第七十三話「総務部長の改革と、デジタル化の試み」
バベル・ガーデン、総務部長執務室。
そこは今、白い地獄と化していた。
バサァッ…!ドササササッ!
「…報告書。承認。…請求書。却下。…嘆願書。保留」
書類の雪崩の中から、一本の白い腕が突き出している。
総務部長ルミナだ。
彼女はペンの動きだけで音速を超えんとする勢いで、次々と羊皮紙の山を処理していた。
「…限界です」
ポキッ。
愛用の万年筆が、悲鳴を上げて折れた。
「冒険者の受け入れ、宿泊施設の稼働、交易市の売上管理、牧場の在庫チェック…!物理的な『紙』での管理は、もはやキャパシティを超えています!」
ルミナは髪を振り乱し、血走った目で天井を仰いだ。
このままでは、バベル・ガーデンは書類の重みで圧死する。
いや、その前に私が過労死する。
「…変えなければ。この塔のオペレーティング・システムそのものを!」
聖女の仮面を脱ぎ捨てたルミナは、鬼気迫る形相で立ち上がった。
◆◇◆◇◆
一時間後。
ルミナは賢者メルキオラスの研究室に駆け込んでいた。
「賢者様!助けてください!」
「おや、珍しく取り乱しているね」
メルキオラスは、悠長に寝転がっていた。
「単刀直入に言います。…『情報の即時共有』と『ペーパーレス化』を実現する魔導具を作ってください。納期は昨日です」
「昨日って…終わってるじゃないか」
メルキオラスは苦笑したが、ルミナの殺気に気圧され、真面目な顔に戻った。
「でも、言いたいことは分かるよ。組織が大きくなりすぎて、伝達速度が追いついていないんだね」
「はい。伝令兵が階段を走る時代は終わりました。もっとこう、魔法的にパパッと!」
「ふむ…」
メルキオラスは顎に手を当て、空中に複雑な魔法陣を描き始めた。
「遠隔通話の応用で、文字情報を飛ばすことは可能だ。問題は表示媒体だけど…ミスリルとクリスタルを積層させた『魔導粘板』ならいけるかな」
彼の黒い瞳が、科学者の光を帯びる。
「…面白い。やってみようか、ルミナくん。バベル・ガーデンのインテリジェンス・テクノロジー革命だ」
◆◇◆◇◆
数日後。
総務室の会議テーブルに、幹部たちが招集された。
彼らの目の前には、見慣れない「黒い板」が置かれている。
A4サイズほどの、艶やかな黒曜石のような板だ。
「なんだこれは?新しいまな板か?」
総料理長ヴォルグが、板をコンコンと叩く。
「違うぞ料理長。この滑らかさ…風呂場のタイルに最適ではないか」
温泉部長ガルシスが、表面を撫で回す。
「いいえ。これは『魔導タブレット』です」
ルミナが黒板の前で指示棒を振るった。
「これより、バベル・ガーデン内の業務連絡、発注、報告は、全てこの端末を通じて行います。紙の書類は本日をもって廃止とします!」
ええええええっ!?
おっさんたちの悲鳴が響く。
「む、無理だ!私は筆と羊皮紙しか信じない!」
「俺の指はバルブを回すためにあるんだ!こんな繊細なガラス細工、触ったら割れる!」
アナログ世代の抵抗。
だが、ルミナの目は冷徹に光っていた。
「却下します。…さあ、起動してください。右上の魔石に魔力を流すのです」
しぶしぶと、幹部たちが指を添える。
ヴォン…。
板の表面に淡い光が走り、文字が浮かび上がった。
『ようこそ、バベル・ネットワークへ』
「おおっ!光った!」
「文字が出たぞ!魔法か!?」
「魔法ですね。スマホと似たようなもんじゃないですか?」
牧場長アレクセイだけは、比較的順応が早かった。
「なるほど、指でなぞると画面が動くんですね。…牧場のスライム管理に使えそうです」
「さすが牧場長。飲み込みが早いですね」
ルミナが褒めると、他の二人も対抗意識を燃やし始めた。
「ぬぐぐ…!負けてたまるか!ええい、ここを押せばいいのか!?」
バギッ。
ガルシスの指が画面にめり込み、ヒビが入った。
「あ」
「魔王様ァァァッ!!出力!出力を絞ってください!それは敵の装甲板ではありません!」
ルミナの絶叫。
前途多難なデジタル化への道が、ここに幕を開けた。
◆◇◆◇◆
