クリスマスの長い夜2
「未千流が笑里に直接係わる可能性は少ないとは思うんだが、何かあった時に知らないでは済まなくなる可能性があるからね。そこで敢えて説明をさせてもらおうと呼んだわけだ」
笑里をわざわざ別の部屋に呼び出して説明をしなくてはならない状況に追い込まれた妖子の顔には苦悶のしわが見て取れた。
「理解は出来ますけど、事後報告というのはあまり気持ちが良くないですね」
「そこは謝るしかない」
妖子さんは笑里の目を正面から見据えた。笑里も妖子さんの目を見返したが根負けしたのは笑里の方だった。
「…解ったわよ、それで私にどうして欲しいの」
「そこは何もしなくて構わない。本当はそう言う意味では何も言わないのが一番いいんだが、遅かれ早かれ紅音の口から伝わるのは間違いないだろう。あの娘に隠し事を期待しても無理だからね」
「そうよね。会話の中でポロって言っちゃうわよね。あの人は…」
急に言葉遣いが変わったのは笑里が仕事モードを諦めたからだ。口調がお婆ちゃんの相手をする孫娘になって、背中に入っていた力も抜けてしまった。
「何時もの笑に戻ってるよ…。まぁいいさ、とにかく何か問題が起きたときに冷静に行動してもらうために伝えたと思ってくれればいいさ。取り敢えずハナハナであたしらが未千流って変わったサキュバスを何とかしようとしているんだけど、あんたは何も聞いていないって事にしといて欲しいんだよ」
「解ったけど、それってどの位で白黒付きそうなの?」
「そこなんだよ、問題は。未千流本人が何とかするって言ってるんだが、あたしにも良く判らないんだ。1週間か1ヶ月か、はっきりしたらまた連絡するよ」
「えっ、そんなんで信用できるの?」
「それが、大丈夫らしいって事なんだけど。何やらハッキングみたいなことしてどうにかするらしいんだ。そんなこと言われてもあたしにゃちっとも解らないからね」
「ハッキングって、それってヤバいんじゃないの?」
「そこいら辺は紅音にでも聞いとくれ…。兎に角そんなわけなんで、何かあった時にしらばっくれる心の準備だけしといてくれればいいさ」
「解ったわ。これ以上妖子お婆ちゃんに聞いてもしょうがないから紅音ママかアナにでも聞いてみるわ」
「済まないねぇ」
妖子さんは何か急に自分が時代に取り残された老人になったような気がした。
「それじゃ、何か変化があったらママからでいいから連絡してね」
笑里はそう言って立ち上がり、応接室のドアを開けた。
振り返ると、椅子に座る妖子さんが何時もより小さく感じられた。
「大丈夫なの…」
「ああ、あたしはちょっと店片付けるから…」
妖子さんは笑顔を作ろうとして不自然に顔を歪めると、ゆっくりと腰を伸ばすように立ち上がった。
笑里が戻ると、アナと未千流はテーブルの上のタブレットを挟んで難しい顔をしていた。
「あ、戻って来たのね。直ぐに帰るのかしら? まだ居るなら紅茶のお代わり淹れるけど」
そう言ってアナが腰を上げた。
食器洗いは終っているようで、紅音が食器を拭いて食器棚に片付けている。
「そうね、直ぐ帰るつもりだったんだけどその紅茶は魅力的よね…。それに確認しておきたいことも出来ちゃったし…」
「なら座ってて、紅茶淹れ直して来るから」
笑里が腰を掛けるのと入れ替わりに、アナが紅茶のポットを手にキッチンに向かう。
「衣装のデザインは決まったの?」
タブレットの画面にはちょうどダンスの衣装が表示されていた。
「それが全然。どうしてみんなあんな露出の高いのばっかりなの? 笑里のもあんな感じなの」
「ハハハ、そうよね。普通に考えたら恥ずかしいわよね。でも諦めるしかないわよ。だってサキュバスなんだもん」
「それが解らないのよ」
憤慨する未千流に内心同情はするものの、そこは慣れるしかない。
「それで妖子さんからは未千流ちゃんの事を知らないことにしておけって言われてるんだけど。それはそれでいいとしても、もう少し情報が欲しいわけなのよね」
「あら、踏み込んじゃっていいの? 戻れなくなっちゃうわよ」
アナは新しく入れ直した紅茶を空いているカップに注いでいく。
「何言ってるのよ。今の中途半端な状態で黙ってろ、なんて言われても気持ちが悪いだけじゃないの。何もわからない状態ではい解りましたなんて納得できるわけないでしょ」
「それなら今日は泊って行った方がいいかもね。一晩かけてじっくり未千流ちゃんの観察してけば…」
「ちょっとアナ! 変な言い方しないでよ」
「それで先に私の仕事を未千流ちゃんに説明しておいた方が良いと思うのよ」
笑里の表情が真顔になる。
「そうしないと私が何で気にしているのかが解らないから。と言うわけで私の仕事なんだけど、お堅い仕事でね、警察って言うかそう言うところにあるサキュバス部隊に所属している感じなの。だから、正直なところ係わりたくなかったんだけど。誰かさんに聞かされちゃったから後に引けなくなっちゃったのよ」
そう言って笑里は紅音の顔を見るが、紅音の方は素知らぬ顔で台所の片づけをしている。
それを聞いた未千流はちょっと緊張する。ある意味これからやろうとしているのは犯罪に近い内容なのだ。
