西糖家のお正月1
「ただいまぁ」
玄関を開けるときにいつも思うこと。わたしの挨拶は『ただいま』が正しいのか、それとも『ごめんください』が正しいのだろうか? 過去においても西糖家に未千流の居場所は無かったように思う。ましてや今ここにいるのはサキュバスになった橘ミチルなのだ。
「あら早かったじゃない」
奥の台所から母さんの声が聞こえた。
「昼前には着くって、連絡しといたでしょ」
当たり前の母娘の会話に聞こえるが、直接会話をするのは半年ぶり位だろうか。
「どうせなら、正月じゃなくて年末に来て手伝って欲しかったわ。お節食べて帰るだけなんて都合よすぎよ」
暖簾から顔を覗かせた母親は、笑顔で嫌味を吐いてくる。
玄関で靴を脱ぎ、コートを手にしたままリビングに向かう。ソファに座ってテレビの正月番組を見ている父親に、お土産の『カエルまんじゅう』を差し出す。
「はい、お土産」
今回の帰省は、名古屋から帰ってきたということにしてある。事前に名古屋の名物を調べて、甘いもの好きの父親に合わせて取り寄せておいたのだ。
「お土産なんて無駄なものはいらないって言ってるだろう」
そう言いながらも、ニマニマしながら紙袋の中身をしっかりチェックするところが父らしい。家の中でもスーツを着ている所も変わらないが、本人に言わせれば暖かくて良いということらしい。
「陽大は?」
「部屋でゲームでもやってるんじゃないのか」
「ふーん、なら見て来るね」
そう言ってミチルは陽大の部屋に向かった。
陽大の部屋は階段を上がって2階の手前の部屋。その隣がミチルの部屋だったのだが、今はどうなっているのやら。陽大の部屋に行く前にドアを開けて覗いてみる。
既にミチルが生活していた痕跡はどこにも残っていなかった。残していった荷物は押し入れにでも入れてあるのだろうか。
代わりに部屋は鉄道模型とジオラマで埋まっていた。父親が趣味にしていたのは知っていたが、ミチルが出ていったのを良いことに占領したのだろう。ほかにも段ボールやら何やら、とりあえず隙間なく物が詰め込んである。
ミチルは小さくため息をついてドアを閉めた。
隣のドアを小さくノックをして弟の名前を呼ぶ。
「陽大、起きてるの?」
ごそごそと部屋の中で弟が動く音がしてから、ドアが中から開かれた。パジャマでも着ているかと持っていたが、意外なことにスウェットとジーンズという、そのまま外に出られそうな服を着ていた。
「何だよ、姉ちゃん遅いじゃないか。もっと早く来ると思ってたのに」
「母さんには早かったって言われたわよ、はいアンタにもお土産」
「何だよこれ」
陽大は渡された小さな紙袋を躊躇なく引き裂いた。
「おい、嘘だろこれ…」
「何よ、文句あるの。あんた昔欲しがってたじゃないの」
「昔って何時のことだよ」
陽大があきれ顔でつまんでいるのは、金の鯱のキーホルダー。当然こちらも通販で買ったものだ。弟用には無理に買わなくてもよかったのだが、小学校2、3年生の頃にお城にはまっていたのを思い出したのだ。もちろんこの歳でそんな物を喜ぶとは思っていない。ミチルなりの洒落である。
「それで、陽大は何やってたの?」
「何って、勉強だよ」
「あら、意外ね。正月から勉強なんて。勉強嫌いだったくせに」
「だって、姉ちゃん来るの遅いんだよ。下行って父さんとテレビ見てたって話なんか無いし、重いんだよ」
「本当よね、お父さんと2人で正月番組見ててもつまらないわよね」
ミチルも苦笑いをする。
「ところでどんな勉強やってるの?」
「今は英語、苦手なんだよね。姉ちゃんに教えてって言ったところで、どうにもならないし」
「そりゃね、ちょっと聞いてどうこうなるようなものじゃ無いでしょうね」
ミチルは部屋の中に入ってベッドの上に腰を掛けた。
「思ったより片付いてるのね」
「余計なお世話だよ」
