娘の立場
その後、父はこれまでの経緯を事細かに話してくれた。
この十数年で中央都市ランドフィールの情勢は大きく変わり、これまで通りの商いが成立しなくなってしまっていたこと。その打開策として、地方の有力貴族との取引へと目を付けた父は、橋渡しとなり得るダーシー家との繋がりを重要視していたこと。そして、ダーシー家の持つ顔の広さと巧みな口利きのおかげで、ローズ家がこれまで以上の収益を上げていたこと。
それと同時に生まれてしまった、ダーシー家との親密な関係性。それはいつしか、受けた恩義と相まって、ダーシー家が傾いて以降もずるずると続いていく、歪な構造へと成り下がってしまっていた。
「それを知っていながらも、どこかで、また以前のような関係性に戻ることを期待し続けた、私の落ち度だ」
現実から目を逸らし続けた自身の行いを悔いるように、父は呟いた。
「全部が全部、お父様の責任ではないと思います」
「……いいや、私の責任だ。お前のことも顧みず、ありもしない幻想を追い続けた、私の責任なのだ」
「なら……。それなら、」
一息ついてから、後ろ向きな父にこれからの話をする。
「次はちゃんと、私にも話してください」
「…………ああ。そうするよう、努力しよう」
やはりどこか気後れしてしまうのか、曖昧な返事しかしない父アーネスト。その視線は、私ではなく目の前のテーブルへと注がれていた。
これまで当然としてきた姿勢をいきなり崩すというのは、そう簡単なことではないのだろう。
私は、伏し目がちになりながらも、絶えず話を続けることにした。
「では最後に、アザナス・エインラッドから受けたとされる誘いについて、詳しく教えてください」
「分かった。……半年ほど前のことだ、突然”私の指示の下で商いをしてみる気はないか”という誘いを受けた。だが私は、条件の理不尽さからすぐに断った。それ以外のやり取りは特にしていない」
「なるほど……。その条件というのは、私も人づてに聞いています」
「あの方がなぜそのような考えに至ったのか、私にはそれを推し測ることはできなかった」
私はそこで、ホルスの自白によって明らかになった、アザナス・エインラッドの思惑を父に伝えることにした。
「これも人づて……に聞いた話ではありますが、貴族よりも総数の多い庶民から利益を巻き上げ、それを貴族へと横流しするのが目的だったようです」
「そう、だったのか……。あの不可解な条件はそのためであったというのか。しかしなぜ、そのような回りくどいことをする必要が?」
「……自身の、支持者を増やすためであった、と私は聞いています」
「そうか。……ではやはり、私の判断に間違いはなかったのだな」
そう話す父の顔は、少しばかり誇らしげに見えた。
「私も、そう思います」
「あそこで提案を受け入れていれば、ローズ家は没落せずに済んだのだろう。……だがメルヴィン、私にはそれがどうしても、どうしても出来なかったのだ」
「……私が、私がお父様の立場でもきっと、同じ選択をしたと思います」
「それはなんとも、頼もしい意見だ」
本当によく似ているのだな、と父であるアーネスト・ローズを正面にして改めて実感してしまった私は、つい余計なことを口にしてしまう。
「本当に、融通の利かない頑固者ですね。私達」
発した次の瞬間、はっと我に返る。思ってしまったこととはいえ、仮にも当主である父に対して、今の物言いは軽率過ぎた。すぐに謝罪を、と口を開く。
「あ、あの、今のは……!」
「頑固者……。はっ、ははは。そうかそうだな。その通りだ。まったく何を思ってそこまで意固地になってしまうのか。自分でも不思議なくらいだ」
「そこまでのことは……」
言っていないのだけれど、と続けようとして、
「けれどあの日、グレイシス殿はこの屋敷で仰ってくれたぞ?」
「グレイシス様、が……?」
突然の聞きなれた人物の名前に、思わず息を呑んだ。
