満月の夜 1
ブティックハナハナの定休日は火曜日だが、今日の夜は満月のために休業日になっている。もちろん表向きは臨時休業なのだが、サキュバスの関係者には当然の事実になっているとの事だった。
そのため今日は午後から未千流は紅音の運転で郊外のショッピングセンターに向かっている。
車は毎度おなじみ茶色いハナハナの営業車。未千流は何時も通りのジーンズだが、今日は意外なことに紅音さんもジーンズを穿いて来ていた。紅音さんのパンツルックはあまり見たことが無いのだが、相変わらずのサラサラヘアでに軽く化粧をしているだけなのにキチンとしているように見えるところが流石だ。未千流も軽く化粧をしているのだが、紅音さんからはどう見えるのだろうか。
未千流がそんな事を考えていると、紅音が唐突に未千流の仕事の話を振ってきた。
「プログラムの仕事って、パソコンだけあれば出来るんだと思ってたわ」
「それって、私の機材が多いってことですよね」
ガタンと段差を拾って揺れる車。
「そうそう、引っ越しの時ビックリしたもの。ちょっと気になってたのよ」
あれって引っ越しって訳じゃないんだけど、と未千流は思うがそこには触れないでおく。
「人によるとは思うんですけど、わたしのは特殊な方なんじゃないかな」
「あらそうなの」
「うん、普通にパソコンだけの人も多いと思いますよ。わたしの仕事ってちょっと変わった仕事が多いんです」
紅音は運転をしながらチラリと、未千流の顔を見た。
「普通一からプログラムを作ることが多いんですけど、わたしの場合既にあるプログラムに介入を頼まれることがあるんです」
「それって、もともと出来上がっているやつの修正ってこと?」
「うーん、修正じゃなくて文字通り介入なんです。そういう研究を大学の時からやってたんで、そのまま仕事になっちゃったみたいな感じなんです」
「良く判らないけど、結構変わった仕事をしているってことなの?」
「そうなんです。あんまりこういうことする人いないんで重宝されるっていうか…」
「何か難しそうなのね」
「ああ、ここよ」
紅音はショッピングセンターの駐車場に車を向けた。
「春菊安いし、今晩はお鍋にしようか、未千流ちゃんはどんなお鍋が好きなの?」
紅音は美千留が押しているスーパーのカートに白菜、春菊、椎茸…、と詰めていく。
「鍋って、鍋でしょ、何かあるの?」
「何かって、豚肉と鳥だったらどっちがいいとか、キムチ入れたいとか、何かあるでしょ」
「えっと、自分でやらないし、飲み屋行っても誰かが適当に頼んだやつ食べるだけだからあんまり考えたこと無くって…」
「さすが未千流ちゃんね。今までも感じてたんだけど食への適当さは女の子としてはあるまじき行為よ」
そこまであきれ顔にならなくてもいいのにとは思う。
「それなら、実家だと焼き豆腐とかシラタキ入ってた気がする」
「もうっ、本当主体性ないんだから張り合い無いわね、豚肉嫌いだとかってこと無いわよね。薄切り安いからこれにしましょ…。後はパンとヨーグルトと…」
紅音は美千留を引き連れて食料品売り場をめぐり、あっという間に1つ目のカゴは一杯になっていく。なんか家を出る前に母さんに付き合わされて買い物をしていたころを思い出して懐かしい。
「あ、そうだった。今日はアナが戻ってくるから冷凍のおうどん買って行かないと…」
「え、うどん?」
「そうなの、あの娘お鍋の最後に必ず冷凍のおうどん入れないと気が済まないのよ」
優しそうに笑う紅音の表情を見て何かいいなと思う。
他にも日用品を色々買い入れ、駐車場に戻って荷物を車に詰め込んだ。冷凍ものは保冷バッグに入れ直す。
「今晩は満月だから夜には誰も外には出ないんですよね?」
未千流は帰りの車の中で紅音に聞いてみた。
「基本的にはね、でも私も次の子供欲しいかなって思うと今日みたいな満月の夜ははチャンスなのよね」
未千流はギョッとして紅音の顔を見直した。
「フフフ、そんなに驚かなくてもいいのよ。狼男と出会うチャンスなんて他にないんだから。子供が欲しかったら満月か新月の夜に表に行くものなのよ」
「でもそれって…」
「そうなのよね、相手を選べないってのが問題なんだけどね。でも満月なら空を飛んで良さそうな相手を探せるし、嫌だったら逃げることも出来るから、一応選ぶ余地もあるのよ。まぁ未千流ちゃんはまだそんなこと考えちゃだめよ」
「どうしてそんな事…」
「あ、私って本当はサキュバスの仕事嫌いなのよ。一々男探して精魂吸ってって面倒くさいでしょ。子供育てている間は普通のお母さんとして生きていられるから、そっちのほうがいいなって。後は母さんの仕事引き継ぎたいって思ってるから、そうすると早めに子育てして歳取らないといけないでしょ…」
紅音さんは笑ってそんなことを言う。自虐的に言っているのかと思ったが、そういうわけではなさそうだった。