嫌がるかと思っていたのだが、ミチルが部屋に入っても陽大は気にしていないようだ。部屋の中には荷物や衣類があちこちに置かれているが、散らかり放題というわけでもない。机の上には先ほどまで勉強していたのであろう、英語の参考書が開かれたままだった。
「ふーん、陽大はどこ受けるわけ。もう願書出したの?」
「願書はこれからだけど、どうしようかなって。母さん嫌がってて…」
「何その嫌がるってのは? アニメでも行こうとしてるわけ?」
「そんなんじゃないよ、農大って言ったらスッゲー嫌がられたんだ」
「へぇ、意外ね。農業なんて興味あったんだ」
「そうじゃなくて、獣医とかってそっち系」
「あらそうなんだ。しっかり将来考えてたのね。でもそう言うのって倍率高いんじゃないの?」
「そうなんだけどね…。それより母さんはそもそもそういうの嫌いらしいから…」
「まったく、相変わらずね…。わたしの時も大反対だったからね」
「ほんと、姉ちゃん時は喧嘩ばっかしてたもんな。俺、本当聞いてるの嫌だったんだぜ」
「アハハハ、ごめん。陽大まだ小学生だったもんね」
良くあることなのかもしれないが、ミチルの母は自分の価値観に縛られていて、子供の価値観など認めようとはしない。女の子は女の子らしく、男は一流企業で将来安定。そんな古い人生観と外面ばっかり気にしているような人だった。
なので、ミチルから情報処理の方に進みたいと聞いた時には、男みたいなことをするなと大反対されて大喧嘩になったのだ。そんな姉を見ていた陽大は、気を使って母親に希望を強く出だせないのかもしれなかった。
「あんたは親のことなんて気にしないで、好きなほうに進みなさいよ。応援してあげるから」
「だと良いんだけどね」
「ああ、そうだ。姉ちゃんの家行ったときに知り合いだって言ってた男の人。すごかったよね。どういう人なの?」
うわっ。優雨丞の話だ。
「どんな人って言われても…。わたしも仕事で話しただけだから、そんなに知らないわよ。筋トレとか趣味にしてるとかって話してたような気がするわ…」
「なーんだ、そんな程度なのか。電話の話し方でもっと何かあるかと思ったのに。つまんねーな」
「何よ。そのもっと何かってのは…」
「だって姉ちゃん男っ気全然無いし、だったら面白そうだって…」
「馬鹿な話してるんじゃないのよ…。そろそろ下行くわよ」
狼男と…、有るわけがない!
下に降りてリビングに行くと、既に両親揃ってお昼のお雑煮を食べているところだった。
「なかなか来ないから。先に食べてたわよ。お鍋にお雑煮が温まっているから、未千流は陽大の分のお餅も一緒に焼いてあげて」
「わかったわ。陽大はお餅幾つ?」
「…3つ!」
ダイニングのテーブルには既に『おせち』が並べてあるので、陽大は先に席に着くと早速つまみだした。こういう遠慮の無さは久々の家族という感じでいいものだ。
西糖家のお雑煮は鶏肉、ゴボウ、里芋、人参、椎茸が具材の味噌味だ。陽大の分はお餅を3つなので、中鉢を用意。ミチルの分は小鉢でもよかったが、同じ中鉢にお餅を2つ入れた。
部屋で自分一人の正月なら、お雑煮を食べることも無かったろう。そう思うと、たまに実家に戻るのも悪くはない気もする。
「初詣とか行かないの?」
「今更ねぇ。陽大は友達と行くだろうし、お父さんと行ってもつまらないしね。2人で行って来なさいよ」
久しぶりの事なのでミチルは少し期待したのだが、やはりそう来たか。父親のほうは我関せず、テレビを見ているだけだ。
「えー、姉ちゃんと2人でなんて行けるかよ。俺は明日友達と行くことしてるから…」
期待通りの反応に、ミチルは苦笑いをするしかなかった。
「そう、それじゃわたしは高校の時の友達に連絡とってみるわ」
無理に友達を誘う必要もないのだが、これ以上この家にいても何もすることはなさそうだ。ミチルはスマホを取り出してアドレスを確認した。さて、まだ相方のいない友達が何人残っているのやら。




