クリスマスの長い夜4
「取り敢えずここには長居出来ないから移動しましょ」
アナの言うようにハナハナの屋上に長くいることは得策とは言えない。認識疎外が発動してあるとは言っても、100パーセント確実と言える保証は無いからだ。
「どこがいいかしらね。それじゃ郊外に向かってあたしが先頭を行くから。未千流は一緒に付いて来て。さっきの様子だと後ろに付くとマズそうだから、あたしの横を飛ぶ感じで。出来たら会話が出来る距離だといいけど、その辺はあたしが調整するわ。紅音と笑里は何かあった場合に後ろから付いて来て。出来るなら未千流の後ろに近づいてどの位で影響があるか確認してくれるといいわね。でも墜落しないよう慎重にね」
「それじゃ行くわよ、まず先に未千流がまっ直ぐ2、30メートル位上に上がってみて」
「解かったけど、20メートルがどの位か怪しいと思うわ」
「ああ、それはあたしも適当だから気にしないで」
未千流は慎重にフェロモンを翼に送る。少し慣れてきたとは言っても実際に空高く上がるのは初めてなので緊張する。
自分が飛び上がるというよりは、自分以外の世界が下に下がっていくような感覚が新鮮だった。あっという間に街の灯りが下に遠ざかっていく。
上りすぎかもしれないと思って、ちょっとスピードを調整して静止した。何なんだろうこれ、翼が動いているのは解るのだが、羽ばたくわけでは無い。今止まっていると思うのだが『停まっている』のであって止まっているわけでは無い。自分を中心に『世界が動く感じ』という言葉が近い気がする。
アナがスウッと静かに上がって来て横に止まった。10メートル位離れているだろうか。
「問題無さそうね」
「気持ち悪いくらい自然な感じよ」
ちょっと声を張り上げないと聞きづらいくらいの距離だ。
「ちょっと近付くから動かないで。バランス崩して落ちるようだったら一度力抜いて、落ちてから飛び直すって感じで復活できるはずよ」
アナが慎重に近付いて来る。何となく手を伸ばしてみる。手の長さって1メートル位だったっけ、とか考えていたら腕の長さで3本位の所で圧力を感じた。バランスを崩すほどではないが、この辺りが安全な距離だって事なんだろう。
「この辺で影響あるみたいね」
「そうみたい、ちょっと2人に伝えて来るから待ってて」
そう言ってアナは離れた位置に待機している紅音と笑里の所に飛んで行った。3人はほぼ手の届く距離で話をしている。なんかあの位近付ければ安心感があっていいな、と思う。
程なく未千流の所にアナが戻ってきた。
「それじゃ移動するわよ。未千流から見て右の方にファミレスの看板見えるわよね。取り敢えずあそこに向かって未千流のペースで飛んでみて。あたしは声が聞こえる距離でなるべく横について行くようにするから」
「解かった、じゃあ好きに飛んでみるね」
初めての夜の遊覧飛行は感動するほど美しいものだった。自分の足元に何も存在しない夜景。見知った街を見下ろすだけで、こんなに綺麗に見えるものだとは思わなかった。
未千流は目標のファミレスを目指して色々試してみた。スピードを上げる、減速する、急降下、回転…。どれも風を感じるのに比べると身体の体感スピードが小さい。その中で下りるときだけは翼の力を弱めて重力に任せる感じになるので、落下していく恐怖のようなものを感じる。
この辺は後でみんなが同じなのか確認してみなくては。
ファミレスが近付いて来る。
「アナ、このままファミレスに降りるわけじゃないんでしょ」
「当たり前じゃない、翼閉じたら流石にバレバレになっちゃうわよ。そうね、あそこの公園。あんまり人が居なそうだし、あそこに降りましょ」
アナが指をさした方向にある公園にはクリスマス用の飾りも無く、確かに人の気配は感じられない。後ろから付いてくる紅音母娘(そうなのよ、母娘なのよね)も未千流に追い付いてきた。
「あそこの公園で休憩だって」
「別に休憩って言ったつもりは無いんですけど…。まぁそういう事にしましょ」
未千流はアナの反応に苦笑いになって公園に向かった。
公園に近付いてみると遠くからは確認できなかった人の気配を感じる。この、気配を感じるというのも不思議な感覚で、サキュバス化することによって初めて感じる間隔だった。
サキュバスの視覚は人よりも夜目が効くのだが、それでも公園に生えている樹木のせいか、視認は出来ていない。それなのに、あそこに人がいるとはっきりと認識するのだった。
きっと肉食動物ってこんな感じで獲物を認識するんだろう。
「この辺でいいわよね」
「そうね」
未千流とアナは公園の噴水の陰に隠れるように翼を畳む。人の目では街灯の下以外は影になっている筈なのだが、サキュバス化している未千流の目には影の部分までしっかりと見えていた。
