平々凡々
次の日の昼休み、私は約束通りホルスと食堂で昼食をとった。
どこに座るか、などという確認以外の会話はほとんどなく、お互い別々に座っても支障が起こらないほどの静けさの中、食べ物を口へと運んだ。
そして次の日、特に約束を取り付けたわけでもなかったが、先に席に着いていたホルスの前に座り、一言二言会話をしてから黙々と食事をとった。
更に次の日、まるで最初から約束でもしていたかのように同じタイミングで隣り合わせの席にそれぞれが座ると、お互いに顔を見合わせて、あ! などと驚いた声を出し合った。
ここまで計三日。ホルスとの会話のない食事は、これといった気まずさを見せることなく続けられた。
最初に沈黙を破ったのは、意外にも私ではなく青年だった。
「そのスープ熱いですよ」
「え? あ……」
言われて気が付いた。今、口にしようとしていたスープは、さきほど出来上がったばかりのもので、目の前の深皿からは白い湯気が立っている。
「ありがとうございます。私、よくやってしまうんですよ」
「メルヴィンが、ですか?」
「そうですが……」
口につけようとしていたスプーンを器へと戻しながら私が言うと、ホルスは悩まし気な顔でこちらを見た。
「会ってまだ日も浅いですが、自分の目から見たメルヴィンからはあまりそういった印象を受けなかったので、少し意外でした」
「そういった印象というのは、ちなみに……?」
「その……俗に言う、ドジであるとか、間が抜けているとか、そういったイメージです」
「つまりホルスは、一見抜かりないように見えた私が、実のところドジ、または間が抜けていると分かって驚いていると、そういうことですね?」
二人のやり取りに思い違いが起こらないよう、今の状況を分かりやすく整理してはみたものの、いざ口にしてみると、何とも言えない切なさが込み上げてきた。こういうのを内柔外剛と言うのだろうか……。
「いえ、違います!」
ガタリ、という椅子が勢いよく引かれる音と共に、ホルスは声を荒げる。
次に発せられたのは、あ、すいません……という落ち着いた謝罪の言葉だった。
そのまま引いたばかりの椅子に座り直す青年に、私は不可解な心持ちで尋ねる。
「どこか意味合いが違いましたか?」
「いえ、意味合いというレベルではなく、ほぼ全てが違います」
「え…………」
まさか、最初から間違っている……と? そんなはずは――――。
「言葉足らずでした。補足します。自分の目から見たあなたは、凛として何事にも動じない高潔な人であるというイメージが強かったので、親しみやすい一面があることに驚いた、と言いたかったんです」
これで意味は伝わりましたか? と平然と言いきるホルスに対し、私は、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
……これは。誉め言葉と受け取ってもいいのだろうか? いや、ただの感想という可能性も。む、それともただ事実を述べただけに過ぎない、とか……。でもそうなると、事実そう思ったからホルスは口にしたわけであって――……。
「理解しました」
気恥ずかしさと、そこから生じる混乱と共に全力で振り絞った言葉は、驚くほど簡素になってしまっていた。
「それならよかったです」
浮足立つ私をよそに、ひとりでに満足した様子のホルスは、目の前の食事へと視線を落とす。
いやいやいやいや、ちょっと待って。
そんな、そんなことって……。あそこまで褒めちぎっておいて、そのまま放置とか。
私のこの高まる気持ちは、一体どこに持っていけばいいんですか?
「な、なんで、その……そのイメージを?」
出来るだけ自然な態度で尋ねようと努力こそしてはみたものの、明らかな不自然さだけがいやに目立つ結果となった。
「改めて聞かれると、直ぐにこれといったきっかけは思いつきませんが……。そうですね……、強いて言うとすれば、メルヴィンの言動、ですかね」
「言動……。た、例えば?」
「――譲れないものがある、こととか」
「ああ、あの時の……」
「自分にはあまりその感覚が分からないので、純粋に羨ましいと思ってしまいました」
――そうか。今の私は、そんな風に見えているのか。
ホルスの感想で、狼狽ぎみだった心持ちにようやく平常心が戻ってきた。
彼が私に受けたとされる印象は、全て、私の憧れでもあったから。
だから、何もなかったあの頃の自分と比べて、少しでも理想へと近づけていたのだとしたら、それはとても喜ばしいことであって、決して恥ずかしがる必要はないと理解できたのだ。
「……ありがとうございます。今の私が、ホルスの目にそう映っているのだとしたら、嬉しいです」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「今の、と付帯しているのは何故ですか?」
「あーそれは、以前の私は違っていたからだと思います」
グレイシス様との出会いを口にするのは少し憚られたが、幾分か濁して、自身の変化だけを伝えることにした。
「以前の私は、何も持ち得ず、何も感じず、何も考えずにいる人間でした」
「…………そう、ですか」
「父の指示を言われるがままに受け止め、言われるがままに動いて、それが正解である、と疑うことをしなかった。自身の持つ考えなど一つもなく、誰の為に生きているのか、何の為に生きているのかも分からない、まるで人形のような生き方。
……今にして思えば、楽だったんだと思います。ただ流れに身を任せていればいいだけだから」
「その認識が変わったきっかけが、あるんですか?」
「はい。私はある人に出会って、そこで――自分がどう在りたかったのか、を知ってしまったんです」
「自分がどう在りたかったのか、を知る……」
「潜在的に持っていた理想像、なりたかった自分、を思い出したと言ったほうが分かりやすいかもしれません」
「それが、自分の受けたメルヴィンの印象だった……んですね……」
「んー、実のところそれは分かりません。私に私を見ることは出来ませんから。
ただ、もしそれに近しいものとして映っていたのなら、私の努力が少しは報われますね」
などと、最後は冗談めいた口調で締めた。
「自分から見たあなたが、あなたの持つ理想像であったらいいなと、自分も思います」
その日の二人のやり取りは、そこで終わった。
この日を境として、私とホルスは食事の間もよく会話をするようになる。
本当にどうでもいい、取り留めのない、在り来たりな話ばかり。
そんな平凡な日常が切り崩されたのは、この日から数日たったある日のこと。
必然的に動き始めた歯車は、私と青年をいとも簡単に巻き込んで、その輪軸を回し続けた。
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