西糖 未千流2
「陽大、学校の帰りにでも未千流のところ行って、様子見てきてちょうだい」
母さんが、台所ののれんを捲って顔を覗かせる。
「またかよ。いつも通りで勝手にやってるだけなんじゃないの?」
「そんな事ばっか言って、電話にも出ないし。あんただって心配してるんでしょ」
「わかったよ。行けたら行ってくるよ」
陽大はちょっと嫌そうにそう言って鞄を手に取り家を出た。
姉の未千流は夢中になると周りが見えなくなるタイプだから、電話に出ないことも普通だ。しかし今回は、1週間以上連絡なかった後、一昨日のメールに『忙しいから』と簡単な返信があっただけ。その後は何の音沙汰も無い。これはちょっと珍しい事だった。
今までにも音沙汰無しは多かったけど、簡単な状況説明とか、仕事の愚痴とかが届いてウザイな、と思うようなことが多かったのだ。
今日の午後は授業が無いので、いずれにしても道場へ行くつもりだったし、ちょっと足を伸ばしてやるか。
陽大はそんな事を思いながら自転車のカゴに鞄を放り込んだ。
「ヨウちゃん、これから道場行くの?」
「ああ、でも今日は先に姉ちゃんの家に寄ってくから…」
陽大が自転車を用意していると、後ろから香菜が声を掛けて来た。
「あ、未千流姉ちゃん家? 久しぶりだし一緒に行ってもいいかな」
「それはいいけど、姉ちゃん、家に居るかどうかも判らないんだぜ」
「いいじゃない、居なかったら居なかったで。会えたらいいなくらいのつもりで付いて行くから」
「ならいいけど…」
陽大は頭を掻いた。
4組の藍田 香菜は、小さい時から同じ道場に通っていて、道場での仲は良かった。姉の未千流も同じ道場に通っていたので、未千流姉ちゃんと言って慕っていたのだ。
高校に進学してみると、同じ高校になっていたので、今は帰りに一緒に道場に行くこともある間柄になっている。
校門のところで陽大が待っていると、香菜が自転車に乗って現れた。
「一度、家に帰らなくていいのか?」
「大丈夫、道着は持って来てるから」
2人とも制服の上にダウンのジャケットを重ねている。校則では派手な上着は禁止となっている筈だが、香菜のジャケットは真っ赤な色をしていた。無地だし、注意されていないという事は問題ないのだろう。
陽大のスポーツタイプの自転車に対して、香菜はいわゆるママチャリなので、陽大が香菜のスピードに合わせる形になる。
「お姉さんの家に何か用なの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、母さんが見て来いって。1人暮らしだから心配なんだろ。あれでも一応女だからな」
わざわざ姉から連絡が無いので心配、などとまで言う必要は無いだろう。
程なく未千流のマンションに着いたので、邪魔にならないように歩道の隅に自転車を寄せ、鍵を掛ける。
未千流の部屋はマンションの3階。エレベーターで3階まで上がり、部屋のインターホンを押すが応答が無い。
「留守なのかな?」
「いや、寝てるのかもしれない」
陽大はそう言って、もう一度インターホンのボタンを押したが、やはり反応は無い。
ちょっと耳を澄ましてみても、何の気配も無かった。そう言えば前回来た時には、掃除機を掛ける音がしていたんだった。
「電話してみたら」
「ああ、そうだね」
陽大はスマホを取り出して、未千流の携帯番号を選択する。何回かの呼び出し音の後、留守電の案内になったのでそのま通話を切った。
「やっぱ駄目だね、留守電になっちゃうな」
「仕事とかで遅くなって寝てたら可哀そうだし、もういいんじゃない」
陽大はスマホの住所録を開いた。そこには緊急用にと、姉から教わった玄関のパスコードが載っている。
「ちょっと待ってて」
そう言って陽大は玄関のテンキーに指を這わせた。ピッという電子音と共にガチャリとロックが外れる音がする。
「…ヨウちゃん、番号…」
「姉ちゃんが、もしもの時にって教えておいてくれたんだ。これって、もしもの時だろ」
陽大は片目を瞑って、にっと笑顔を見せた。ここは香菜を安心させておかなければならない。
