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澄まし顔

 窓の外から室内へと視線を移す。

 教室の隅、日の当たらないその場所にいたのは、ホルスとクラスメイトの一人だった。

 騒ぎを聞きつけた他の者達が、野次馬となって辺りを取り囲む。

 その悲惨な状況を見て楽しむ者もいれば、新しい玩具を見つけたとばかりに喜ぶ者。自分には関わりのないことだと視線を逸らす者。

 クラスメイト達が三者三様の動きを見せる中、その中心にいた人物は至って冷静に振る舞った。


「ご期待に添えることが出来ず、申し訳ありません」


 ……冷静、というよりは、どちらかと言えば無感情に近い反応。

 クラスメイトの男は、そんな些細な違いを理解することもなく、ホルスの変容に悦(えつ)を感じている様子だった。

 男の傾倒した感情は、次第に激しさを増していく。


「お前、俺に迷惑をかけたんだから相応の誠意を見せろ」

「誠意、というと具体的には何を……?」

「これ、拭いて綺麗にして」


 当然とでも言うように、ホルスを見下しながら男は右足を差し出した。


「昼休みに汚しちゃったんだよね。これ綺麗にするくらいならお前でも出来るだろ?」

「承知しました」


 感情のない声で答えると、転入生は床へと跪(ひざまず)く。

 それを眺めながら満面の笑みを浮かべる男。

 他人(ひと)が床を這(は)う姿を、心底愉快そうに鑑賞する見物人達。

 異様な空間、異様な光景ではあるが、私はそれを知らない訳ではなかった。


 ――――ああ、ほんとうに。アシェリーの言う通り。

 アランの後ろ盾があった頃の私は、澄まし顔(・・・・)で、日頃繰り返されていたであろうこの光景を、見過ごしていたのだ。

 あるいは野次馬よりも度(ど)し難(がた)い行為。無関心、とでもいうのだろうか。

 自分に関わりのないことを無意識下で排除して、視界に収めることも、記憶に留めることもしなかった過去の自分がそこにはいた。

 それが、愚かなことかと聞かれれば、決してそうではないのだろう。


 ……でも、今の私は、そんな自分のことを好きにはなれなさそうだ。

 あの時、ほんの少しでも視線を上げて、彼女の、アシェリーの心情を知ろうとしていれば、何かが変わっていたのかもしれない。その何かを見過ごすようなことを、今の私はしたくない。

 ――――だから。だから私は。


 ホルスが自らのポケットから白いハンカチを取り出して、主人の機嫌を取るように靴に触れようとした、その瞬間。


「ホルス・リオネットではありませんか」


 私は椅子から立ち上がり、暗雲立ち込めるその場所へと歩いていった。


********************


 辺りがざわついているのが分かる。それらを無視して、私は一直線にホルスの場所へと向かう。

 誰よりも一番驚いた顔をしていたのは、意外にも名前を呼ばれた張本人だった。

 まるで、幻想でも見ているような顔で私を見上げてくる。


「え……。あの、あなたは」

「なんだよ急に!? メルヴィン・ローズ、お前には関係のないことだろ。なあ?」

「関係あります。関係ありありです。むしろ関係しかありません」


 言葉として正しいのかはこの際どうでもよくて、明らかに不利な状況を覆(くつがえ)すべく、私は同じワードを繰り返した。そして、追い打ちをかけるように更に言葉を重ねていく。


「彼は私の友人です。このような、尊厳を踏みにじる行為は止めてください」

「尊厳を踏みにじる行為って……」


 口元を片側だけ吊り上げながら男は言う。それは、明らかな動揺の色だった。

 この隙を逃してはいけない。ここを突かなければ、形勢はこちら側に傾いてはくれない。


「そもそも、一体ホルスが何をしたと言うのですか?」

「俺に気安く話しかけてきたんだぞ? それだけで不敬だろうが!」

「……それが?」

「それが、って…………」

「ただクラスメイトに話しかける行為の、何が罪だというのでしょうか。では、私が今あなたに話しかけているこの行為も不敬であると、そうあなたは言うのですね?」

「それは――……」


 そうだ、と男に断言することは出来ない。なぜなら、今のメルヴィン・ローズには価値があるからだ。定期舞踏会でアスタイン家の者と一緒にいたという、たったそれだけの価値が。


「答えられない。……となると、あなたの不敬だという主張は、ただの言いがかりにすぎません」

 

 誰にも疑念を抱かせないように、誰からも反感を買わないように、胸を張って、それが正義であると全身全霊で訴える。


「ちがっ………………」


 何も反論できない男を見て、周りの空気が変わり始めた。


「確かにそうよ……ね。ただ話しかけるだけの行為が不敬だなんて、そんなの屁理屈だわ……」

「俺は最初から見てたけどさ、あいつが急に一人で騒ぎ始めたんだぜ?」

「私も、なんだかおかしいと思っていましたのよ。ここまで騒ぎ立てるなんて、威厳ある貴族のやることではないですもの……」


 見事なまでの手のひら返し。

 見物人の数が多ければ多いほど、一度傾いた意見はどこまでも傾き続ける。

 自分の味方だと思っていた者達が、いつの間にか自分の敵へとすり替わる。これほどのダメージを負ってなお、男は、自らの主張を貫くことはできるだろうか?


「そ、う言われると……、俺もつい、かっとなって……」


 ――答えは、ノーだ。


「ついかっとなって、彼を跪(ひざまず)かせた、と?」

「……ああ」


 男の認める声を聞いて、辺りは一層ざわめき立つ。

 もうこれで十分だろうと判断した私は、最後に少しだけ、自らの気持ちを吐き出した。


「一時の感情で、他人(ひと)を蔑(ないがし)ろにしないで頂きたいものです。聡明な貴族様なら、この意味がよく(・・)お分かりでしょう?」


 張り上げた声は、驚くほど遠くまで響いた。

 静まり返る室内。

 私は、もう用は済んだと言わんばかりにホルスへと向き直る。


「そういえば、まだ学園を案内していませんでしたね。よければ放課後、お時間ありますか?」

「……は、い」

「では、また後で」


 端的な約束を取り付けると、私は自分の席へと戻った。

 そのまま、起こった出来事全てを忘却するように、鈍く、重い、鐘の音が鳴り響く。

 集まっていた生徒達が何事もなかったように次々に席へと着くと、そこからいつも通りの午後の授業が始まった。


********************


「先程はありがとうございました」


 全ての授業を終え、各々が帰る準備をしている頃、私とホルスは約束通り学園内を見て回っていた。

 教室ごとの説明を歩きながらしている最中のこと。不意をついて転入生が口にしたのは、私へのお礼の言葉だった。


 特に感じ入る様子もなく、淡々と作業的に告げる彼を見て、私は、その在り方こそが彼の本質のように思えてしまった。

面白い、続きが気になる、という方がいらっしゃいましたらブクマ、評価などして頂けると作者が喜びます。

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