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第七十八話「賢者の提案と、上層開放計画」

 バベル・ガーデン、総務室・大会議室。


 円卓を囲む幹部たちの表情は、いつになく引き締まっていた。


 いや、一人だけ例外がいる。


「…んー、このクッキー、ちょっと湿気てない?」


 上座で紅茶を啜りながら不満を漏らすのは、エプロンドレスの少女――大家、真音だ。


 頭の上の熊耳が、湿気への不快感を表すようにペタリと寝ている。


「申し訳ありません、大家様。昨夜の湿度が予想以上に高く…」


「まあいいわ。次はちゃんと保管してね」


 真音の横で、賢者メルキオラスが、パンと短い手を叩いた。


「さて、おやつ談義はその辺にして。…今日は重要な提案があるんだ」


 メルキオラスのビーズの瞳が、鋭い光を帯びる。


 場の空気が一瞬で切り替わった。


「現在、冒険者に開放しているのは第一層から第一〇〇層までの『下層エリア』だ。…ここ数ヶ月の運営実績は順調そのもの。そろそろ、『次』へ進むべき時だと思う」


 メルキオラスは、ホワイトボード(魔力スクリーン)に塔の断面図を投影した。

 彼が指し棒で示したのは、現在開放中のエリアのさらに上。


「第101層から第200層…通称『中層エリア』の開放を提案する」



◆◇◆◇◆



 ざわっ、と会議室が揺れた。


「中層…ですか」


 最初に口を開いたのは、総務部長ルミナだ。


 彼女は眼鏡を押し上げ、手元のタブレットで即座にデータを呼び出した。


「確かに、下層の探索率はすでに八〇%を超えています。冒険者たちからは『もっと手応えのある場所はないか』という要望も上がっていますが…」


 ルミナの眉間に皺が寄る。


「リスクが大きすぎます。一〇〇層より上は、環境が激変する『魔境』です。下層とは魔物の強さも、トラップの凶悪さも桁違いだ」


「そうだね。だからこそ、価値がある」


 メルキオラスは平然と答える。


「未知の領域、手付かずの秘宝。…冒険者にとって、これ以上の餌はないよ」


 その言葉に、反応した者がいた。


「賛成です!」


 勢いよく挙手したのは、牧場長アレクセイだ。

 その瞳は少年のようにキラキラと輝いている。


「中層は独自の生態系が保たれているはずです!まだ見ぬ新種のスライムや、可愛い魔獣がいるかもしれません!保護して牧場で育てれば、新たなドロップ製品の開発に…!」


「食えるのか?」


 低い声で割り込んだのは、総料理長ヴォルグだ。


 彼は腕を組み、肉食獣の笑みを浮かべている。


「未知の生物ということは、未知の『味』ということだ。…ここ最近、食材のラインナップがマンネリ化していたところだ。新しい肉、新しい野菜…料理人として血が騒ぐ」


「相変わらずだな、貴様らは」


 呆れたように吐き捨てたのは、魔王ガルシスだ。


 彼は不機嫌そうにパイプ椅子をきしませた。


「私は反対だ。…いや、慎重論を唱える」


「ほう?魔王様が怖気づいたか?」


「違うわ!インフラの問題だ!」


 ガルシスが机をバンと叩く。


「一〇〇層分の配管点検が増えるのだぞ?ただでさえホテルの給湯で手一杯だというのに。…開放するなら、配管班の人員増強と、ボイラーの出力アップが絶対条件だ」


「それについては、ドワーフのグンター君と協力して新型の『魔導ポンプ』を設計中だ。人員も、今回の売上増で新規雇用できるよ」


 メルキオラスがさらりと返す。


 外堀は埋められていた。


「フン…。なら、文句はない」


 ガルシスが矛を収めると、今度は娯楽部長オズワルドが優雅に扇子を開いた。


「我輩としても賛成であるな。『より高く、より困難へ』。これぞ冒険譚の王道。…中層攻略の様子を『魔法映像』で中継すれば、最高のエンターテイメントになるであろう」


 賛成三、条件付き賛成一、慎重派一。


 流れは決まりつつあった。


 だが、ルミナはまだ渋い顔をしている。


「…皆様の意見はもっともですが、万が一、強力すぎる魔物が暴走して下層へなだれ込んだら?あるいは、冒険者が全滅するような事態になれば、バベル・ガーデンの評判に関わります」


 管理責任者としての正論。


 重苦しい沈黙が降りた。


 その時。


「――行けばいいじゃない」


 それまで黙ってクッキーの粉を集めていた真音が、顔を上げた。


「大家様?」


「だって、面白そうだし」


 真音は頬杖をつき、ニカっと笑った。


 その笑顔には、不安など微塵もない。あるのは純粋な好奇心だけだ。


「見たことない景色、食べたことないお肉、変な生き物。…ワクワクするじゃない」


「ですが、危険が…」


「危なかったら、私が守ってあげるわよ」


 真音は、当然のことのように言い放った。


「ここは私の家よ?庭の奥を探検するのに、ビクビクしてどうすんの。…それに」


 彼女は窓の外、遥か上空へと続く塔の側面を見上げた。


「私、行ってみたいのよ。…あそこには、どんな風が吹いてるのか」


 その言葉に、ルミナはハッとした。


 そうだ。この少女は、数千年の間、ずっと狭い樹洞の中に閉じこもっていたのだ。


 自分の家の広さを、豊かさを、彼女自身が知りたがっている。


 それを止める権利など、誰にあるだろうか。


「…分かりました」


 ルミナは小さく息を吐き、そして覚悟を決めたように眼鏡を光らせた。


「ただし!無制限の開放は認めません!」


 彼女の指がタブレットの上を高速で走る。


「まずは第一〇一層から一二〇層までの『先行開放』とします。事前に我々の精鋭部隊(ギズモ隊とアレクセイ隊)による安全確認とマッピングを行い、危険度ランクを策定。…その上で、一定ランク以上の冒険者にのみ許可証を発行します」


「うんうん、それでいいよ」


 メルキオラスが満足げに頷く。


「さすがルミナくん。話が早いね」


「貴方が丸投げするからでしょう!」


 ルミナがキッと睨むが、その口元は僅かに緩んでいた。


 新しい仕事。新しい挑戦。


 彼女もまた、心の底ではワクワクしていたのだ。


「よーし、決まりね!」


 真音は立ち上がり、大きく伸びをした。


「私も行く!探検隊、結成よ!」


「えっ、大家様もですか!?」


「当たり前でしょ。一番乗りは大家の特権よ」


 真音は胸を張り、熊耳をピーンと立てた。


「ヴォルグ、お弁当よろしく!お肉いっぱい入れてね!ガルシス、お湯沸かしといて!」


「「「イエッサー!!」」」


 幹部たちが一斉に敬礼する。


 会議室は一瞬にして、遠足前の教室のような熱気に包まれた。


「やれやれ…。私の胃が休まる日は来ないようですね」


 ルミナは頭を抱えつつも、スケジュール帳に『上層探索』の予定を書き込んだ。


 その筆圧は、いつもより少し強かった。


 未知への扉が開かれる。


 バベル・ガーデンの「拡張」は、物理的な広さだけでなく、彼らの世界そのものを広げていく。


 次の階層には、何が待っているのか。


 誰もが期待に胸を膨らませ、準備に取り掛かるのであった。


(第七十八話 完)

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