第七十九話「上層探索班の結成と、新たな冒険」
バベル・ガーデン第一〇〇層、封鎖ゲート前。
重厚な扉の前で、一人の男が整列した部隊を見渡していた。
元勇者軍・第一重装歩兵団団長、ダリウス。
金髪を短く刈り込み、岩のような肉体に歴戦の傷跡を刻んだ男だ。
彼の前には、選抜された一二名の精鋭たちが並んでいる。元騎士、元魔王軍のオーク、ゴブリンのスカウト、魔法使いのエルフ。
かつては敵同士だった者たちが、今は同じ紋章――世界樹と熊耳の意匠――を胸に刻んでいる。
「諸君。これより我々は、未知の領域へと足を踏み入れる」
ダリウスの声は、腹の底から響く銅鑼のようだった。
「第一〇一層から先は、誰も見たことのない世界だ。どんな魔物が潜んでいるか、どんな罠があるか、保証はない。…だが」
彼は拳を胸に当てた。
「俺たちが道を切り開かなければ、後ろに続く者たちは進めない。この塔の未来は、俺たちの一歩にかかっている。…心してかかれ!」
「「「イエッサーッ!!」」」
轟く喊声。士気は高い。
その様子を、ダリウスの隣で優雅に扇子を仰いでいる男――娯楽部長オズワルドが見ていた。
「フン。暑苦しい演説だ。…だが、嫌いではない」
「頼りにしているぞ、参謀殿。…魔物の知識に関しては、俺たちよりあんたの方が上だ」
「任せたまえ。元魔王軍作戦立案室長の頭脳、存分に使ってくれ」
オズワルドが不敵に笑う。
元敵同士の奇妙なバディ。だが、背中を預けるに足る実力者だ。
「では、開門!」
ダリウスの合図と共に、待機していた賢者メルキオラスが魔法陣を展開した。
ズズズズズ…ッ!
数千年の時を経て、封印されていた扉が、重々しい音を立てて開き始めた。
◆◇◆◇◆
扉の向こうから吹き抜けてきたのは、意外なことに「湿った温かい風」だった。
「…これは」
ダリウスは松明を掲げ、息を呑んだ。
そこは、彼らが想像していた薄暗いダンジョンではなかった。
広大すぎる空間。
天井は遥か高く、どこからか差し込む光で昼間のように明るい。
そして、視界を埋め尽くすのは――緑だ。
「森…?いや、庭園か?」
世界樹の太い枝が複雑に絡み合い、それが大地となって空中に浮遊している。
見たこともない巨大なシダ植物や、極彩色のアジサイのような花が咲き乱れ、空中を流れる水路が滝となって降り注いでいる。
「『空中庭園』…。古代の文献にあった記述通りだ」
オズワルドが眼鏡を光らせ、周囲を警戒しながら進む。
「美しいな。…だが、油断するなよ」
「分かっている。美しい花ほど、毒があるものだ」
ダリウスは剣を抜き、慎重に足を踏み出した。
一歩、また一歩。
静寂。聞こえるのは水音と、自分たちの足音だけ。
ザッ。
先頭を歩くゴブリンのスカウトが、右手を挙げた。
停止の合図。
「…何か、いるであります」
「方向は?」
「上…いや、全方位!」
その瞬間。
ガサガサガサガサッ!!
周囲の植物が一斉にざわめいた。
「総員、防御陣形ッ!」
ダリウスが叫ぶと同時に、地面――いや、巨大な枝の床から、無数の「槍」が突き出した。
それは、鋭利な棘を持った、太い蔦だ。
「うわぁっ!?」
「盾を構えろ!弾け!」
ガギンッ!ドゴォッ!
重装兵たちが盾で蔦を受け止めるが、その衝撃で数メートルも後退させられる。
馬鹿げたパワーだ。
「キシャアアアアアアッ!!」
頭上の枝葉が割れ、巨大な影が降ってきた。
それは、巨大な食虫植物のような花弁を持ち、無数の触手を操る怪物――『キラー・ラフレシア』だった。
「デカい…!五メートルはあるぞ!」
「騎士隊!前衛を固めろ!魔族部隊は側面から牽制!」
ダリウスが瞬時に指示を飛ばす。
彼の剣が閃き、迫りくる触手の一本を切り落とす。
だが、切断面から即座に新しい触手が生えてくる。
「再生能力持ちか!厄介な!」
「炎だ!植物には火が効く!」
魔法使いのエルフが火球を放つ。
ドォン!
