西糖家のお正月2
リビングで両親とつまらない話をしているよりはよいだろうと、高校の時の友達と連絡が取れたことにしてミチルは一人で家を出た。
風は冷たいが、天気は快晴、雲もなく気持ちのいい天気だった。
夕飯を食べてから帰ると言って出てきた都合上、このままハナハナに戻るわけにもいかない。仕方なく近くの商店街に向かうが、さすがに正月2日目、観光地でもないこの町では開いている店は少ない。
ミチルは商店街を抜けると、近くの神社に足を向けた。子供のころにはその神社の境内でよく遊んだものだった。
何時もなら人気のない神社も、さすがに正月ともなると人が出ている。なぜか甘酒を売っていたので、お賽銭をあげ、手を合わせた後にその甘酒を買った。断熱性のある紙コップを受け取り、近くのベンチに腰を掛ける。
さてどうしたものか。
今日のことではない、これからのミチルの身の振り方だ。家族に会えば少しは気持ちの整理が付くかと思ったのだが、別段何も変化は無かった。戸籍を抹消する理由を説明して、説得しようかとも思っていたのだが、それも意味が無い気がしてきた。あの両親にとって、わたしの存在はそれほど重要なことではないような気がする。
紙コップの甘酒を口にすると、麹の甘さが広がり、米の粒が口に残る。酒粕ではない麹から作る甘酒を飲むのは何年ぶりだろうか。子供の時に母親に作ってもらって、美味しくないとがっかりした記憶がよみがえる。
ふと誰かに見られているような気がして顔を上げると、どこかで見た顔と目が合った。枯茶色の髪の戸惑った表情にそのまま知らぬふりをすればよかったのだが、しっかり見直したのが失敗だった。
「…あなた、確かハナハナに入った新しい娘よね」
「あ、はい」
彼女はミチルの前まで歩み寄って来ると、不思議そうな顔で覗き込んでくる。
「この辺に住んでいるの?」
「いえ、親戚の家が近いんで。近くに寄っただけです」
「ふーん…」
なんなんだこの娘は。
えーっと、確か以前サキュバスの衣装を修理に来ていた、ちょっと怖い感じがしていたお客さんだ。
「店ではお話ししなかったわね。梓っていうのよ。よろしくね」
「あ、ミチルです」
梓は周りを確認する。
「あなた、不思議なこと言うのね。普通私たちに親戚なんて無いはずなんですけど。まぁいいわ、私は詮索をしに来たわけじゃないんだから」
そうか、サキュバスに親戚なんてあり得ない話だ。どう言い訳をしようかとミチルはt考えたが、梓はそれ以上その点に触れてくることはなかった。
「妖子さんって、とっても怖い人でしょ。どうしてあんなところで働こうと思ったのかしら。ああ、ごめんなさい。詮索するつもりじゃないのよ。ただ私の感想を言っているだけだから聞き流しておいてね」
いつの間にか梓は遠い目をして周りの景色を見ていた。
「言葉はきついけど、良くしてもらってますよ。あれで色々と気も使ってくれてますし」
妖子さんのことを説明する内容が、なぜか紅音さんの受け売りになってしまっている。
「あら、そうなの。ちょっと意外なのね。私は愛想笑いの一つすら見たこと無いけど、そういうものなのかしら」
「仕事してるときは、いつでもそんな感じですよ」
それにしても店で見た時の印象とはずいぶん違う。皮肉っぽさが一切感じられない。
「梓さんは何をしてたんですか?」
「ああ、私? 私はただのお散歩よ。こんなにいい天気だと、お家の中に居たんじゃもったいないじゃない。それに外に出たおかげでこうして貴女にも会えてお話もできたわけだし」
お話しできたとかって、どう反応すればいいのだろうか?