「何もない自分にとっては、その頑なさが眩しいくらいだ、と」
「この屋敷……って。もしかしてドレスを届けてくれた日のことですか?」
「む。なぜそれを?」
「えーっと……。本人から直接、聞きました」
正確には聞き出した、と言ったほうが正しいのかもしれない。
恐らくグレイシス様から口止めをされていたのだろう。父は、ほんの少し不思議そうな顔をしてから話を再開した。
「そうか。……忘れもしない。あの日グレイシス殿は、もはや打つ手なしと諦めていた私に向かってただの一言、自分がどうにかしてみせる、と告げられた。
正直なところ、私は半信半疑だった。まだ年端も行かぬ青年に一体何ができるのか、と思わなかったといえば嘘になる。けれど、そんな私の疑いの目など気に留める様子もなく、ただ昂然と、グレイシス殿は自身の有用性を提示してきたのだ」
「そう、だったんですか…………」
「私は驚いたよ、メルヴィン。あの若さで自我を捨て、己自身をも手段の一つと考えられる冷徹さは、流石はアスタイン家の人間である、と。――けれど、そうだな……」
一瞬の躊躇いを見せてからぽつりと、
「それ故に、どこか危うささえ感じられたのも事実だ」
父が漏らした言葉は、私がこれまで抱いてきたグレイシス・アスタインという人物に対するわずかばかりの違和感を決定づけるものとなった。
彼にとって、自身という者は何かを達する上での手駒にすぎず。確かな結果を手繰り寄せるためならば、迷いなく切り捨てることの出来る対象でしかないのだ。
だから自身の恐れよりも、定期舞踏会で私の隣に立つことを優先した。それがローズ家を救うための最善手だと彼は理解していたから。
だから自身の痛みよりも、アランによって手を負傷してしまった事実が露呈することを恐れた。それが誰にとっても不都合しか生まないことを彼は知っていたから。
なんて、憐れ。
その軽薄すぎる生き方は、今日の自分の行動とどこか似ていた。
追い詰められたすえ行きついた、自身という究極の選択肢。
それを、日常的に、何の迷いもなく選べる人間がいるとすれば。それは。
「――まるで、道化のようですね」
正直な感想が、思わず口から漏れ出た。
それを耳にした、父アーネスト・ローズはすぐさま口を閉ざす。
唐突な娘の棘ある物言いに、立場上どう返すべきか思いあぐねたのだろう。
私は、少しばかりぎこちなさを見せる父を一瞥してから、壁にかけられた時計へと視線を移した。時計の針は、いよいよもって真夜中の12時を指し示そうとしている。
それを見て、これ以上の滞在は流石に迷惑になるだろうと判断し、
「ではそろそろ失礼します」
とだけ告げて席を立つことにした。
「明日も、早いのか?」
「はい。明日は朝一番で学園に戻ろうと思っています」
「そうか」
去り際に交わされる、お約束なやり取り。
それを終えてから、ゆっくりと穏やかな足取りで書斎の扉へと近づいていく。
ドアノブに手をかけ扉を開けようとした次の瞬間、
「また、何かあったら連絡する」
背後から、突発的に放たれた声が響いた。
それは、まごうことなき父の言葉であり、けれど、いつものような形骸的な挨拶などではなく――――
純粋に、そのままの意味で投げかけられた私への提言だった。
たったそれだけのこと。
けれど、ただそれだけのことが私の胸を高鳴らせる。
人知れず半歩ほど後ろを振り返り、一度だけ深呼吸をした。
気丈に、誰が見ても臆するほどの威厳をもって、最後に二言だけ。
「そういえば、私からお父様に言いたいことが一つだけありました」
「……なんだ?」
「他の誰でもない、私がお父様の娘であるという事実をどうかお忘れなきよう」
母の話を聞いてから、父に対してずっと言ってやりたかったことを吐き出して、私は一人書斎を後にした。
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