陽大はドアのノブに手を掛け、そおっと、ドアを引いた。姉が中に居れば怒鳴りつけられるに決まっている。
ドアが開くと部屋の中から冷たい空気が流れてきた。部屋の中が冷え切っている。
陽大が先に中に入り、香菜を部屋に招き入れてから、そっとドアを閉めた。
「ちょっと様子見て来るから、ここで待ってて」
陽大が無意識に声をひそめると、香菜も黙ったまま頷く。
カーテンが閉まったままなので、かなり薄暗い。陽大は靴を脱ぎ、ダイニングまでの廊下を足音を立てないように気を付けて歩く。
「姉ちゃぁ~ん。居るのかい?」
少し声を大きくして呼びかけてみるが、人の動く気配はない。陽大はダイニングの様子を見てから、壁のスイッチに手を伸ばした。パチッとスイッチの音と共に電気が点いて、部屋が明るくなった。
何かがらんとした感じがする。いつもはもう少し散らかっていたような…。
「留守なのかな?」
いつの間にか、香菜がすぐ後ろに来ていた。
「姉ちゃん!居ないのか、オレだよ!」
思い切って声を張り上げるが、何の反応も無い。
「ちょっと、奥も見てこよう」
奥の寝室のドアをノックするが、やはりここでも反応が無い。部屋の中で姉が倒れていたらどうしよう、そんな事を考えながら、ドアをそっと開けるがそこにも姉は居なかった。
「やっぱり、留守みたいだし…。勝手に入ったって後で怒られちゃうよ」
「いや、そこは連絡しない姉ちゃんが悪いんだから…」
そう言いながらも陽大は釈然としないものを感じていた。何かが足りない気がする。
あっ!と思って、ダイニングの一角を見て気が付いた。
「姉ちゃんのパソコンが無い!」
パソコンどころか、仕事で使っているゴチャゴチャした物がごっそり無くなっていた。
「パソコンって?」
「姉ちゃんが仕事で使っているやつ、全部無くなってるんだ」
陽大が振り返ってみると、いつもはもっと雑然としていたダイニングにも物が出ていない。それで違和感があったんだ。
「どういうことなの?」
「多分暫く戻るつもりが無いって事なんだと思う」
「どこかに書置きとかないのかな?」
「そんなもの無いと思うけど…、一応見てみようか」
2人は全部の部屋の電気を点けて見て回った。ベッドの布団も折りたたまれているし、明らかに片付けた後はあるが、書置きのようなものは無い。
冷蔵庫の中身も空になっていて、コードまで抜かれていた。
そう言えば、愛用しているオオサンショウウオの抱き枕がどこにも見当たらない。間違いない、長期間の外出準備をして出て行ったのだ。
「どういうつもりなんだろう」
陽大は誰に言うのでもなく呟いた。
「お母さんも知らないの?」
「ああ、知らないと思うよ。心配だから見て来いって言ってたくらいだからね」
「さらわれたなんてこと、無いわよね」
香菜が不安そうな顔になる。
「ここまで片付けてったんだから、それは無いと思うけど。でも何で黙って出てったんだろう?」
ダイニングテーブルに腰を下ろし、色々2人で考えるが、答えなど出るわけは無かった。
「どうしよう、警察に連絡とかした方がいいのかな?」
「それは、まだだと思うけど。仕事道具以外は残ってるみたいだから、完全に引き払うつもりじゃないんだろうし。兎に角もう一度姉ちゃんに連絡取ってみるよ」
『ピンポーン』
陽大がスマホを取り出そうとしたその時、インターホンの呼び出し音が鳴った。静かな部屋に突然大きな音が響いたので2人はビクッとして顔を見合わせる。
「未千流姉ちゃんかな…」
「それは無いだろう、自分の家に帰ってくるときに鳴らさないよ」
『ピンポーン』
再びインターホンが鳴る。
「どうしよう」
考えてみれば2人とも不法侵入ともいえる状態だ。
出ない方がいいかもしれない。そう思った時、ガチャリと音がして玄関のドアがゆっくりと開いた。そう言えば玄関のロックをしていなかった。
恐る恐る玄関を振り返った2人の目には、玄関ドアの向こうに立つ大男が目に入った。
「未千流…、西糖 未千流さんはご在宅ですか?」
何かの制服を着たその大男は、部屋の中を一瞥すると怪訝そうな表情になった。




