勝敗固執
止血処置が終わり、ホルスの手が止まる。
「では、そろそろ行きましょうか」
最初から全てを諦めていたような、そんな表情で告げられる言葉。
私はそれを、制止するように口を開いた。
「待って」
「……どう、しました?」
「あの時のやり取り、私と過ごした数日間のやり取りも全て、嘘、だったんですか……?」
それは、青年の誠意を問うための、審議となる質問。
「嘘……ではありませんでした。今更そんなことを言っても信じてはもらえないかもしれません。
――けれど自分は、メルヴィン。あなたと過ごした日々の記憶を、生涯忘れることは、きっとないと思います」
不器用に紡がれる返事。
「それって……」
思わず視線を上げたその先にいたのは、自分のよく知る友人、ホルス・リオネットの姿だった。
真顔の中に、わずかばかりの微笑を浮かべている彼の表情には、あの日の面影がちらついている。
友人は、少しの間を置いてから、何かと決別するような哀愁と共にこちらに背を向けた。
「あなたのことを心配している人達のためにも、なるべく早く帰りましょう」
「えっ。あ、はい……」
そこで私とホルスの受け答えは、彼の一方的な断截によって終わりを迎える。
最初から、私の許しなどまるで望んでいなかったかのように。
では、なぜ。なぜ彼は、自身の立場を危うくしてまで、私を助けに来たのか――――。
「最後に一つだけ、ホルス答えてください!」
それが知りたくて、友人の後ろ姿に向かって思いっきり叫んだ。
「あなたはどうして、私を助けてくれたんですか!?」
私の詮索が目的だったのなら、それだけでよかったはず。わざわざ、リエラ・レイゼットの平手打ちを止める必要もなかったし、わざわざ、いなくなった私を探す必要もなかった。
だから、ただ純粋に、何が彼をそうさせたのか、それを私は知りたかったのだ。
私の声に呼応するように、ホルスはこちらへと向き直る。そして、
「それは――メルヴィン、あなたが自分の誇りだからです」
とても、とても大切なものを慈しむような目で呟くのだった。
それが、彼を突き動かした唯一の理由。
――憤りも、恐れも、悔しさも、まだある。けれど私は、私の在り方を、私以上に尊重してくれた友人との関係を、このままなかったことにはしたくない。
「あの……! ホルス!」
「……どう、しました?」
私の非力な手では、彼の過去も、現状も、変えてあげることはできない。
だからせめて、あの数日間の思い出と再び巡り合えることを信じて、私はまた、あの時と同じ質問を投げかけた。
「よければまた、昼食を一緒にしませんか?」
あまりにも唐突すぎる提案。そもそも彼が、以前と同様学園にいられる保証はどこにもない。
けれどホルスは、まるで私の真意を汲むように、一度俯いてから、
「はい。喜んで」
と、あの日、聞くことの出来なかった言葉を返してくれた。
その約束が果たされる日を夢見るような、幼い、少年のような眼差しで。
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アザナス・エインラッドは、使用人の口から予期せぬ報せを聞かされて、目を点にさせた。
「まさか、そんな――……」
自分でも気付かぬうちに漏れ出た驚きの声。
次の瞬間、彼は使用人を睨みつけると、現実を否定するように激怒した。
「ふざけるなっ!! そんな戯言を私の耳に入れるなど、無礼にもほどがあるぞ!!」
「も、申し訳ありません……。で、ですが、全て事実にございます……」
「そんなわけあるか! そんなこと……、あるわけ…………」
――あるわけがない。自身に誰よりも忠実で、誰よりも従順だった、あのホルスが。他の誰でもない、あのホルス・リオネットが。主である自分の計画を、根底から台無しにしてしまうなど。そんなこと。
錯乱する頭で、アザナス・エインラッドは考えた。何度も、何度も。
そして、プツリと何かが切れてしまったように静かになると、次の瞬間、怯える使用人から視線を外し、さきほどまで自身と対峙していたグレイシス・アスタインへと向き直る。
「お前の、仕業か?」
「何のことだ……?」
「とぼけるなよ? お前が 私のホルスをけしかけたのだろう?」
室内に広がる切迫した空気と、目の前の男の狼狽ぶり。
その様子から大体の予想が付いていたグレイシスは、更なる確信を得るため、今度は落ち着いた声で情報の開示を求めた。
「一体何があったのか、説明して欲しい」
状況を理解させなければそもそもの話にならないと判断したのか、アザナスは珍しく青年の意見に従った。
「……今さっき、メルヴィン・ローズが逃げたという連絡が入った。連絡を寄こした者の話では、助けたのは私の付き人であったはずのホルスだそうだ。どうだ、心当たりがあるのではないか?」
そこにあったのは、恨みというよりは嘆きに近いものだった。
それまでの高圧的な態度から一転、今のアザナス・エインラッドの中にあったのは、それまで断固として揺らぐことのなかった自身の定石が、呆気なく崩れ去ってしまったことへの失意の念だった。
「心当たり、か。それならある」
「やはりお前が、ホルスを誑かしたのだな……」
「明確な回答をするのであれば、それは違う。確かに僕は、ここに来る前ホルス・リオネットと話をしているが、それがきっかけになった訳ではないだろう。なぜなら、僕が彼と出会ったのは、アザナス・エインラッド、貴様の屋敷へ向かう途中だったからだ」
グレイシスの話を聞いて、男は眉をひそめた。
ホルスのその行動が、自分が彼に出した指示とは全くの別物だったからである。
だからこそ余計に分からなくなった。目の前にいる青年ではないとして、一体何が、傀儡と化していたはずの人間を突き動かしたのか、ということが。
「では、なんだ? なにが要因だ?」
「それは……。実のところ、僕にも分からない」
グレイシスは、お手上げとでも言わんばかりの苦笑を浮かべながら、話を続けた。
「――だが、僕にも、そして恐らく貴様にも、留意することのできなかった何かが起こったのは事実だろう」
「なんだ、と? ではなんだ、私は、そんなよく分からないことのせいで、お前に負けるというのか?」
「彼女の救出が貴様の敗北に繋がる、とそう言いたいのか」
「当然であろう。その娘を我が手中に収めておくことこそが、私の切り札なのだから。さすれば、グレイシス・アスタイン、お前は私の言うことを聞かないわけにはいかなくなる。ついでにローズ家への戒めにもなるというおまけつきだ。これ以上の手は他にあるまい。私らしい、斬新で能動的な計画だったはず……。そこに組み込まれた一駒が、余計なことさえしなければ、な」
「全てを目論んだ上での犯行だったわけだな……」
「犯行とは、ずいぶん大袈裟な言い方だ。これは私とお前の、余分なものを使って戦う、言わばゲームのようなものではないか」
自身の行いに正当性があるように主張する男。
それを見て、グレイシス・アスタインは戦慄した。
自分以外の人間を駒としか捉えていない思考回路。自身の勝ちにのみ執着する自尊心。
500年という長すぎる時間の中で累積し続けた、貴族という歪な在り方の総体を、目の当たりにしたような感覚に襲われる。
この男をこのまま放置しておくことは出来ない、という絶対的な心証。その前には、自身がこれまで持ち続けてきた信条など、どうでもいいように思えた。
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