「未千流ちゃんどうだった? 初めての遊覧飛行でしょ」
遅れて到着した紅音が楽しそうに聞いてくる。
「うん、凄く夜景が綺麗でビックリしたわ。でもサキュバスの目だとちょっと見えすぎで灯りのキラキラ感が少ないのが残念ね」
「疲れて無い? 思っていたより遠くまで来ちゃった気がするけど。エネルギー切れ起こすと大変よ」
続けて笑里が畳みかける。
「そうね、それならついでに狩りの練習をしておくのもありよね。あたしも少し消耗してるからそろそろって思ってたところなのよ。特に未千流は百合狩りが上手くできるか早めに確認しておかないとマズいんだから…。今なら他に3人も居るんだから失敗してもカバーしてもらえるわよ」
「え、何そのユリ狩りって」
笑里の言葉に未千流の耳が熱くなった。
「あのね、未千流はサキュバスとしての生態自体が特殊なのよ。今まで男を狩ったことが無くて女性だけ。それも自分から行動したんじゃなくて、全部無意識で自覚が無いの。だから早めに自分から狩りをするってことを憶えないとマズいのよ。この前も欠乏症状出て死に掛けてるんだから」
笑里はあまりに意外な内容に声を失う。
「それって、本当にサキュバスって言っていいの?」
「すごく変なんだけど、妖子さん的にはハナハナギルドで面倒見るしかないだろうって。で、ここでそんな話しててもしょうがないから進めましょ。急だけど、未千流大丈夫よね。どっちにしろ、いつか始めなくちゃいけないんだから」
「ええと、って事は。わたし女の子探すってことになるのよ…ね…?」
「多分そうなると思うけど、やってみないと判らないんでしょ?」
「うん、自信は無い…」
確かにやらなければ判らないし、記憶は無いけど死に掛けたって言うのは本当のようなのだ。
「紅音と笑里はどうするの?」
「私たちは見学するわ。兎に角未千流が失敗した場合のフォロー必要なんでしょ」
「そうしてくれた方が助かるわ、それじゃあたしは既に目星付けた子居るんだけど。未千流はどう?」
「どうって言うのは、それらしい娘が居るかってことなんでしょ」
「そういうことね。取り敢えず未千流の方優先するから一緒に探しに行きましょ」
アナはそう言うとサッと翼を出してフワリと浮き上がった。未千流も急いで翼を出して後を追う。
上空から確認すると公園の中には4人の男女が隠れているのが確認できた。クリスマスの夜に暗がりの公園と言うのは、やはりそういう事なんだろうか?
アナがそんな話をするまで意識していなかったのだが、未千流は『美味しそう』と感じる人影に心当たりがあった。なぜ美味しそうと思うのかもわからない。しかし、これがサキュバスの本能なのかもしれない。
「あら、未千流意外と積極的なのね」
横からアナが囁いた。
「あたしもあそこの子が気になってたのよ。未千流は女の子の方なんでしょ。私は隣の男の子。それなら一緒に襲っちゃいましょ」
そこまでストレートに言われると抵抗が無いわけではないが、否定はできない。
「あたしは右から行くから、未千流は左からね」
流石に緊張して言葉が出なかったが、ゴクリとつばを飲み込んで頷く。
木陰のベンチに座っているカップル。男の方はそれ程でもないが、女の子の方は少し酔っているようで、赤い顔をして男の肩にもたれていた。形的には男の子が酔っている女の子を介抱しているのだが、男が欲情している匂いが感じられる。
実際に行為に及ぼうとしているかどうかまでは判らないが、今そこを気にしても仕方がない。
ベンチの反対側に降り立ったアナがフェロモンを男に向けたのが感じられる。未千流も女の子に向けてフェロモンを向ける。
未千流は獲物の女の子の方に意識を集中させているので、男が立ち上がってアナに向かって行く後の事は見ていない。未千流の目は自分に向かって来る女の子のトロンとした目を捕えていた。
別に難しいことは何も無かった。女の子はおぼつかない足取りではあったが確実に未千流に導かれてくる。未千流が人目に付かないようにと木の陰に入ると、当然のように付いてくる。旨そうなピンク色の唇が輝いているを見て取ると、未千流や遠慮なく吸い付いた。至福の時が訪れる。
はっと、気が付いたときには先程の女の子は未千流の足元に崩れ落ちていた。
次にしなければいけないことは解っていた。未千流は左手に業物を現し、女の子の脇腹に突き刺した。何か熱いものが業物を伝って女の子に流れていく。フッと力を抜くと業物は未千流の左手の中に消えていった。
「こんな暗い公園じゃ危ないから送ってもらいなさい」
未千流は立ち上がって歩いていく女の子を見送った。相手の男が笑顔で片手を上げて待っている。その男からは既に欲情の匂いは完全に消えていた。




