西糖 未千流3
「未千流は僕の姉ですけど」
陽大は香菜を庇うように一歩前に出た。
なんなんだ、この男は。身長は2メートル近くありそうだし、肩幅も異様に広い。首の太さや袖口から覗いている腕の筋肉を見るだけでも、その体力が人並外れていることがうかがい知れた。
制服からするとどこかの運送会社の配達員のように見えるのだが、醸し出す雰囲気が配達員のそれではない。男に見下ろされると、陽大は自分が小さな子供になったような気分になった。
「ほう、弟さんですか。なる程、それで未千流さんはご在宅ではないのですか?」
大男は口元を緩めると質問を繰り返した。
「姉は出掛けていて今居ません。あなたこそ、姉になんの用なんですか?」
陽大は自分の声が上ずっていることを自覚する。
「なる程、これは失礼。オレは先日未千流さんと仕事で一緒だったんだが、その時に彼女が忘れ物をしたんで、それを届けに来たんだ」
大男はそこまで言うと、背中に背負っていたメッセンジャーバッグから、ピンク色の手帳を取り出した。
陽大にはその手帳に似た物を見た記憶があった。確かに姉がそんな感じのものを使っていた気がする。
「今日は近くまで来たんで寄ったんだが、居ないのでは仕方がない」
大男は手帳を背中のバッグに戻した。
「それなら預かってもいいですよ」
陽大がそう提案したが、それは大男に即答で却下された。
「いや、中には仕事の内容が書かれているようで、身内だからと言って渡していいものかは判らない。それは止めておくよ」
そこまで言うと、大男は目を細め考え込むような表情を見せた。
「ところで、君は未千流さんの弟だと言ったね」
「そ、そうですけど、それが何か?」
「それにしては君は狼男には見えないな…」
大男は突然不思議な言葉を口にした。狼男?
「…まあいい、未千流さんに会ったらよろしく伝えてくれ。オレのことは優雨丞と言ってもらえれば判る筈だ」
少し怪訝そうな表情の大男はそのまま踵を返して帰ろうとした。
と、その時、陽大のスマホに着信のベルが鳴った。画面には「未千流」と出ている。姉ちゃんからの電話だった。
「ちょっと待ってください、姉からの電話です」
陽大は帰りかけた大男を引き留め、応答のボタンを押した。
「姉ちゃん、今どこ? ……えっ、何だよその心配いらないってのは。ああ、そうだけど。…何言ってるの、そんなんで母ちゃんが納得するわけ無いじゃん。えっ、うん、いいけど…」
陽大は電話で未千流と話しながら、玄関に優雨丞が居る事を確認する。
「それで今、優雨丞って人が訪ねて来てるんだけど…」
陽大は玄関まで進んで大男に自分のスマホを差し出した。
「姉ちゃんが替わってって言ってます」
「電話、替わったが」
電話を受け取ると優雨丞はちょっと向きを変え、電話の向こうの未千流の言葉に何度か頷いていた。
「……、そうだよ。この前、あそこに手帳を落として行ったの、気が付いてなかったのか? 中に名刺も入ってたから近くに来たついでに届けに来ただけだ。…ああ、なんだ、その辺りはもう少し信用してくれてもいいと思うんだが」
あまりいい話ではないのかもしれない、優雨丞の機嫌の悪そうな声に横で聞いている陽大と香菜の方が緊張してしまう。
「… オレたちがお前たちのプライベートに探りを入れて何のメリットがあると思うんだ? それなら別の方法を使うぞ。…当たり前だろう、まあ誤解が解けたならいいさ。確かにここに居たら居たで、門前払いされていたかもしれないしな」
優雨丞は苦笑いを浮かべていた。
「…実はアナの様子を少し聞きたいと思っていたのもあったんだが、言われてみれば軽率だった。…それで、この手帳はどうすればいい? 弟さんに預けても良ければ置いて行くが。…そうか解った。じゃあまた弟さんに替わる」
優雨丞はスマホを陽大に差し出した。
「ありがとう。話は済んだよ」
陽大はスマホを受け取ると、少し後ろに下がって香菜の様子を確認した。香菜はずっと心配そうな表情で、ダイニングの椅子に座ったままだった。
「陽大です。もう話はいいの?、うん、うん。そんなこと言ったって母ちゃん納得しないよ…」
