おにぎり
「自分のことは気にしないでください」
特に気に留める様子もなくホルスは言った。
「ありがとうございます」
それに甘える形で私は告げる。
「何か用事でも?」
「いえ、特には。ただ、友人と昼食の約束をしたので……」
「……そう、でしたか。――ちなみに」
「ちなみに?」
「いえ、やはり大丈夫です」
言い淀む青年の様子を不思議に思いながらも、私は、そうですか、とだけ答えた。
グレイシス様と別れた後、私は寮内で朝食を取りながら、昼食時に何を持っていこうか考え込んでいた。サンドウィッチは……あちらと被りそうだし……。汁物は、持ち運ぶのが難しいし……。
悩んだ末、無難なおにぎりという、庶民の間で広く親しまれている食べ物へと落ち着いた。
やはりこれが持ち運びには最適である。などと、独り自己満足感に浸っていると、ふと、ある人のことが気になった。
特段、いつも約束をして一緒に昼食をとる間柄という訳でもないが、一言断りぐらいは入れておくべきだろう。そう思い至った私は手短に朝食を済ませ、まだクラスメイトが揃いきっていない『2ーC』へと向かい、既に自分の席へと着席していた友人に声をかけたのだった。
――何かを聞きたかったのか。それとも、何かを言いたかったのか。ホルスの胸中を想像してはみたものの、そのどれもが的外れのような気がして、私は静かに自身の席へと戻っていった。
用があればいずれは話してくれるだろう、などと悠長なことを考えながら。
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お昼休みになり、私は約束の場所へと足を運んだ。
古びた校舎の中にある、厳かで、それでいて穏やかな趣を潜ませる礼拝堂。
ここ数日は、この場所に来るのが日課と化していたため、初めてこの場所にやって来た時ほどの感銘は、実のところあまりない。
だというのに、もはや見慣れたであろう景色が色鮮やかに見えてしまうのは、恐らくこの場所に来る意味がようやく生まれたからなのだろう。
部屋の両壁に備え付けられたステンドグラスからの光を浴びながら、そんなことを考えていた時だった。
「待たせてしまっただろうか?」
それまで一人きりだった空間に、自分以外の誰かの声が響く。
私は、その誰かが誰であるかを理解していながら、それでもただ実感が欲しくて振り返る。
「いいえ。私も今さっき来たばかりです」
私の返答を聞いて安心したように、そうか、と胸を撫で下ろすグレイシス様の姿を見て、私はやっと、これが現実なのだと受け入れられた。
「メルヴィン嬢は、何を持ってきたのだ?」
私の手提げ袋を不思議そうに眺めながら青年は尋ねた。
「私は、おにぎりです」
「おにぎり……とは、一体どういったものなのだろう」
「えー……っと。その……」
おにぎりとは、一体なんなのか……。そういうものである、と日常的に受け入れていた存在を改めて問われて、一瞬頭の中が真っ白になった。
白米を握ったもの、では説明不足な気がするし。白米を持ち運べるように小さくまとめたもの、では何だかニュアンスが違う気がするし。
迷った挙句に私が出した結論は、見てもらうのが一番手っ取り早いという、いたく短絡的なものだった。
「今、お見せします!」
張り切って声を上げると、青年を通路左側にある長椅子に座るよう促してから、その隣に座る。
急いで手提げ袋からおにぎりを取り出し、そして堂々と、これです! と掲げてみせた。
……ただのおにぎりを、まるで宝玉でも供えるがのごとく、それはそれは堂々と。
「なるほど……。これがおにぎりか」
高々と掲げられた、私お手製のおにぎりをまじまじと眺めながら青年は唸る。
「よければお一ついかがですか?」
「いいのか?」
「わ、私が作ったもので良ければ……」
青年は一度穏やかに笑ってみせ、そして、ありがとう、と一言告げてから、私の掲げるおにぎりに手を伸ばした。
「どうでしょうか……?」
「これは、」
「これは?」
「機能面において優れているだけでなく、味も損なわずに食べることが出来る、画期的な食べ物なのだな」
少年のように目を輝かせながら語るグレイシス様を横目に、私は、おにぎりの感想よりも私の作ったおにぎりの感想を聞きたくて、結論を急いだ。
「つまりはどういう?」
「メルヴィン嬢、君の作ったおにぎりの味はとても美味しかった。重ねて礼を言う。ありがとう」
「へ、へー……そ、それは、よかったです……」
淀みなく真っすぐと伝えられた言葉は、私の目を左右へと泳がせるのだった。
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おにぎりのお礼という名目で、グレイシス様からサンドウィッチを二切れほど渡された。
その一つを口にしながら、私はふと、あることを思い出す。
「……お借りしていた上着を持ってくるのを忘れてしまいました」
「上着? あ、ああ。あの日のものか。当分使う予定もない故、いつでも構わない」
「分かりました」
そして、それと同時に湧き出てきたのは、ここ数日間ずっと胸の中に溜めこんでいたある思い。
――それはあの時、使用人エリザとして率直に聞くことの出来なかった、極めて単純な問いかけである。
「グレイシス様、その後、手のお加減はいかがですか?」
「手か。手はこの通り、大事を取ったおかげで傷痕も残らずに済んだよ」
「それなら、よかった……」
右手の掌を差し出しながら、まるで他人事のように呟いた青年は、私の安堵の声を聞くと共に顔を曇らせた。
「……あの手紙は、受け取ってもらえただろうか?」
「礼拝堂に置いてあった白い手紙のことでしょうか? それなら受け取りました」
「そうか」
「はい。やはりあれは、グレイシス様が置いたものだったんですね」
私は、宛名も差出人も不明の、ただ用件だけが記された手紙のことを思い出していた。
「ああ、知人に頼んで置いてもらった。……メルヴィン嬢にはそれ以降、何の便りもいれず心配をかけ続けてしまった。すまない」
「いいえ、私は別に――……」
気にしていませんから、と行儀正しい返事をしようとして、寸前で止めた。
だって、それは嘘だ。
私は、アスタイン家の屋敷に忍び込んでまで、本人の安否を確認しようと邁進した。なのにそれを、体のいい言葉で濁していいはずがない。
「心配……しました、とても。自分でも驚くほどに。だから、だからどうか、もう少しだけ自分のことを大事にしてください」
これから先、彼が傷つかないよう祈りを込めて、私は本心を口にした。
グレイシス様は、一瞬表情を固まらせた後、
「わかった」
と重々しく答えるのみだった。
そのまま、流れゆく時間に身を任せつつ、天気の話や、身の回りでの出来事、好きな食べ物の話から一周回っておにぎりが生まれた経緯の考察まで、どこかありふれた、けれど有意義すぎるほどの時間を過ごした。
「転入生、か……」
一通りの会話を終えた後、グレイシス様が空を見つめながら呟いた。
「アシェリーが学園を去ってすぐのことだったので、正直驚きました」
「その転入生の名は、なんというのだ?」
「ホルス・リオネットです」
「ふむ……」
思案する青年を前に、私は、いなくなってしまったアシェリーのことを尋ねたくなった。
聞けば後悔するかもしれないし、知らなければ幸せなのかもしれない。
けれど私は、当事者として、アシェリー・ミルボンドが学園を去ってしまった理由を知る必要があると思った。
例えそれが、青年の冷酷な一面を目の当たりにする結果を生んだとして。
それでも、私の行動がその一端を担っていたのだとしたら、やはり私は知らなければならないだろう。
「なぜ、なぜアシェリーは、学園を去らなくてはいけなかったのでしょうか……」
「それは――……」
青年は、苦虫を噛み潰したような顔で言葉を続けるのだった。
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