「あ、未千流ちゃん疑ってるでしょ。私だってちゃんと洋裁の学校行って洋服くらい作れるのよ」
「そんな、疑うだなんて。逆にまじめに考えてるんだって感心してたんですよ」
「本当かな…」
やはり紅音の表情は明るくてほっとする。
「…でも、本当に今晩行くんですか?」
「ふふふ、本気だと思う?」
「なんだ、からかったんですか」
「あらそう言うんじゃないのよ、ただ踏ん切りがつかないだけ。だって、やっぱり嫌じゃない、狼男に襲われに行くのって。アルコールでも飲まないと無理かな」
「サキュバスの飲酒飛行ですか…」
「そうなっちゃうわね」
そんな話をしているうちに車はハナハナに到着。未千流は紅音の話がどこまで本気なのか測りかねていたが、時期は兎に角、近いうちに紅音がそうしようとしていることは間違いが無いようだった。
「お帰り、荷物運ぶの手伝った方がいいのよね」
ハナハナの裏口でアナが2人を出迎えた。
「また、ずいぶん買い込んできたのね。こんなに仕舞いきれるのかしら」
「あら、だってもうすぐクリスマスなのよ。そっちの分も買い込んでおいた方がいいと思って」
ああ、そういう事だったのかと未千流は納得した。やけに多いと思っていたのだ。
「アナはそこのトイレットペーパーとか、2階に運んでおいて。あ、未千流ちゃん、その袋はキッチンに置いといてね…」
「こっちの服が入ってるのも一緒に倉庫でいいの」
「…それはみんなの分、分けないといけないからリビングに置いてくれればいいわ」
紅音の指示でどんどん買い物の山が裏口から消えていった。
「それじゃ私は車を戻してくるから。未千流ちゃんは自分の仕事あるのよね?」
「ああ、そんなに慌てなくても大丈夫だから、お茶の用意しときましょうか? さっき買ってきたダージリン試してみたいし」
「ああそれならお願いするわね。アナは倉庫の方終わったら母さんに声掛けておいてね」
「妖子さんは、お茶入ったら店の方に持って来てって言ってたから、あたし持ってくわ。それで未千流の調子はどうなの?」
「どうって、何が」
未千流は丁度いい濃さになった紅茶をカップに注ぎ分けていたところだった。
「サキュバスとしてどうなったかって聞いてるのよ」
「どうと言われても、生理は来ないから今まで通りじゃないことは確かだし。気を抜けばフェロモン出るのも今まで通り」
「それでそれだけなの」
「そう、それだけ」
「それじゃ、妖子さんの分貰うわよ。何ぁに、そのお菓子は」
「うん、さっき買ってきたの。日持ちしないから帰ったらすぐ食べようって、今取り分けるから待ってて」
未千流は大きなパックに纏めて作ってあるティラミスを小皿に取り分ける。しかしこういった一纏めのケーキはお買い得ではあるけど、美味しそうに取り分けるのが難しい。この残念な形に崩れたやつは自分用だ。
「あら丁度いいタイミングだったみたいね」
未千流がケーキをお皿に取り分けていると、紅音が戻ってきた。
「妖子さんはお店でって言ってたみたいだから、アナが持って行くって」
「そうなの…」
アナが妖子さんの所から戻ってくると、未千流と紅音は既に紅茶を飲んでくつろいでいた。
「何よ、待っててくれてもいいのに」
「そんなこと言ったって、疲れたのよぉ」
紅音が小皿を手に、フォークを動かすその指の仕草が綺麗に見える。
「まあいいけどね」
アナの顔を見るのも3日ぶりくらいだろうか。普段何をしているかは話したがらないのでアナの日常が解らないのだが、ハナハナに来るときは決まって可愛い格好をしてくる。今日はフリフリの沢山ついた紺色のワンピースだった。
「それで、未千流はこれからどうするの?」
「どうするって言われても、まだ何もわからない訳で…」
「妖子さんは何か言ってないの?」
「まだ判らないから、しばらくこのままとしか」
「ハイハイ、アナの言いたいこともわかるけど。そこは仕方がないじゃない」
「何みんな呑気なこと言ってるのよ。未千流がここに来てからもう2週間以上経つのよ。サキュバスだったらそろそろ狩りも覚えなくちゃいけないだろうし、欠乏症状でも出ようもんなら大変なことになるって解って言ってるのかしら」
アナの厳しい顔に2人が気圧される。狩りか…。
「いっそのこと今晩は満月なんだから未千流を街の中に放り出してみたら。狼男が寄って来るかどうかで判断できるわよ」
「アナったら、無茶なこと言わないの。本当に狼男が来たらそれはそれで未千流ちゃん妊娠で大変なことになるんだから」
「そんな事解ってるわよ、でも判らないからってのんびりしてる余裕無い気がするのよ」
突然の凄い話に未千流がたじたじになっているのに対して、アナはプクっと膨れて紅茶を飲み干した。紅音はそんな2人を見て苦笑いをしていた。




