共通認識
いつも通りの時間に起きて、いつも通りの時間に教室へと向かう。
いつも通り授業を受けて、いつも通り昼休みに礼拝度へ足を運ぶ。
そして、誰もいない礼拝堂を見た後、独り落胆して教室へと戻る。
――――その途中で、変則的な事象が起きた。
「あなたが、メルヴィン・ローズ?」
礼拝堂を出て食堂のテラス席を横切り、校舎に入ろうとしたところで、私は数人の女子生徒に呼び止められた。
「……そうですが、何か?」
「やはりわたくしの目に間違いはありませんでした」
4、5人の女子生徒を代表するように、一人前へ出た女子生徒が意味あり気に言葉を発する。
するとそれを聞いた周りの者達は、両手を組みながら感嘆の声を上げた。
「流石、レイゼット家のリエラ様です!」
「私達では見つけることが出来ませんでした!」
「やはり、機転の利かせ方が違いますわ……!」
リエラ様と呼ばれた女子生徒は、取り巻き達の黄色い声を聞き届けると、満足したように優雅に笑った。
「そのように褒められるほど、わたくしは優れた人間ではなくってよ?」
「またまた、ご謙遜を……!」
「リエラ様はいつだって私達の憧れなのですから!」
「あらやだ……。わたくしったら、いつの間にかそのように思われていましたの?」
「もちろんです!」
「同じ上流階級の人間として誇りに思います……!」
「誇りだなんて、言い過ぎですわ! ……でも、ありがとうございます」
4、5人の女子生徒がこくこくと首を上下に振るのを見ながら、まんざらでもない様子を見せるリエラという女子生徒。
……一体、私は何を見せられているのだろう。
終わりの見えない彼女達の会話を耳で聞きながら、置いてけぼりの思考だけが鮮明になっていく。
称賛に次ぐ称賛と、時折見せる形だけの謙遜。それらが際限なく繰り返される光景。
私は、その光景をしばらく眺めてから、このままでは埒が明かないことを理解した。
盛り上がる女子生徒達の会話に無理やり割り込む形で用件を尋ねる。
「あの! 私を呼び止めた理由はなんですか?」
周りの声量に負けないよう絞り出した声は思いのほか大きかったようで、それまであれやこれやと話し込んでいた女子生徒達が一気に静まり返った。
その静けさを拭い去るように、リエラという女子生徒が口を開く。
「一体何の権利があって、庶民であるあなたが、わたくしたち貴族の会話を止めているのです?」
「…………え」
女子生徒達の代表として告げられたその言葉に、私はただ、開いた口が塞がらなかった。
彼女は、いいや彼女達は、自分達の都合で呼び止めておきながら、自分達の都合でその理由を説明せずにいた。つまるところ、はなからこちらを対等な立場の者として見てはいなかったのだ。
――――分かってはいた。
父が貴族に頭を下げるところを見る度に、母が貴族に媚びを売るところを見る度に、自分の立場と、彼らの立場には圧倒的な違いがある、ということを。
対等に接してもらえる環境に恵まれていた私が、忘れきっていた現実。
それは、長い年月をかけて累積してきた、貴族間における共通認識。我々は尊く、庶民らは取るに足らない存在であるという、古く、重苦しい、確立された価値観だ。
恐らく、このまま何を告げても彼女達は私を許そうとはしないだろう。
ただひとえに、頭を垂れて無様に泣きつく姿が見たいだけ。
理不尽だと知りながら、それが現実だと受け入れる道もある。
でも。
あの日、彼に差し出された手を握ってしまった私に、もはやそれは出来ない。
だって私は知ってしまったから。
この、どうしようもなく変えがたい現実を認めてしまえば、その先にある可能性すら取り零してしまうということを。
だから私は、それが限りなく無意味であると知りながら、それでも認めてやることはできないのだ。
「呼び止めたのはそちらでしょう? 私はその理由が聞きたいだけです。それともなんですか、あなた方は人を呼び止めておきながら用件も言わず、雑談が終わるまで待たせておくほど身勝手なんですか?」
まさか言い返されるとは思ってもみなかったのか、女子生徒達は言葉を失ったように呆然としている。ただじっと私を見つめる彼女達の視線は、まるで異質なものでも見ているようだった。
「……な、なんですって!?」
「し、失礼ですわよ!」
ようやく口を開いた数人が抗議の意をあらわにする。だが、そこに戦意は見受けられない。
本気で私をひれ伏す気など、彼女達には最初からないのだ。
――けれど、リエラと呼ばれていた女子生徒だけは違う。
他の者達がたじろぐ中、一人自信に満ちた表情を崩さない女子生徒。
彼女は最初に私に声をかけた瞬間、あるいは私を排斥しようと思ったその時から、本気で、私という人間に牙を剥いている。だから、私が反論をしようがしまいが、彼女の意志が揺らぐことなど微塵もなく、ただ自らの正義を主張するのみなのだった。
「たかだか庶民風情が、ほんの一時、アスタイン家のご子息様とダンスを踊ったくらいでいい気にならないでくださいね。王侯貴族が庶民であるあなたのことなど、本気で気にかけてくださる訳がないでしょう? 思い上がりもほどほどにしないと――わたくしも何をするか分かりませんよ?」
それまでの華やかであった声色から一転、彼女は全身全霊の凄みを見せた。
「大体ね、王侯貴族が庶民をダンスの相手に選ぶ行為自体、わたくしは許せなくってよ。だってそうでしょう? わたくし達が代々守り継いできた貴族としての誇りを傷つける、侮辱行為以外の何ものでもないのですから……」
それまで溜まっていたものを全て吐き出すように続けられた言葉。
それは、彼女が意図して発した明確な警告である。
「現王ヘイグリッド陛下が平等社会を目標に掲げ、現段階で模索していらっしゃるという時世において、随分と古い考えをお持ちなんですね」
「どんなに時代が移り変わろうとも、わたくしたち貴族の威光は守られていくべきですわ。皆さんもそうは思わなくって?」
リエラという女子生徒の問いかけに、もちろんです! と答える女子生徒達。
さきほどから見受けられた彼女達のやり取りを散見して、私はあることに気が付いた。
称賛に次ぐ称賛。同意に次ぐ同意。
結局のところ、自信満々に立ち続ける目の前の彼女もまた、他の女子生徒達と同様に、自分以外の誰かの言動なしにその体面を保つことが出来ないのだ。
もし、彼女の言葉が、代々受け継がれてきたとされる誇りから出ているもので、彼女自身から生まれたものではないのだとしたら――――
この現状を打開する術は、まだあるのかもしれない。
私は、闇夜に針の穴を通すように、その糸口を探った。
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