仕事納め
未千流はハナハナの応接室でサキュバス衣装の仮縫いに入っていた。
衣装は黒を基調にしてあるが、腹部から襟元に向かって白くなるようなグラデーションにして、白い翼が目立たないよう配慮されていた。腰回りのラインが目立つのは嫌だという未千流の希望で、布が多めのフレアスカートになっており、内部に黒いレースを入れてボリューム感を出すようにしてもらった。
サキュバスの衣装では胸元と脇、背中は絶対に開けなければならない。これはフェロモンの放出と翼の自由度のために絶対必須事項だ。そして股下が簡単に開けられること。これは衣装を着たままで交合を済ます為の絶対条件なのだそうだ。
百合サキュには必要ないだろうと粘ったのだが、いざという時に必要になるという事で妖子さんに押し切られた。
いざって時ってどういう時ってなんなんだよ…
そういうことで最終的なデザインはサキュバスと言うよりは、アイススケートの衣装のようなイメージでまとめることになったのだが、仮縫い状態で鏡の中の衣装が可愛すぎで未千流が浮いている。これはこれで別の意味で恥ずかしい。
「それでサキュバスの登録の方ははうまく行ってるのかい?」
サイズの調整をしながら、妖子さんが登録の進捗確認をしてきた。せっつくようなことはしないが、やはり気になっているのだろう。
「名簿の登録状況とか差し替えの方法とか確認出来てるんで、差し替えた後の影響とか検討しているところです。だから年内には何とかなると思うんですけど。ちょっと問題が起こっててそっちが大変かもしれないんです」
「なんだい、その問題ってのは」
「例のAIのフェロちゃんなんですけど、調子が悪いみたいなんで。そっちの面倒を診ないといけなさそうなんですよ」
「なんだい。そのフェロちゃんってのは…」
妖子さんは、スカートの長さを決めるためのピンを打ちながら未千流の顔を見上げる。
「『フェロッソフ2524』じゃ呼びにくいじゃないですか。それでフェロちゃんて呼んでるんです。それで、そのフェロちゃんがお腹が痛い的な話をしていて…」
「お腹が痛いって、AIにお腹なんて無いだろう…。それでスカートの丈はこの位でいいかい」
鏡に映る自分が恥ずかしい。因みにバランスを確認するため、翼はは出したままになっている。
「スカート丈はもう少し伸ばせませんか? それにやっぱり上半身黒のままの方がいい気がするんですけど…」
妖子さんが鏡の中の未千流を値踏みでもするような目で診ている。
「そうだねちょっと待ってな」
妖子さんは黒い細めの布を持ってきて肩の所から軽く流して、グラデーション部分を隠してバランスを見る。
「確かに翼は目立つようにはなるが、あんたには黒いままの方が良さそうだね。スカートの丈を伸ばすとボリューム出すぎるから、中のレースは減らしてみるかね…」
妖子さんはスカートの内側のレースを外すとスカートの長さを5センチメートル程度長くしてピンを打ち直していく。
「それでそのAIのお腹が痛くなると、何かあんたの仕事に問題が出てくるのかい?」
「今はちょっとレスポンスが悪くなってるくらいなんですけど、フェロちゃん曰くお腹が攀じられる様な痛みって言ってるんですよ。実際お腹はAIの中心部分の事だと思うんで、プログラム上の問題か、サイバー攻撃を受けている可能性もあるんで、そこら辺を調べている感じなんです」
妖子さんは慣れた手つきでレース量を調整して、スカートのシルエットを整えていく。
「…あたしには良く判らないが、そのフェロちゃんの面倒をあんたが見ないとどうなるんだい?」
「恐らく色々な会社の基幹業務とかネットワーク全体に影響が出ちゃうと思います。その思うって言うのがフェロちゃんってネットワークの無意識自我みたいなものなんで、簡単に言うとこの国、いや世界中のネットワーク全体に影響してるんです。だから電話も交通機関も医療も全部に影響が出ると思います」
「はい、じゃこれでいいかもう一度確認しとくれ」
妖子さんは未千流の横に立って、鏡の中の未千流の様子を確認する。未千流も鏡を見ながらぐるりと回り、身体のあちらこちらを動かして衣装の引きつれやシルエットを確認した。
「上は黒いのに取り替えてもう一度確認するから、それじゃ着替えていいよ」
