第八十話「大家の探検と、未知との遭遇」
バベル・ガーデン最上層『樹洞の聖域』。
午後のおやつタイム。
こたつに入り、新作の『メロン味スライム・ドロップ』を口に放り込んでいた大家・真音は、不意にむくりと起き上がった。
「…決めた」
「ん?何を決めたんだい、真音ちゃん」
向かいで読書をしていた賢者メルキオラスが顔を上げる。
真音は窓の外、遥か上空へと続く塔の側面を見上げて、ビシッと指差した。
「行く」
「行く?」
「そう。第一〇一層。…ダリウスたちが『お庭』を見つけたんでしょ?私の家の庭なのに、私がまだ見てないなんておかしいじゃない。外周回廊しか行ったことないし」
真音は頬を膨らませた。
先日の探索報告で聞いた『空中庭園』。
巨大な花や、空飛ぶ島のような枝。
そんな話を聞かされて、好奇心の塊である彼女がじっとしていられるはずがない。
「うーん…。でも、まだ安全確認が完全じゃないよ?ダリウスくんたちも苦戦したって…」
「だから何よ。私が誰だと思ってんの?」
真音はフンと鼻を鳴らし、頭の上の熊耳をピーンと立てた。
「世界樹の大家よ?自分の庭を散歩するのに、許可なんていらないわ」
「まあ、そうなんだけどね…」
メルキオラスは困ったように笑い、部屋の隅で丸くなっていた猫――蒼天竜ラズリを見た。
「ラズリ、どう思う?」
ラズリが身を起こした。
「我が君の望みとあらば。…それに、我がついていれば、いかなる魔物も指一本触れさせません」
「ほら!ラズリも行く気満々じゃない!行くわよ、探検隊出発!」
真音はパーカーを羽織り、ポケットにおやつを詰め込んだ。
その瞳は、新しいおもちゃを買ってもらった子供のように輝いていた。
◆◇◆◇◆
第一〇〇層、封鎖ゲート前。
警備兵たちが敬礼する中、真音たちはゲートをくぐり抜けた。
ヒュオオオオオ…。
肌を撫でる風が、下層とは明らかに違う。
湿り気を帯び、濃密な魔力の匂いがする風だ。
「…わあ」
真音は、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
そこは、塔の中とは思えないほど広大な空間だった。
天井は見えないほど高く、遥か上空の裂け目から太陽の光がのどかに降り注いでいる。
足元には世界樹の極太の枝が複雑に絡み合って大地を形成し、そこから無数の植物が生い茂っている。
「すごい…。本当に、庭だ」
人の背丈よりも大きなシダ植物。
七色に発光する苔。
そして、空中に浮かぶ水の球体が、レンズのように光を屈折させて虹を作っている。
「綺麗…」
真音はラズリの背中から飛び降り、ふかふかの苔の上に足を下ろした。
靴底から伝わる感触が柔らかい。
「ここ、本当に私の家の中?」
「そうだよ。数千年の間、誰にも干渉されずに成長した、世界樹の『秘密の部屋』だね」
メルキオラスも、周囲を見回して感嘆の声を漏らす。
「文献でしか見たことのない植物ばかりだ。…これはすごい」
「ねえ見て!あのお花、私の顔より大きい!」
真音はトタトタと駆け出し、巨大な青い花に顔を近づけた。
甘い蜜の香りがする。
『我が君、あまり離れないでください。…気配が濃い』
ラズリが警戒を強める。
美しい景色とは裏腹に、ここは強力な魔物が跋扈する魔境だ。
草陰から、鋭い視線がいくつもこちらを覗いているのが分かる。
「大丈夫よ。…ほら、あの子たちも挨拶してくれてるわ」
真音が指差した先には、木漏れ日の中を舞う巨大な蝶の群れがいた。
羽がステンドグラスのように透き通っている。
「こんにちはー」
真音が手を振ると、蝶たちは警戒することなく、ひらひらと真音の周りを舞い始めた。
世界樹の主である彼女の魔力は、この場の生態系にとって「母なる樹」と同義だ。
敵意など向けられるはずがない。
(…なるほど。ここにある命は全て、世界樹の一部。すなわち、我が君の眷属のようなものか)
ラズリは少し肩の力を抜いた。
ここはおそらく、バベル・ガーデンの中で最も危険で、そして最も真音にとって安全な場所なのかもしれない。
◆◇◆◇◆
しばらく歩くと、景色が少し開けた場所に出た。
膝丈ほどの草が波打つ、草原エリアだ。
「…ん?」
真音の熊耳が、ピクリと動いた。
「何かいる」
「敵!?」
ラズリが即座に身構え、喉の奥で炎を滾らせる。
草むらがガサガサと揺れる。
来るか。ダリウスが報告していた巨大植物か、それとも凶暴な猛獣か。
ガサッ!
