二つ返事
『――ちなみに』
そこで口を噤んだ。
それ以上余計なことを詮索する必要はないと判断したのか、聞いたところで何が変わるでもないと諦めたのか、今更あの時の感情を思い出すのは難しい。
彼女が毎日、日課のように足を運ぶ礼拝堂。あの会話の後、そこに姿を現したのはアザナス様が口にした噂通りの風貌を有した青年だった。
自信に充ちた眼差しと、そこに在ることを当然とする佇まい。
特徴など知らなくとも、一目見てその人なのだと分かっただろう。
それほどまでに、グレイシス・アスタインという人物には計り知れない優位性が存在していた。
間違いなくこの人なのだろう、という承認と共にあったのは、出来ればこの人でなければいい、という否定。
現実は非情にも前者を選び、いよいよもって、俺の友人であるメルヴィン・ローズは混沌の渦の中へと巻き込まれていった。
その一因を担っていたのは間違いなく、俺自身だ。
だというのに、それでもなお今、彼女のことを思って走り続けるその姿はまさに、矛盾の塊とでも呼ぶべきだろう、などと自分を嘲笑った。
目的地は、いつもの酒場ではなくエインラッド家。
学園から徒歩で向かうには少し距離はあったが、今のところ自分が知っているアザナス様の所在はそこにしかない。
向こう見ずにひたすら走り続け、そろそろ屋敷が見えてくる頃かと思われたその時、バタンという音と共に一人の青年が近づいてきた。
その顔、歩き方、立ち姿には見覚えがある。
一度見たら二度と忘れることはないだろう、格式ある様相。彼の名は――――
「グレイシス・アスタイン……」
「ホルス・リオネットだな」
自身の名を呼ばれて我に返った。相手は、自分のような人間が、気安く呼び捨てにしていい立場の人間ではない。
「失礼しました。グレイシス・アスタイン様。自分の名はホルス・リオネットで間違いありません」
「腹の探り合いをしている暇はない。単刀直入に問う。お前がアザナス・エインラッドの斥候だな?」
「斥候……」
あまり聞きなれない言葉を耳にし、一瞬戸惑う。すると目の前の青年は、それを直ぐに察したように、
「最近、メルヴィン・ローズの周囲を探っていたのはお前で間違いないか?」
という、具体的な問いへと言い換えた。
「……はい。自分がその役目をアザナス様より仰せつかりました。間違いありません」
「そうか」
グレイシス・アスタインは一言だけそう漏らした後、思案する表情を見せる。そして次の瞬間、間髪入れずに新たな質問を投げかけてくるのだった。
「では今、彼女がどこにいるか知っているのか?」
「残念なことに、知りません」
「なぜお前が残念に思うのだ?」
「それは、自分も彼女のことを探しているからです」
俺の発言を聞き届けると、青年は眉をひそめた。
「アザナス・エインラッドの付き人であり、斥候の役を任されていながら、メルヴィンを探すのか……?」
さきほどから、自分と会ったこともなければ話したこともない青年が、本来であれば知るはずのない情報を口にしていることに違和感を覚えていた。が、ここにきてようやく、その全容を理解する。
「自分のことは既に下調べ済み、ということですね。グレイシス様」
「その通りだ。だからお前の出自や背景、現在に至るまでの経歴は全て承知済み。ただ一つだけ分からないことを本人であるホルス、お前に聞いている」
「なるほど。そうでしたか……」
あまりに無駄のない思考と決断に、恐れすら覚えた。
彼の言葉には、情感というものが一切含まれていない。
ただ機械的に、冷然と、目的のための情報を収集している。
結果的に、それが最善手となることを無意識に理解しているのだろう。
人でありながら、常人にはない均衡感覚を有する存在。
それが、ただ一つの事実を浮き彫りにさせた。
――自身が仕える主、アザナス・エインラッド様が持ち得ないものを、彼は天性的に持っている。
その事実が何を意味するのか、一介の庶民である俺には想像することもままならないが、少なくとも、その適正な判断能力になら、俺の意志を任せてもいいように思えた。
「では、お答えします。メルヴィンが自分の友人だからです。今のところそれ以外に理由はありません」
「友人……」
友人などとうそぶいておきながら、これまで彼女を欺き続けた人間を、そうやすやすと信用するとは思えない。
それでも、出来る限りの誠意を以て、視線で、言葉で、態度で、俺の本気を示す以外に方法はなかった。
ほんのわずかな沈黙。そして、
「その言葉の全てを信用することは出来ない。だが、こちらに動かせる手駒がないのも事実。故に今はホルス、お前の話に耳を貸そう」
昂然と、秤にかけた末、そちらを選んだだけである、と告げられたグレイシス・アスタインの言葉。
それは、裏付けのない俺の言葉を許容するために青年が見せた、最大限の譲歩のように思えた。
「ありがとうございます。それだけで十分です」
「では話を戻す。ホルス、お前は先ほど、友人であるメルヴィンを探していると言った。つまりは、彼女がどこかに留め置かれているという状況だけは把握しているのだな」
「自分は、あくまでも彼女の行動を探りアザナス様に報告していたにすぎない存在です。なので、あの方が何を考え、どういった手段を講じたのか、その辺りについては頂いた指示を頼りに想像で補いました」
メルヴィンのことを大切に思う人間の一人として、本来なら俺の話は、耳にするだけで怒りが込み上げてくるはずの内容だ。けれど青年は、表情一つ変えることなく話を進め続ける。
「そうか。その指示というのを僕が君から聞くことは可能だろうか?」
「それは……」
今俺がしていることは、主人に反旗を翻すための行動ではない。あくまでも友人を助けたいと思う、自己都合による行動。
だから、任された仕事内容を他人に口外する行為は、ルール違反に思えて、
「それは、出来かねます」
と、答えざるおえなかった。
「承知した。となると今分かっていることは、メルヴィンが連れ去られ、どこかに留置されていること。そして、それを餌にアザナス・エインラッドが、僕のことを自身の屋敷まで呼び寄せたこと。以上の二点だ」
「……はい」
「僕はこのまま、エインラッド家まで出向くつもりでいるが、ホルスお前はどうする?」
「自分もそのつもりでした」
「その場合、目的を同じくする人間二人が、同じ場所に向かうことになる」
「そう、なりますね……」
などと返事をしておきながら、グレイシス・アスタインの意図はまったくもって分からない。
「仮に、エインラッド家にメルヴィンがいた場合はそれでもいい。だがいなかった場合、それだと彼女を助けるまでの時間と手間を無駄に浪費することになる」
「なるほど……。では、二手に分かれて捜索を?」
「出来ればそうしたいところだが、恐らく僕は、ホルス、お前の主人との折衝だけで手一杯になるだろう。だから、お前に……君にメルヴィンのことを託したい。頼めるだろうか」
「それ、は…………」
思ってもみなかった依頼ではあったが、最初からそれが目的ではあった。
「僕の予想だが、アザナス・エインラッドは、メルヴィンを自身の屋敷に留め置くような見え透いたことをする人間ではないように思う。それだと、屋敷の者達に異様な雰囲気を感づかれる恐れがある上に、いざという時の逃げ道がなくなる。だから、メルヴィンが今いる場所はエインラッド家ではない」
「ではどこに?」
「それを、君に見つけて欲しい」
その透き通るような青い瞳は、真っすぐにこちらを向いていた。
それは、他の誰にも、自分以外には他の誰にも、目の前の青年にすら出来ない役目を委任する言葉のようでいて、だからこそ、二つ返事で答える以外の選択肢はなかったように思う。
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