優雨丞は改めて、部屋の中を見渡した。実は狼男の嗅覚は鋭く、優雨丞は未千流とアナの匂いの他に、もう一人知らないサキュバスの匂いも嗅ぎ取っていた。目の前に居る2人以外の人間の匂いはしない。
リビングの先は見えないが、マンションの規模からしてそう広くはない筈だ。家族と一緒ではなく、一人暮らしであることは間違いなさそうだった。
「…、ああわかった。絶対だよ。うん、じゃあ」
陽大が電話を切ると。優雨丞が手帳を差し出しす。
「この手帳は置いていくことになった。未千流さんが戻った時に渡してくれ」
「…わかりました」
陽大は手帳を受け取ると、いかにも姉ちゃんが使っていそうだなと思って、しげしげとその手帳を見つめた。
優雨丞は陽大が手帳を受け取ったことを確認すると、外に出る。
「では未千流さんによろしく」
ドアが閉まった直後に陽大と香菜は、思わず胸の奥から深く大きな息を吐いた。
「なんか、すごい人だったね」
「何なんだろう、あの人。絶対普通じゃないよな」
ドアのロックを掛けると、陽大は香菜の向かいの椅子にドカっと腰を下ろした。
「汗かいちゃった…」
香菜が何とも言えない、笑顔を見せる。
「こんな時には冷蔵庫に何か入れてあったらよかったんだけど、姉ちゃん気が利かないんだから」
クスッと、香菜が小さく笑った。
「道場どうする? なんかどうでもよくなってきちゃったよ」
「あたしも、ヨウちゃんこのまま帰る?」
「そうしたいけど、今すぐ帰ったら母ちゃんからどうしたんだ、って絶対聞かれるだろうな…」
「あ、そうなんだ。お母さん心配してるんだよね」
陽大は何か考えるように天井を仰ぎ見る。
「とりあえず、出ようか」
「うん」
未千流はハナハナの自室で慌てていた。
スマホに届いている履歴を見て、このままにしておいてはまずそうだと、弟の携帯に電話を入れたのだが、まさか弟が自分の部屋に来ているとまでは考えていなかった。
そう言えばもしもの時にと、鍵の番号を教えてあったのだが、そこまで心配させたという事なのだろう。
それ以上に信じられないのが狼男の優雨丞がそこに居たこと。
弟一人でも面倒なのに、何で優雨丞まで来てたわけ!
弟には急な出張仕事でと誤魔化したが、どこまで納得したかは判らない。それでも後で何らかのフォローを入れれば何とかなるだろうとは思う。両親にも連絡しなくてはならないが、とりあえずは弟から話をしてもらえればその場しのぎ位にはなるだろう。
問題は優雨丞だ。未千流は曲がりなりにもサキュバスである。そのサキュバスに狼男が直接会いに来るという事は常識的に考えられないことだ。
未千流自身、まだサキュバスのことをそこまで理解しているとは言えないが、狼男との関係はある程度理解できているつもりだ。
考えるに、優雨丞がアナの話を聞きたいというのは本音なのだろう。5年ぶりに会った母親とわたしが仲良くしているように見えたので、アナの様子を確認したかった。そこに偶然に私の住所が確認出来て、しかも忘れ物を届けると言う大義名分が出来たので…、という辺りなのだろう。
そう考えれば可愛いと言ってもいい、けれど普通やらないだろうが!
狼男とサキュバスが満月の夜以外で、会って話をするのがどの程度危険なのか今はまだわからない。後で妖子さんにでも確認しておかなければ。
いずれにしても、家族を納得させることを最優先にしなければならないのは間違いない。頭が痛い…。
優雨丞は近くの公園のベンチから、陽大と香菜が自転車で去っていくのを密かに見送った。
弟はただの人間だった。サキュバスの血縁であればそれはあり得ない。高校生と思われたが、あの年齢ならば狼男として既に覚醒していなければならない。しかも狼男に関する知識すら持っていないとは。未千流がサキュバスだという認識すら怪しそうだ。
母親は弟と同居している様子だったが、未千流は既に成人して家を出ている。ならば母親もサキュバスに戻っていなければならないのだが…? 未千流に関してあまりにも不自然な点が多すぎる。
狼男として、この不自然な状況を見過ごすわけには行かなそうだった。未千流の家族関係も調べる必要がありそうだ。
優雨丞はそう考えると、パシンと膝を叩いて立ち上がった。まだ仕事の途中だったのだ。
一仕事終えたら、会社に戻って未千流の家族のことを調べてみることにしよう。