飛び出してきたのは――。
「…ぴゅい?」
白い、毛玉だった。
「…え?」
全員の動きが止まる。
それは、ウサギに似ていた。
だが、耳が四つあり、尻尾がフワフワの綿あめのように大きい。
つぶらな瞳で、真音たちをキョトンと見上げている。
「な、なにこれ…」
真音の声が震える。
恐怖ではない。
あまりの愛らしさに、ハートを直撃された震えだ。
「か…可愛いッ!!」
真音はしゃがみ込み、両手を広げた。
「おいで!怖くないよー!」
ラズリが「我が君、油断は禁物です!」と言いかけるより早く、その白い毛玉は「ぴゅい!」と鳴いて、真音の胸に飛び込んだ。
「わっ!」
「ぴゅいぴゅい!」
毛玉は真音のパーカーに顔を擦り付け、甘えるように鳴く。
その仕草は、完全に警戒心ゼロだ。
「くまちゃん!見て!すごいフワフワ!あったかい!」
真音は毛玉を抱きしめ、頬ずりをした。
至福の表情。
頭の上の熊耳が、かつてない速度でパタパタと羽ばたいている。
「ふむ…。これは珍しい。『マナ・ラビット』の亜種かな?」
メルキオラスが近づき、観察する。
「純粋な魔力を主食とする草食獣だね。…真音ちゃんの魔力が美味しそうで、寄ってきたんだと思うよ」
「私の魔力、美味しいの?」
「世界樹の魔力そのものだからね。彼らにとっては最高級のスイーツみたいなものさ」
真音は、懐からスライム・ドロップを取り出した。
「これ食べる?」
毛玉の鼻がヒクヒクと動く。
パクッ。
小さな口でドロップを咥え、モグモグと咀嚼する。
「ぴゅい~♪」
美味しかったらしい。
毛玉は嬉しそうに体を震わせ、さらに真音に擦り寄った。
「…んぐっ」
真音が胸を押さえてうずくまる。
「ど、どうしました我が君!?」
「…可愛すぎて、心臓が痛い」
真面目な顔で言う真音に、ラズリはガクッと膝をついた。
「決めた」
真音は毛玉を高々と持ち上げた。
陽光を浴びて、白い毛がキラキラと輝く。
「この子、飼う!」
「ええっ!?」
メルキオラスとラズリが声を揃える。
「飼うって…ここは上層の魔物だよ?環境が違うし…」
「大丈夫よ!私の部屋も魔力いっぱいだし!それに、この子が私から離れたくないって言ってるもん!」
真音の主張に応えるように、毛玉も「ぴゅい!」と同意する。
主従(?)の意見は一致していた。
「はぁ…。まあ、害はなさそうだし、いいけど」
メルキオラスは諦めたように笑った。
真音がここまで何かに執着するのは珍しい。よほど気に入ったのだろう。
「名前はどうするんだい?」
「えっとね…」
真音は毛玉の感触を確かめるように、もふもふと撫で回した。
「モフモフ!」
「…そのままだね」
「いいの!モフモフしてるからモフモフ!文句ある!?」
真音はモフモフを抱きしめ、クルクルと回った。
「よろしくね、モフモフ!今日からアンタも私の家族よ!」
「ぴゅいっ!」
新しい家族の誕生に、ラズリは少し複雑そうに、しかし主の笑顔を見て満足げに鼻を鳴らした。
(…まあ、ライバルが増えたわけではない。あくまで愛玩動物だ。…我の座は揺るがない、はずだ)
自分に言い聞かせる蒼天竜であった。
◆◇◆◇◆
帰り道。
真音の肩にはモフモフが乗り、ラズリの背中に揺られていた。
「楽しかったねー、モフモフ」
「ぴゅい」
「あそこのお花も綺麗だったし、あの変な鳥も面白かったし」
真音はずっと喋りっぱなしだ。
普段の気だるげな様子が嘘のように、興奮が冷めやらない。
「くまちゃん。…あそこ、面白いね」
「そうだね。まだまだ知らないことがたくさんありそうだ」
「うん。…また来ようね。今度はピクニックセット持って」
真音は大きく伸びをした。
閉ざされていた世界が、少しずつ広がっていく。
自分の足で歩き、自分の目で見つけた「好き」が増えていく。
「…お腹すいた。ヴォルグのご飯食べたい」
「あはは。いっぱい歩いたからね」
ゲートをくぐり、見慣れた石造りの回廊に戻ってきた。
そこには、いつもの日常が待っている。
だが、真音の腕の中には、新しい温もりが一つ増えていた。
「ただいま!」
真音の元気な声が、バベル・ガーデンに響き渡る。
その日の夕食時、食堂に現れた真音が、頭に謎の白い毛玉を乗せているのを見て、兵士たちが「新種の帽子か!?」「いや、動いてるぞ!」と大騒ぎになったのは、言うまでもない。
こうして、バベル・ガーデンの最上層『樹洞の聖域』に、新たなマスコットキャラクター『モフモフ』が加わったのであった。
(第八十話 完)




