小さな背
「それが、私を引き留めた用件ですか」
「ええ、間違いありません」
ニッコリと笑うと、リエラという女子生徒は刺すような視線でこちらを見直した。
私の返事など待つことなく、彼女は自分の主義主張を押し通す。
「今ここで、もう二度とアスタイン家のご子息様には近づかないと約束なさい。そしてこれまでと同じように、一介の庶民へと戻るのです。それが、お互いの秩序を守るための最善策ですわ」
「そうです! そうです!」
「リエラ様の言う通りでございます!」
「私もそう思っておりましたの」
満場一致で、意見が統一された。
ここにいる、ただ一人の人間を除いて。
「まるで、説明書きでも読んでいるような口ぶりですね」
「なんですか? 突然。わたくしがあなたに求めているのは承諾の言葉だけでしてよ」
「私がここではいと答えて、約束を破るとは考えないんですか?」
「それは…………」
まるで頭にはなかったという顔を見せるリエラという女子生徒。
それは、傲然と立ち続ける彼女が、初めて見せた揺らめきだった。
その揺らめきを取り逃がさないように、慎重に言葉を選ぶ。
彼女が纏う、無孔の鎧に風穴を開けるために。
「あー……なるほど、そうですよね。お父様に渡されたマニュアルには、約束を反故にした場合の対処法なんて載っていませんよね」
「あなた、何を言っているの?」
小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、その女子生徒は問うた。
彼女にしてみれば、なんてことのないただの問いかけ。
けれどそれは、それまで自己の主張のみを繰り返し、こちらの意見を聞き入れるそぶりさえ見せなかった人物が見せた、小さな変化には違いなかった。
「分かっていますよ。あなたの言葉は全部、あなたのお父様のものなんでしょう?」
「なっ! 違いましてよ……!!」
一度空いた小さな穴は、ほんの少しのすきま風によって、いとも簡単にその比率を増していく。
「では、その全てがご自分の考えであると、正々堂々言える根拠を教えてください」
「何を馬鹿げたことを言っているのかしら! そもそも根拠なんて、そんなものどうやって…………」
「簡単な話です。例えば、幼い頃のとある経験によって、その考えに行きついたとか。世の流れを読んだ上で、やはりそれが国益に繋がると判断したとか。
――いくらでも。それだけ堂々と言える主張なのですから、いくらでもきっかけなんて思いつくはずでしょう?」
何か間違ったことを言っていますか? という態度で、首を傾げる。
そこで、リエラ・レイゼットという人物が持つ本来の顔が顕れた。
「わたくしの意見が! わたくしの意見が、お父様の意見を倣っていたとして、それの一体何が悪いと言うのです!? お父様は立派なお人です。由緒あるレイゼット家の家訓を第一に考え、これから先、レイゼット家が貴族の模範となっていけるよう、日々尽力していらっしゃいます。その意思を受け継いで守り抜くのがわたくしの使命であり、わたくしの正義ですわ!」
「そうですか…………」
それはそれはつまらなそうに、些末的な態度で吐き捨てた。
「なんですの……? 何が言いたいのです!?」
「いいえ。ただ、さきほどからお父様お父様と、そこにあなた自身の意見が何一つ見い出せないので、なんだか期待外れだな、って」
「なん、ですって――――」
プツリと何かが切れてしまったように、リエラ・レイゼットは真顔になった。
そのまましばらく、右手を左手で握りしめながら静止して。
そして。
時を待たずして、温められた右手が私の左頬へと振り下ろされた。
バチン、という音と共に加わる衝撃。
左から伝わった痛みは一瞬で脳へと伝わり、自らが打たれたことを知らせた。
「痛っ……」
左頬に触れると、わずかな熱がこもっていた。
「なに、するんですか?」
「あ、あなたが! 余計なことをぐちぐちと言うからっ!!」
「結局、最後は武力行使ですか。崇高な貴族様がこれでは、もはや呆れて物も言えませんね」
周りにいた取り巻きの女子生徒達は、リエラ・レイゼットの変貌ぶりに驚きの表情を見せた。
距離こそ近いが、女子生徒達の気持ちは彼女から徐々に離れつつある。
事実上の孤立。これでようやく、彼女を私と同じ条件へと引きずり下ろすことが出来た。
ここから先は、己自身の意志がものを言う。
果たして、借り物の主張はどこまでその正義を貫くことが出来るだろうか。
ほんの少し、ほんの少しだけではあるが、私はこの状況を楽しいとすら感じ始めていた。
「もう結構でしてよ。所詮、庶民であるあなたなんかに、わたくしの言葉の意味が理解できるはずなかったのだわ」
「逃げるんですか?」
「違います!!!」
「じゃあ、言い返したらいいじゃないですか。あなたが思っていることを、あなた自身の言葉で」
「っ………………」
口を噤んでしまったリエラ・レイゼットに、よせばいいのに私は、最後の追い打ちをかけてしまった。
「ほら、やっぱり。中身はからっぽ――――」
彼女の右手が空を舞ったのが分かる。
また、同じところを打たれるのだろう。
あの平手打ちを二度も受ければ、明日の朝、片側の頬が膨れ上がるのは必然だ。
せめて右側にして欲しかった……などと、自分でも意外なほど悠長に構えていると、いつまで経っても彼女の右手は下りてはこなかった。
そのことに違和感を覚えた私は、思わずリエラ・レイゼットを見遣る。
すると、そこに映っていたのは、彼女が右手を振り下ろす瞬間の姿ではなく――――
「なんですの。なんなんですのあなたは……!?」
その細身の、小さな背中には見覚えがあった。
一見頼りなさそうに見える体躯のその人は、リエラ・レイゼットが振り上げた右手をいとも簡単に停止させている。
ぴくりとも動かない自らの右手に驚いている、リエラ・レイゼットの声だけが辺りに響いていた。
「ホル……ス…………?」
驚くほど意外な状態で、驚くほど意外な人物が現れたことにより、頭が真っ白になる。
一体、今、目の前で何が起こっているのだろうか……。
それを考える猶予などないとでも言うように、状況は刻一刻と変化していった。
「手を、放してくださらない……?」
突然現れたどこの誰かも分からない相手に対して、リエラ・レイゼットは顔を引きつらせながら乞う。
「失礼しました。緊急を要する事態でしたので、強行策を取らせていただいたこと、お詫びいたします」
ホルスの手からリエラ・レイゼットの手が静かに離される。
彼女は、離された右手を左手で抱えながら、苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。
「……もう、結構ですわ!」
どうにも手に負えない状況を前にして、リエラ・レイゼットは背を向ける。
皆さん、もう午後の授業が始まりましてよ? と取り巻きの女子生徒達に告げるだけ告げて、彼女は逃げるように校舎へと入っていった。
残されたホルスと自分。
私は、彼に何か言葉をかけようとして、ほぼ同じタイミングで、午後の授業の予鈴が鳴り響くのを耳にした。
面白い、続きが気になる、という方がいらっしゃいましたらブクマ、評価などして頂けると作者が喜びます。