「そういえば梓さんの衣装はきれいな赤でしたね。私はみんな黒いものかと思ってたんですけど…」
話題を変えようと、ハナハナで見た梓の衣装の話を持ち出したところで、ミチルは不用意なことを口走ってしまった事に気が付いた。自分がサキュバスの衣装の常識を知らないことを露呈してしまったのかもしれない。
「そうね、確かに黒い衣装が多いでしょうね。ミチルさんの衣装はどんな色なのかしら?」
梓は人差し指を立てて自分の唇に当てた。
「…真っ黒ですね」
って、まだ出来てないんですけど。
「やっぱりそうなのね。でも実際にはどんな色にしても、ちゃんと見てもらえる事は無いのよ。それなら自分の好みで良いと思わない?」
「見つかりそうで怖い気もしますけど…」
確かに認識阻害が働くので視認されないとは聞いているけれど、本当に大丈夫なのだろうか? そこを聞いてみたい所だが、その場は我慢して後で妖子さんに確認してみることにした。
「フフフ、その位のスリルがあった方が面白いじゃない」
梓は悪戯っ子のような顔になって小さく笑う。
「私はこの近くに住んでいるのよ。また縁があったらお会いしましょうね」
梓は小さく手をあげて歩み去った。
たまたま見知った顔があったから話しかけてきた。本当にただそれだけのようだった。
ミチルは空になった紙コップを手に、立ち上がった。梓との会話に、すっかり毒が抜かれた感じになってしまった。
「ただいま」
ミチルが西糖家に帰宅したのは4時過ぎになっていた。
「どこまで行ってきたんだい」
「高校の時の友達に会ってきただけよ…」
母親の質問に大きな意味は無い。とりあえず外から帰宅した娘への決まり文句のようなものだ。ミチルが適当にごまかした言葉に対し、深く問いかけることも無い。
リビングには誰も居ない。ミチルは台所に回って自分の分のお茶を用意するとリビングに戻った。
テーブルの上は、お昼に減った分の『おせち』が補充されて綺麗に並べ直してあった。テレビも消え、母親が台所で片づけをしている音だけが聞こえてくる。
ミチルは一人お茶を飲みながら『おせち』をつまみ、舌鼓を打った。誰にも気を遣わずくつろげる貴重な時間だ。
「なんだ、姉ちゃん帰ってたんだ」
リビングの前を通った陽大はミチルの向かいに座ると、蒲鉾に箸を延ばした。
「どこ行ってきたの?」
「阿波神社。甘酒売ってたわよ」
「へぇ。そうなんだ…」
「陽大、魚系、何も食べてないでしょ…」
「…うるさいな。姉ちゃんだって酢だこ食べてないくせに」
他愛のない姉弟の会話が続く。
「それで勉強のほうはどうなの? 模試の結果とか出てるんでしょ」
「なんだよ、急にそんな話するなよな。一応ぎりぎりって感じだけど…」
「それって、さっき言ってた農大のこと?」
「…、そうだよ。あんまり言うなよ」
「陽大。まだそんなこと言ってるのかい」
母親が棘のある声で割り込んできた。
チッと陽大が舌打ちをして箸を置いた。
「だから言うなって言ったのに」
ミチルが台所のほうを見るが、母親がこちらに入ってくる様子は無い。
「陽大、ちゃんと話してないの?」
「…したけど、全然聞いてくれないんだよ」
ミチルはため息をついて立ち上がる。
「母さん、陽大にもまた同じことやってるわけ」
ミチルが声をかけても返事は無い。
「陽大には陽大の人生があるのよ。母さんの時代とは違うんだから」
「農大なんてそんな汚い所行かせられるわけないだろ。そんなところに行かせる金は無いよ」
「わたしの時は、女がする仕事じゃないだったわよね。どっちもただ母さんの好みの問題じゃないの?」
腸が煮えかえる思いのミチルだったが、そこはぐっと抑えて感情を声に乗せないようしたが、母親からの返事は無かった。
「陽大、母さんと話するからあんたは部屋に戻ってて」
そのあと1時間程度、母親と2人で陽大の所来の進路の話をしたが、結局母親の機嫌が悪くなるだけで母が歩み寄ってくれることはなかった。
決め台詞は『そんなところに行くならお金は出さない』で、これはミチルが進学を決めた時と全く同じだった。そのためにミチルは公立の大学を選び、奨学金とアルバイトの生活を強いられたのだ。弟に同じ苦しみを与えたくはない。
「それなら、わたしが陽大の学費を持てばいいわけね」
「あんたが、そうしたいなら勝手にそうすればいいわ。あたしはびた一文出さないよ」
「解ったわ。じゃ、陽大にはそう伝えるからいいわね」
答えは話が始まったときに最初から判っていたことだった。この1時間は今後母親に絶対に口を出させないための手続きと言ってよかった。
ミチルは不機嫌の塊と化した母親を置いて陽大の部屋に向かった。
「陽大、ごめん。母さんはだめだったわ」
「別にいいよ。姉ちゃんのせいじゃないし」
陽大はベッドの上に腰を掛け、気にしていない素振りをしているが、その目は赤い。
「良くないわよ。それで母さんはだめだったけど、学費をわたしが出せばいいって確約は取ってきたわよ」
陽大の目が大きく見開いた。
「なんだよそれ。そんなこと出来るわけないじゃないか」
「何言ってるの。姉ちゃんを舐めるんじゃないわよ。その位余裕なんだからね」
ミチルは陽大の横に腰を掛けた。
「お金の心配はしなくていいから。あんたは頑張りなさい」
そう言って陽大の頭を抱く。
ミチルは自分が今後、西糖家に関われないことを知っている。ここで言っている、お金を残すことしか出来ないことが心苦しかった。