それから一週間。
バベル・ガーデン内では、奇妙な光景が見られるようになった。
「えーと、人差し指で…スッ、スッ…」
廊下の隅で、巨体のオーク・ロード、ヴォルグが、小さなタブレットを拝むように持ち、必死に指を動かしている。
「…送信!」
ポーン。
軽快な音が鳴る。
『厨房より総務へ。本日の野菜、納品完了』
そのメッセージが、遠く離れた総務室のルミナの端末に即座に届く。
『総務より厨房へ。確認しました。…ヴォルグ料理長、入力速度が上がりましたね』
『ガハハ!当然だ!包丁捌きと同じ要領よ!』
文字入力(フリック入力に近い魔法操作)をマスターしたヴォルグは、今やタブレット中毒になりかけていた。
一方、ボイラー室。
「異常圧力感知!エリア4!」
ガルシスの手元の端末が赤く点滅する。
以前なら伝令が走ってくるところだが、今はセンサーが自動で異常を通知してくる。
「早いな。…ドルフ、エリア4だ!現場へ急行せよ!」
『へい!もう向かってますぜ!』
通信機能での即応。
トラブルへの対処時間は、劇的に短縮されていた。
「…フン。悪くない」
ガルシスは画面のヒビ(修理済み)を撫でながら、ニヤリと笑った。
この即時性こそ、戦場を知る者が求めるものだ。
◆◇◆◇◆
そして、最上層『樹洞の聖域』。
こたつに入った真音の手にも、一台のタブレットが握られていた。
「へえー。これ、面白いね」
彼女は画面を指で弾き、次々とページをめくっていく。
表示されているのは、『本日のオススメ・スイーツ一覧』だ。
「ヴォルグの新作プリン、残り三個だって。…ポチッとな」
画面上の『注文』ボタンを押す。
数秒後。
『承りました、大家様!直ちにお持ちします!』
ヴォルグからの返信がポップアップし、可愛いスタンプ(オークが親指を立てている絵)が表示された。
「あはは!なにこれ、ヴォルグの顔?」
真音はケラケラと笑い、頭の上の熊耳を揺らした。
「便利だね、これ」
「気に入ってくれたかい?」
メンテナンスに来ていたメルキオラスが尋ねる。
「うん。…それに、これがあれば」
真音は画面を操作し、『牧場ライブカメラ』の映像を呼び出した。
画面の中で、アレクセイがスライムに追いかけ回されている様子が映し出される。
「部屋にいながら、みんなの様子が見られる」
彼女は画面を優しく撫でた。
これまではモニターをわざわざだすか、総務室に行かなければ見れなかった光景だ。
広い塔の中で、それぞれが働いている。
離れていても、繋がっている実感。
「…寂しくないね」
ボソリと呟く真音。
メルキオラスは優しく目を細めた。
「そうだね。これはただの道具だけど…心を繋ぐ糸にもなる」
「ふん。…ま、暇つぶしにはなるわ」
真音は照れ隠しにタブレットを置き、ゴロンと横になった。
その画面には、ルミナからのメッセージが届いていた。
『大家様、本日もお疲れ様です。明日の天気は晴れ。絶好のお洗濯日和ですよ』
業務連絡ですらない、何気ない一言。
それが、真音の口元を緩ませた。
◆◇◆◇◆
総務室。
夕暮れ時、ルミナのデスクの上は、かつてないほど片付いていた。
紙の山はない。
あるのは、静かに光る一台のタブレットだけ。
「…終わりました」
ルミナは伸びをした。
定時退社。
この塔に来てから、初めて迎える奇跡の瞬間だ。
「素晴らしい…!これが文明!これが効率化!」
彼女は感動に打ち震えながら、カバンを手に取った。
「今日は…ゆっくりお風呂に入って、本でも読みましょうか」
ルミナは軽やかな足取りで部屋を出た。
廊下ですれ違う兵士たちも、タブレット片手に業務連絡を交わしている。
戸惑いは消え、新しいシステムは完全に日常の一部となっていた。
改革は成功した。
魔法と賢者の知識の融合は、バベル・ガーデンに「余裕」という名の果実をもたらしたのだ。
ただし。
翌日、真音がタブレットの『全館放送ボタン』を誤って押し、「お腹すいたー!」という絶叫が塔全域に響き渡るという放送事故が起きるのは、ご愛嬌である。
(第七十三話 完)