「ありがとうございます」
未千流がサキュバス化を解いて着替えている間に、妖子さんも道具を片付ける。
「それにしても、あんたも厄介なもの抱えてるんだね」
「そうですね、厄介と言えば厄介なんですけど私にしかできないって思うとやりがいあるし。それにフェロちゃん可愛いんで、面倒見甲斐あるんですよ」
「…可愛いのかい」
妖子さんは不思議なものを見たような目でミチルを見るのだった。
12月28日、ブティックハナハナは年末の仕事納め。今日は一般のお客さんの舞台衣装を2着、サキュバスの衣装の修理を1点納めて店の大掃除で終了だ。
今日の夕飯は妖子さんと紅音と未千流の3人で静かなものだった。メニューはビーフカレーだが、紅音さんがスパイスを混ぜて作ったインド風らしい。
ちょっと作っている途中を見せてもらったが、玉ねぎを炒めた後、何種類ものスパイスを入れて長い時間をかけて煮込む。市販のルーを使うのではないという事なので、インド料理店で出されているのと同じような味になっていて新鮮だった。
「それにしても、今年の年末は色々ありすぎて大変だったけど、無事終わってよかったよ」
「私のせいですよね。本当に助かりました」
「面白かったわよ、こんな事今迄無かったし。あのアナがあんなに慌てるの見たこと無かったしね」
緩やかにこんな話をしていると、全て終わったかのような気になってくるが、実際には先は見えてなどいない。
「わたしの方からの報告になりますけど。サキュバスの登録は終ってます」
「ええ、凄いじゃない。意外と早かったのね」
紅音が顔を上げてスプーンを置いた。
「新しい名前は『橘ミチル』で『橘』は母方の旧姓から取って、『ミチル』は片仮名にしました。去年から行方不明のサキュバスが長崎に居たので、彼女を今月こっちに引っ越して来た事にして、その名前を変更した事にしてあります」
「何か信じられない話だが、未千流が言うとすごく簡単に聞こえるよ」
「妖子さんから、わたしがサキュバスではなかったって、協会に報告してもらえれば終わりになります。後はサキュバス登録してある『橘ミチル』に協会がいつ気付くかですよね。気付いたときに『今頃何言ってるんだ、ずっと前に登録したぞ』って感じで妖子さんがしらばっくれれば問題無いと思います」
「そりゃね、確かに協会はそれで納得するだろうよ」
妖子さんがちょっと不機嫌そうなのは、協会とのやり取りを想像しているせいなのかもしれない。
「それで、サキュバス側はそれでいいんですけど、問題はリアルの西糖未千流なんです。人間側の西糖未千流を消去しなくちゃいけないんでそっちの方がある意味厄介になるんです」
「それって放置じゃだめなの?」
「戸籍が残ってると税金とか、保険とか色々問題が出てくるし、今までの仕事との絡みもあって完全に消去しないとダメなんです」
「それもフェロちゃんにやってもらうんでしょ」
紅音は既にAIが万能だと思っているようだが、そういうものではない。
「いや、そうもいかないんですよ。仮に戸籍消去したとしたら、家族に何かあった時バレますし、仕事のお金も存在しない人間に支払うことは出来ないのであっという間に大問題に成っちゃいます」
「まぁ、確かにそうなるね」
「戸籍を消去する方法としては死亡届を出すしかないんで、それが問題ですね。家族に説明して納得してもらってからどこかの医療機関で偽の診断書で死亡届出すってのが現実的かなって思うんですけど、妖子さんそういう事って出来ますか?」
「…そう来たかい。確かに出来ないことは無いよ。サキュバスって普通の医者に通うわけにはいかないから、専門の医師がいる。そこは特別扱いだからその位は何とかなる。ってあんた前もって調べてたね?」
妖子さんはじろりと未千流を睨んだ。
「判っちゃいましたか?」
「まあそっちはいいとしても、実際には家族の説得が必要なんだろ。そこが大変だよ。なんて言うつもりなんだい?」
「そうなんですよねぇ~。『サキュバスになりました』なんて言えるはずも無いし。実は困ってます」
未千流は椅子の背にもたれ掛かると手を上に上げて伸びをした。
事故死って事にするのが一番手っ取り早いんだけど、家族の悲しむ顔を考えると出来そうになかった。




