クリスマスの長い夜3
「何だい、笑里は帰るんじゃなかったのかい?」
妖子さんがダイニングに戻ってくると、タブレットを囲んで未千流のサキュバス衣装に対して何だかんだと盛り上がっているところだった。
「ああ、未千流ちゃんの登録に関しての説明聞いてたら遅くなっちゃったから。結果は誰にも解らないってことが判っただけなんですけどね」
「そうなのかい…。誰にも解らないってのもどうなんだろうね」
「その件は今年中に確認してみます。遅くとも年明けにははっきりさせるようにしますから。もし上手く行かないようならまた相談します」
「なら、協会にはそれまで何も言わないでおくよ。それで、紅音。あたしは仕事してるから、こっちの区切りがついたあたりで、暖かいココアでも持ってきておくれ」
「なら、直ぐに用意するわ。みんなも要るわよね」
「あ、お願いします」
妖子さんはちょっと安心した様子で仕事場に戻って行った。
「それで未千流ちゃんのサキュバス姿まだ見て無いのは私だけなんでしょ」
「そういう事になるけど…」
また意味も無くサキュバス姿になるのか…。心の中で未千流は悲鳴を上げた。
「あたしも未千流が実際に飛んでる姿って、あたしから逃げてった時しか見て無いのよね。未千流ってあの時の記憶ないんでしょ。実際飛べるか確認しておいた方がいいんじゃないの」
「それもそうよね。姿は見たけど、私も飛んでいるところまだ見たこと無いし。丁度いい時間だから今から外に行って確認してみましょうよ」
話がヤバい方に向かっている。でも確かに意識的に自分から飛んだことは無いのは確かだった。誰かが一緒の時に練習しておいた方が間違いはない。
「でも衣装無いんですけど…」
「それなら妖子さんに言えば貸出し用がある筈よ」
そうなんだ…。
「ああ、先に言っとくけど。未千流が飛んでいるときには近付かない方が良いかも。あたしこの前飛行妨害されて墜落しかけたんだから」
「ええっ」
全員の注目が未千流に集まった。何それ、わたし知らないんですけど。
「ええと、わたしが妨害して…アナが墜落…」
「そうよ。本当に危なかったんだから。10メートル位一気に落ちたんだからね。立て直せなかったら死んでたわよ」
アナが嘘をついているとは思えない。確かにそういう事が有ったのだろうと思わざるを得なかった。
「ちょっと待って、サキュバス同士が近付いてもそんな事起こらない筈よ、それって大問題じゃないの」
「だから、未千流は普通じゃないって言ってるのよ…」
アナは大きな声を出した笑里に対し、諭すと言うよりは諦めたというような態度で呟いた。
妖子さんの仕事部屋に行くと、妖子さんはパソコンに向かっているところだった。
「雁首揃えてどうしたんだい」
「これから未千流の飛翔確認しに行くことになったから、未千流に衣装貸してあげて欲しいのよ」
「それなら、応接室の左側のロッカーに吊ってあるから、合いそうなやつを持って行きな」
妖子さんはそれだけ言うと、パソコンの作業に戻った。
横に置いたカップのココアは半分ほどになっている。仕事に集中して飲むのを忘れているのだろうと未千流はぼんやりと考えた。ココアは既に冷たくなっている筈だ。
応接室のロッカーと言うのは、壁に取り付けられた木製ドアの内側に据え付けられたものだった。重厚な作りの壁の一端を担っている。
ドアの中にはいくつかのサキュバス衣装がハンガーに掛けられていた。紅音が手馴れた様子でその中から一つを取り出して確認する。
「この辺かしらね」
紅音が未千流に向けて広げた衣装は、言うなればスクール水着のような物だった。黒い無地の水着!
「サイズと機能確認用の物だから飾りは付いてないのよ。それじゃ着替えてみて」
ええ、着替えるってここで?