「それで、さっきお婆…。妖子さんから黙ってろって言われたんだけど、中途半端にしか知らないで片足突っ込むのは気に入らないじゃない。っていうより、内容次第じゃ阻止しなくちゃいけない立場になるわけ。具体的には何をやろうとしてるわけ?」
「ああ、それじゃ。そこはわたしから説明します」
未千流が小さく手を上げた。
「助かるわ、実は私も全然わかってなくて」
紅音が台所から興味津々という様子で戻ってきて、アナまでがうんうんと頷いた。まぁそれはそうだろう。
未千流は新しく淹れ直してもらった紅茶を一口飲むと深く息を吸いこんだ。
「まず前提条件としてわたしはハッキングなんてできません。なので直接わたしがハッキングしてどうこうすることは無いです」
「えっ、違うの? じゃあタクシーの時は…?」
アナが納得いかないという顔で身を乗り出した。
「そこの説明は面倒になるから後回しにして。で、今回妖子さんに確認して判ったのがサキュバスの登録が結構いい加減そうだってことです。いい加減って言うと語弊があるかもしれませんが、多分こんな感じです。堂々町にサキュバスが10人居るとします。役所のデータベースにもサキュバスの10人分の名簿があります。誰が死んだとか、どこからか1人移転してきたとか、生まれた子供がサキュバスになったとかの変更があった場合には、ギルドから連絡があるので修正。こんな感じで合ってますよね」
3人は顔を見合わせ、答えたのは笑里だった。
「それで合ってると思うわ」
アナは自分のペースで生きてるみたいだし、紅音はおっとりしていて難しいことは考えないタイプだ。公的な仕事をしている笑里がそこら辺の仕組みを一番理解しているって事なのだろう。
「それで問題なのは一般の戸籍の方なんですが、サキュバスは戸籍上存在していないんですよね」
未千流は笑里の目をまっすぐに見て質問をする。
「…そ、そうなるわね」
「実はそれをこれから調べようと思ってたんですけど、今答えが聞けてよかったです。それが確認出来ればサキュバスの名簿を操作して私の分を1人分登録しておきます。これで数字的には問題無いことになります。もちろんあくまで名簿上だけなので、協会への根回しとかは妖子さんに頑張ってもらうことになるんですけど」
当たり前だが笑里は眉間にしわを寄せて疑いの目で未千流を見ている。
「どう聞いてもそれってハッキングって事よね」
「まぁ、普通そうなりますよね。でもハッキングと違って名簿が最初からそうなってたってことに成るみたいです。どうしてそうなるのかは私にも知らないんですけど、って言ったら信用できませんよね」
自分も解らないんだとあっけらかんと説明する未千流の態度に、全員が煙に巻かれたような気持ちになってきた。詐欺師を前にした時ってこんな気持ちになるんだろうか?と、笑里は思う。
「わたし大学の研究室でAI関連の研究をしていたんです。今の時代誰もが気が付かないところでAIのお世話になっていると思うんですけど、AIがプログラムの一種だって事は知ってますよね」
取り敢えず全員が頷く。
「それでそのAIなんですけど、仮に10台のパソコンにそれぞれ別々のAIのプログラムを入れて運用していたとします。そうすると10種類のAIが動いている筈です。ここまでは大丈夫ですよね」
と、未千流は全員が納得したことを確認する。
「ところが調べていくうちに何故か11種類のAIが動いていることが判ったんです。そしてその11個目のAIがどこのサーバー、あ、ごめんなさい。今説明したのはパソコンでしたね。で、その11個目のAIがどこのパソコンにも入っていないという事が判ったんです。実際に現在世界中で運用されているネットワークを全て同時に落とすなどという事は不可能なので、検証は出来ないんですが兎に角どこのサーバーにも依存していないAIらしきものが存在することが確認されたんです。サーバー上に存在する仮想のAIを見付けたみたいな感じです。それでそれは『フェロッソフ2524』と名付けられたんです」
全員が言葉を失っていた。『意味が解らない…』
「ああ、ごめんなさい。解らないですよね。ええっと、その、つまりその『フェロッソフ2524』とわたしが取引をして、さっき言ったようなことをしてもらうんです」
「それで、そのフェロ……なんとかってのと取引? ってのが出来るわけなの?」
やっとという感じで笑里が言葉を発した。
「ええ、彼は。あ、勝手にわたしが彼って人格化してるだけなんですけど。彼はサイバー空間上の人格みたいなものだから物理的な人の動きとか、物をどうこうするって事は出来ないんです。だからそっち方向の希望を聞いてあげるという感じで…」
「まったく理解できません。でも何とかなるわけね。でもそれって凄すぎなんじゃないの。みんながそれ使ったら大変なことになっちゃうじゃない」
「ほとんど知られてないし、インターフェースはあるんですけど。あまり使える人がいないというか…」
「難しいんだ…」
「難しいのもそうなんですけど、彼って人見知りでわたしはいいんですけど他の人のいうことあまり聞いてくれないみたいなんですよ」
「…人見知りって」
夜はまだ長くなりそうだった。




