真顔微笑
予鈴の音に急かされるように私とホルスは校舎へと戻る。
道中、特に目立った会話もないまま歩き、気が付けば教室に辿り着いていた。私が窓際、ホルスが教壇近くにあるそれぞれの席へと着席し、本鈴と共にいつも通りの授業が始まる。
そして私はついに、彼の口から事情を聞くタイミングを逃すのだった。
教員の話に耳を傾けながら、視界に映った彼の背中を見つめる。
なぜ、あの場に彼がいたのか。どうして、私を助けてくれたのか。
考えれば考えるだけ、謎が増えていく――――。
けれど、それよりもまず先に、彼に告げなければいけない言葉があるだろう、と自分を戒めた。
考えごとをしながら受けた午後の授業が、あっという間に終わりを迎える。
私はカバンを片手に席を立つと、真っ先にホルスの席へと向かい声をかけた。
「あの、ホルス。ちょっとお時間ありますか?」
「はい……」
問いかけに俯いたまま答える青年。
そのことを不思議に思いながらも、私は、教室ではなんだからと言いつつ彼を食堂へと誘った。
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流石に放課後にもなると食堂を利用する人は少ないようで、室内には片手で数えきれるほどの生徒しか見受けられなかった。
「ここでいいでしょう」
日中、華やかな色合いを見せたビュッフェカウンターも、放課後である今となっては、食事が撤去され質素な作業台と化している。その隣のテーブルにホルスを座らせ、私は室内の最奥に設置された調理場へと向かう。
調理場に直結しているカウンター越しに中を覗いて、一仕事終えた様子のコックに飲み物を2つ注文した。
しばらくそこで待っていると、コックは手際よく準備を済ませ、あっという間に指定した飲み物を作り上げてしまう。
基本的に、朝とお昼に出されるビュッフェ以外の飲食に関しては別料金のため、私はカバンから財布を取り出しその場で会計を済ませた。
「お待たせしました。よければこれ、どうぞ」
「ありがとうございます」
「熱いので気を付けてくださいね」
「はい……」
着席しながら一通りの会話を済ませ、私は意を決して本題に入ろうと声を上げた。
「「あの!」」
「「え?」」
どうやら意を決していたのは私だけではなかったようで、驚くほど同じタイミングで重なった声は、次の反応にまで影響してしまう。
「よければ、ホルスあなたから……」
「分かりました。では、自分から……」
少しばかりの気まずさを残しながら、ホルスは自らの心情を口にした。
「さっきは勝手なことをして、すいません!」
「勝手なこととは、一体?」
「無関係な自分が断りもなく、あの女子生徒の平手打ちを阻止してしまったことです」
「確かに無関係ではありますが――――」
でも、まさかそれを許可なく実行してしまったことについて、改めて謝罪されるとは思わなかった。
「さきほどから少し様子がおかしかったのは、それを気にしてですか?」
「はい」
「そう、だったんですか……」
やってしまったことに対する謝罪。
一見当たり前のように思える行為だが、ホルスのそれは、少しばかり意味合いが違うようだ。
彼にとっての謝罪の対象に善悪は関係なく、結果として、それが対象者にとって害になるか否かが最終的な判断材料のようである。
だから、彼は私に謝った。
リエラ・レイゼットの平手打ちを止めたことが、後々、メルヴィン・ローズに大きな損失を与えるのではないかと、独り危惧して。
「………………」
この場合、どう返すのが正解なのだろう。気にしないでください、とか。むしろ好都合でした、とか……。
もっとこう、気の利いた上手い台詞はないものかと頭を悩ませながら、無意識な動作でカップを持ち口を付けた。
「あぅッ……!」
中に入った飲み物の熱さに、声にならない声が出る。
「大丈夫ですか!?」
「だ、だいじょうぶです」
どう見ても強がりにしか見えない笑顔を向けて、舌の痛みを堪えた。
人に注意しておきながら、自分が真っ先にその危険性を忘れてしまうとは……。
不甲斐ないにもほどがある。
「もしかしてメルヴィンさ……、メルヴィンは猫舌ですか?」
「……はい。実は」
ホルスは確認するようにカップに口を当てて、中にある、およそ常人には飲むことが出来ないであろう高温の飲み物を難なく飲み込んだ。
「つ、強い――……」
「え?」
「あ、いえ。その……こちらの話です。気にしないでください」
カップを抱えながら不思議そうに視線を上げた青年に、私は努めて凛々しく答えた。
「そうだ、飲み物の金額はいくらでした?」
「……ああ。これはいいんです。私からあなたへの、ほんの気持ちですから」
「ほんの気持ち……。僭越ながら、自分にはメルヴィンからそれをもらう道理がありません」
「――ありますよ。だって、私を助けてくれたから」
「でもそれは…………」
あくまでも後ろめたさを滲ませる彼に、私は、一人の友人と世間話でもするような軽い口調で語りかけた。
「確かに、先のことを考えれば、あのまま黙って打たれておいた方がよかったのかもしれません。でも、単純に、私は嬉しかったんです。当事者でもなんでもない誰かが、身を挺して、自分のことを助けてくれたって事実が」
助ける、と、言葉にしてしまえば簡単に聞こえるそれは、実のところ、実行に移すことこそ難しい。
だってそれは、自分が今立っている安全圏を捨てて、渦中に飛び込むことを意味してしまうから。
それを知ってなお飛び込む決意があるか、それとも、それを知らずとも飛び込める熱意があるか、どちらにせよ、実行に移すためには保守的な自分を凌駕する必要がある。
だから、あの時の彼の行動がどんな結果に結びつこうとも、やはり私は、実行に移してくれた彼の気持ちが、ただただ嬉しかった。
「――だから友人として感謝を。ありがとう、ホルス」
視線を向けた先にいた青年は、一瞬静止した後、ようやく腑に落ちたように返事をした。
「いいえ、こちらこそ」
真顔にも近い、けれどほんのわずか口端を上げたささやかな微笑。
それは、今まで見た彼のどの表情よりも自然に見えた。
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