未千流が戸惑っていると笑里が助け舟を出してくれた。
「じゃあ、私とアナは先に行って準備してるから。母さんは未千流ちゃんの面倒見てあげてね。ほら行きましょ」
笑里に手を取られてドアを出ていくアナが不服そう顔をしていた。
「はい、じゃぁ全部脱いでこれ着てね」
「全部って。下着は…」
「下着も全部ね。そういう風に着るものなのよ。脱いだ服はここのかごに入れてね」
紅音はロッカーの下から藤で編まれたカゴを取り出した。うん、銭湯によくある奴だ。
「はいさっさと脱いで。確認だけするから」
まだ下着姿のままで戸惑っている未千流が脱いだ服を畳みながら紅音は急がせる。容赦はないようだ。
普通の水着でもインナーはあるし、なんか心もとない。おまけに競泳水着のように生地が薄く、身体のラインが見えすぎ。一応薄い胸パッドが有って乳首が出ないところだけは少し安心感があった。
「はい、後ろ向いて…。サイズ的には大丈夫よね。なら次はサキュバスになって翼出してみて」
もうやけくそだ。未千流はフェロモンを身体中に流して翼を広げた。
「動かしてみて。うん、大丈夫みたいね。どこか気になるところはある?」
「気になるところって言ったら恥ずかしいってことだけですよ」
未千流は悲鳴を上げる。
「それにしても本当に真っ白い翼なのね。尻尾も無いし…」
紅音は未千流の悲鳴など全く気に留めていなかった。
「それじゃ上に行きましょ」
そう言うと紅音は応接室から首を出して、妖子さんにちょっと出掛けてくると簡単な挨拶をした。
ちょっと出掛けて来るって、そんな簡単でいいんだ…。
ブティックハナハナの建物は4階建ての小さなビルだ。屋上に貸出用の大きな看板があり、その裏手に小さな物置のようなものがある。
その看板があるおかげで、洗濯物を干しても表から見えないようになっている。……ように見せていた。
実際には夜中にサキュバスが出入りしても目立たないよう、カモフラージュしてあるのだ。
その屋上に4人のサキュバスがそれぞれの衣装を身にまとって並んでいた。
未千流以外のサキュバスの衣装は、意匠こそ違えど、色っぽく男を誘うと言うコンセプトでは一致している。その中で未千流だけが色っぽさのかけらもない黒いスクール水着。そこに紅音に頼み込んで、腰回りを隠す短いスカートを取り付けてあった。
全員の目にサキュバス光が灯り、翼を揺らすその姿を目の当たりにした者は、その光景をどう形容するのだろうか。
実際にはサキュバスが翼を広げると、翼からは既に飛行用のエネルギーが漏れ出し、普通の人間への認識疎外が自動的に行われる。その為人はそれと意識しない限りサキュバスを視認できないので、そのような光景を見ることはできないのだが。
そんな中で未千流の姿は一人、圧倒的な違和感を持っていた。サキュバス光は赤、翼は純白。その上にスクール水着なのだから。
それにしても昼間雪がちらついていたことから判る筈だが、気温は0度前後。こんな薄着にも関わらず、誰も寒さを感じないのはサキュバス化しているためらしい。
未千流はサキュバス化を解くと裸で寒空に放り出されたのと同じになるからと、前もって注意された。思い起こせば初めて会った時のアナが凍えていたのは、そういう事だったようだ。
「まず最初に未千流の飛翔圧力を確認しましょ。未千流、その場で2、3メートル上がってみて」
未千流はアナに言われたとおりにフワリと上に浮き上がった。やはり何も意識する必要は無い。無意識に翼を動かして、フェロモンが翼から流れ出す。
実際にはフェロモンそのものが翼から出るわけでは無く、飛行用のエネルギーに変換されたものが出るのだが、そんな意識をする必要も無かった。
「ちょっと、ヤバいわよ」
未千流の真下に移動したアナが呟いた。
「本当ね。これは未千流の後ろに入ったら確かに落ちるかも…」
「うわー、こんなの初めて」
「未千流、下りてきていいわよ」
「何か解ったの?」
「解ったも何も無いわよ。あたし達のと全然違うわ。サキュバスが飛ぶときには翼から何か出て飛んでるのはみんな一緒。別に近寄っても風が流れてる位で意識しなくてもいいのよ。ところが今未千流の翼の下に入ったら、押しのけられるみたいですごい圧力を感じたのよ。多分この前はこれで弾かれたみたいになったんじゃないかしら。うーん、それじゃ次はあたしが飛んでみるから未千流は下に入ってみて」
そう言ってアナが飛び上がって空中で止まる。その下に未千流が行くと押しのけられるような圧力を感じて、思わず風を防ぐように身構えてしまう。
ところが横を見ると、他の2人は平然とした顔で立っているのだ。
「本当ね、未千流だけさっきの私たちみたいね」
「不思議と言えば不思議なんだけど、ここまで違うとは思わなかったわね」




