミナが泣きそうな顔してるけど。…悪い知らせ?」
真音は不思議そうに小首を傾げた。
ルミナは慌てて涙を拭い、満面の笑みを向けた。
「いいえ、大家様!逆です!最高のお知らせです!」
「へ?」
「リッカさんの報告によれば、この塔の修復が…予定よりずっと早く終わるそうです!」
真音の目が丸くなる。
口に咥えていたスライム・ドロップが、ポロリと落ちた。
「…終わるの?」
「はい!もう、雨漏りに悩まされることも、隙間風に震えることもありません!完全な『我が家』が戻ってくるのです!」
真音はパチパチと瞬きをし、そして。
「…やったぁぁぁぁぁッ!!」
バンザイをして飛び上がった。
頭の上のモフモフも「ぴゅい!」と飛び跳ねる。
「すごーい!ルミナ!大好き!」
真音はリッカに抱きついた。
甘いお菓子の匂いと、日向のような温かさ。
「あ、大家様!苦しいです!」
「えへへ。…これでやっと、心置きなく昼寝ができるわ!」
「そこですか…」
リッカは苦笑したが、真音の満面の笑みを見て、疲れなど一瞬で吹き飛んだ。
この笑顔が見たかったのだ。
この我儘で、最強で、寂しがり屋な大家の笑顔を。
「…賢者様。お願いがあります」
真音に抱きつかれながら、リッカはメルキオラスを見た。
その瞳に、迷いはない。
「これからも…修復が終わった後も、私にここの商いを任せていただけませんか?」
今までのような「協力者」ではない。
もっと深く、運命を共にするパートナーとして。
「もちろんだよ」
メルキオラスは即答した。
「君以外に誰がいると言うんだい?…今日から君は、バベル・ガーデンの専属商人だ」
賢者は、懐から一つのバッジを取り出した。
世界樹と、小さな熊耳がデザインされた、銀色の記章。
「これを持っているのは、幹部たちだけだ。…受け取ってくれるかい?」
「…はいッ!謹んで!」
リッカは震える手でバッジを受け取った。
ずしりと重い。
それは、信用の重さだ。
「おめでとう、リッカ!これでアンタも『身内』ね!」
真音がバッジをリッカの胸元につけてくれた。
少し曲がっているけれど、それもまた愛おしい。
「…ありがとうございます。このバッジに恥じぬよう、世界中の富をこの塔にかき集めてみせます!」
「期待してるわよ、守銭奴さん」
真音はニカっと笑い、モフモフを撫でた。
◆◇◆◇◆
会議室を出たリッカを、廊下で待っていたルドが出迎えた。
「師匠!どうでしたか!?」
「…バッチリよ」
リッカは胸元のバッジを見せびらかした。
ルドが「おおーっ!」と目を輝かせる。
「すげぇ!幹部バッジじゃないですか!師匠、出世しましたねぇ!」
「ええ。…これから忙しくなるわよ、ルド」
リッカは回廊の窓から、眼下に広がるバベル・ガーデンの全景を見下ろした。
交易市、ホテル、冒険者ギルド。
それらが有機的に繋がり、一つの巨大な経済圏を形成している。
そして、その中心には、あの小さな大家がいる。
「ここは、もっと大きくなる。…私たちが、大きくするのよ」
「はいッ!どこまでもついて行きます、師匠!」
二人は顔を見合わせ、力強く頷いた。
荷物は軽くなったはずなのに、帰り道のリッカの背中には、心地よい「責任」という重みが乗っていた。
修復完了まで、あと少し。
バベル・ガーデンの完全復活へのカウントダウンが、今、始まった。
(第八十一話 完)