花弁の一部が燃え上がるが、怪物は悲鳴を上げるどころか、さらに凶暴化した。
燃える触手を振り回し、暴れまわる。
「なっ!?痛みを感じないのか!?」
「違う、奴は本体ではない!」
後方で戦況を分析していたオズワルドが叫んだ。
「隊長!あれを見ろ!奴の根元だ!」
オズワルドが指差した先。
怪物の根元、太い茎が地面に埋まっている部分に、ドクン、ドクンと脈打つ赤い核が見えた。
「あれが心臓部か!…だが、触手が邪魔で近づけん!」
「私が道をこじ開ける!その一瞬を突け!」
オズワルドが懐から数枚の札(呪符)を取り出し、空中に放った。
「闇よ、鎖となりて縛めよ!『暗黒拘束』!」
地面の影が実体化し、黒い鎖となって怪物の触手に絡みついた。
ギチチチッ!
怪物の動きが止まる。数秒の猶予。
「今だッ!!」
ダリウスは地を蹴った。
全速力での突進。
盾で燃え盛る触手を弾き飛ばし、懐へと潜り込む。
「おおおおおッ!!」
渾身の力を込め、剣を突き出す。
狙うは一点、赤く脈打つ核!
ズプッ!!
嫌な手応えと共に、剣が深々と突き刺さった。
「ギィ…ギョエェェェェェェッ!!!」
断末魔の叫び。
怪物は激しく痙攣し、やがてドロドロと溶けるように崩れ落ちた。
再生はしない。完全に沈黙した。
「…はぁ、はぁ。…状況終了」
ダリウスは剣を引き抜き、血振るいをして鞘に納めた。
周囲を見渡す。
負傷者はいるが、死者はいない。
「怪我人の手当てを急げ!ポーションを惜しむな!」
「はっ!隊長、これを!」
ゴブリン兵が、怪物の残骸の中からキラリと光るものを拾い上げた。
拳大の、翠色の魔石だ。
さらに、周囲には見たこともない果実や、魔力を帯びた薬草が自生している。
「…宝の山だな」
オズワルドが眼鏡の位置を直しながら近づいてきた。
「下層とは魔力濃度が違う。ここに生えている草一本でも、市場では金貨になるぞ」
「ああ。だが…命がけだ」
ダリウスは汗を拭い、天井を見上げた。
美しい庭園。だが、そこは死と隣り合わせの魔境だ。
「行くぞ。これ以上の深入りは危険だ。…まずはこの成果を持ち帰る」
「賢明な判断だ」
探索班は隊列を組み直し、撤退を開始した。
その足取りは重いが、確かな「手応え」を掴んでいた。
◆◇◆◇◆
総務室。
帰還したダリウスとオズワルドの報告を聞き、総務部長ルミナは息を呑んだ。
「…やはり、一筋縄ではいきませんか」
「ああ。下層の感覚で挑めば全滅する。…だが」
ダリウスは、持ち帰った魔石と素材をテーブルに並べた。
「見返りはデカい。この魔石一つで、下層の魔物一〇〇匹分に相当するエネルギーがある。それに、この果実は…」
「新種の『浮遊果実』か。食べると一時的に体が軽くなる効果があるらしい」
オズワルドが補足する。
「リスクはあるが、それを補って余りあるリターンだ。…冒険者たちも、目の色を変えるだろうな」
「…分かりました」
ルミナは頷き、すぐにタブレットで『上層攻略ガイドライン』の作成に取り掛かった。
「パーティーランクB以上限定。さらに、必ず複数パーティでの連合を推奨する形にしましょう」
「ああ、それがいい。…俺たちも、もっと練度を上げねばな」
ダリウスは拳を握りしめた。
かつての戦場とは違う。
だが、ここには新しい「戦い」と、守るべき「未来」がある。
その時。
ヒュンッ。
空間転移で、大家の真音が現れた。
「――お帰り」
彼女はテーブルの上の変な果実を手に取り、興味深そうに眺めた。
「これ、上のお土産?」
「は、はい!毒性はありませんが、まだ味見は…」
ダリウスが止める間もなく、真音はガブリと齧った。
「ん!…酸っぱい。けど、なんかシュワシュワする」
次の瞬間、真音の体がふわりと宙に浮いた。
「わっ!?浮いた!」
「浮遊果実ですからね…」
天井付近でパタパタと手足を動かす真音を見て、ダリウスたちは顔を見合わせ、ドッと笑った。
張り詰めていた空気が緩む。
「…面白いわね、上層」
真音は天井からぶら下がりながら、ニカっと笑った。
「ダリウス、オズワルド。…よくやったわ。褒めてあげる」
「はッ!光栄です!」
ダリウスは最敬礼をした。
かつて王に仕えた時よりも、今の敬礼の方が、誇らしく感じられたのは気のせいだろうか。
こうして、バベル・ガーデンの「上層」への道が開かれた。
それは、新たな富と、新たな冒険の幕開けであった。
(第七十九話 完)




