動揺の色
「正直なところ、僕にも分からない……」
苦々しい顔で呟いたグレイシス様を見て、私はようやく、胸の中にあったわだかまりが取れたような気がした。
「――恐らく君は、あの一件以降、都合よくアシェリー・ミルボンドがいなくなり、真っ先に僕のことを疑ったのだろう?」
「それは…………」
そうだ。間違いない。
私は、空白の席を見つめながら、そんな訳がないと自分に言い聞かせると共に、グレイシス様が秘密裏に手を回したのではないかと疑っていた。
定期舞踏会の一件以降、彼にそれだけの能力があるということを知ってしまったから。
「そうです」
「あのやり口を見せられたら、僕でもそう思う。けれど誓って、僕はアシェリーやアランが学園を去ったことには関与していない」
「やはりアランも、でしたか……」
かつての婚約者の名を聞いて驚くと共に、どこか納得してしまっている自分がいた。
「学園内の知り合いから教えてもらった。どちらもいなくなった理由までは分からなかったそうだ」
「誰も彼も、まるで最初からいなかったかのように話題にもしないので、アランがいなくなっていたことは知りませんでした」
「みな……いなくなってしまった者への興味はないのだろうな」
どこか寂し気な顔を見せた後、青年は、ここからが本題だとでも言うように声のトーンを下げた。
「この結末を誰が描いたのかは、まだ分からない。けれど、仲介役を担っていた者の正体は掴んだ」
「本当ですか……!?」
「その者の名は、アザナス・エインラッド」
「……アザナス・エインラッド。それは、まさか――」
「王侯貴族の内が一つ、エインラッド家の嫡男だ」
偶然だったのか、必然だったのか、それはグレイシス様とまったく同じ身分でありながら、彼とはほとんど関りを持つことのない人物の名であった。
「なぜ、エインラッド家のご子息様が、アランやアシェリーと関わりを持つ必要があったのでしょう……」
まるで接点のない人物相手に、疑問を漏らす。
「アランやアシェリー、と言うよりは、ダーシー家やミルボンド家、と言ったほうが正しいだろう」
「つまり、アランやアシェリーのお父様が、その方と繋がりを持っていた、と?」
「その通りだ。その筋に詳しい者の話では、ミルボンド家は最近になって、ダーシー家はおよそ10年ほど前から、その者との繋がりを持っていたらしい」
「10年前……」
まだこの国に、『内外適正取引条約』が制定される前の時代……か。
「「ローズ・フレイム」」
「あ、すいません」
「いや、こちらこそ。……僕も、彼らを結び付けていたのはそれだったのではないかと踏んでいる」
「……でも、裏付けが取れないんですね」
私の一言に一瞬驚いた顔を見せて、グレイシス様は口を開く。
「ははっ……流石はメルヴィン嬢。よくお分かりで」
「あ、いえ! 決して先読みしようとか、そんな邪なことを考えていた訳でありません! ただ、グレイシス様が文末を濁す時は、そういう場合が多かったので……」
「そう、か。驚いたな……。僕にはそんな癖があったのか……」
「不快な思いをさせてしまっていたら、すいません……」
「いいや、むしろ頼もしい限りだ」
「たの、もしい……?」
予想外の反応に面食らいつつ、誇らしげに言う青年の横顔を見て、なんだかよく分からない心地よい充足を感じていた。
「もともと、アスタイン、コーリンス、エインラッドの三家はそれぞれが不可侵の間柄でありながら、それぞれを監視する役割を担っているのだ」
「王族からの絶対的な信頼を得ているのに、ですか?」
「だからこそ余計に、一つの家に権力が集中してしまわないよう作られた仕組みなのだろう。あくまでも僕達は王侯貴族であり、王族ではない。故に、絶対にその立場を覆すことは許されない。実に巧妙なやり方だ」
青年は、自分の家の話にも関わらず、自身が置かれている状況そっち退けで、その機構の巧みさを嬉々として語る。
その姿はまるで、初めておもちゃを預けられて喜ぶ幼子のようだった。
「お互いに怪しい動きがないか監視し合いながらも、余計な干渉は行わない関係性……」
「だがそれも、全ては王侯貴族に対してのみ適用する話だ。他の貴族やそれ以外の者達には適用しない」
「では、今回のこと全てがアザナス・エインラッドという人の暗躍によるものだったとしても……」
「エインラッド家の者が個人的にやったこと、で全て済まされてしまうだろう」
「国家の継続に重きを置いた、残酷な仕組みなんですね」
それは、骨組みさえ頑丈であれば他の部位はいくらでも替えが利くという、組織としての理想形態。けれど、私のような一個人から言わせれば、どこか癪に障る有様だ。
「だからこそ、ある一定の範囲内での横暴は許されてしまうのだろう、な」
「となると、アザナス・エインラッドという人の個人的な道楽に、私とアシェリーとアラン、そして偶然にもグレイシス様が巻き込まれてしまっただけ、という説が浮上しますね」
「僕はそれが一番濃厚だと考えている。ただ、そこで気がかりなのは、アザナス・エインラッドの筋書にはいなかったであろう僕が、表立って動いてしまったことが、彼にいらざる刺激を与えてしまったのではないか、という惧れだ」
「それでは、グレイシス様の身に危険が……」
「その心配はない。流石に相手も、原則違反をしてまで僕に手を出すようなことはしないだろう。その代わり――……」
青年は顔に明らかな動揺の色を浮かべて、私を見た。
「私、ですか?」
「……すまない。僕の軽率な行いのせいで、君にいらぬリスクを背負わせてしまった」
「それは、なんとも……まあ」
状況を深刻に受け止めているグレイシス様を前にして、いまだほとんど実感というものが湧き出てこない私は、大分間の抜けた返事をしてしまう。
「もちろん、そうならないよう早急に手を打つつもりだが、どうか用心だけはしていて欲しい。頼む」
「……分かりました。ちなみに、用心というのは具体的にどういったことに対してですか?」
「間違いなく言えるのは、相手も無為無策で動くような真似はしないだろう、ということ。その点を踏まえると、初手はやはり斥候、か……。最近になって知り合った人物などには、あまり余計なことを話さないよう注意して欲しい」
その場で結論を導き出した青年は、流れのまま私に指示を出した。
彼の口から紡がれた具体的な表現は、いまいち状況を受け入れきれていなかった私に、否応なしの現実をつきつける。
「………………」
――最近になって知り合った人物。それに思い当たる人が、一人だけ、いたから。
「……メルヴィン嬢?」
「あ、はい。分かりました。以後、気を付けます」
そう返事をしておきながら、頭の中にあったのは、まさかそんなはず……という、どこまでいっても落としどころの分からない懐疑心のみだった。
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