空白の席
二日間の休暇が明けると、私はいつものように『2ーC』の教室へと向かった。
室内は、まだ朝礼までの時間があるためか、片手で数えられる程度の人数しか揃っていない。
私は自分の席がある窓際へと進んだ。
椅子に座り、カバンの中から教科書やら筆記用具などを取り出す。
授業に必要な一通りの準備を整えると、ふいに視線を上げた。
視線の先にあったのは、アシェリー・ミルボンドの席。
あの波乱の定期舞踏会が終わって、初めての登校日。私の身に起こった出来事は、およそ多くの人達の記憶にありありと残っていることだろう。それほどの注目度を持つ人物と、私は一緒にダンスを踊ったのだ。
正直、クラスメイトを含めた周りの反応は想像することが出来なかった。それを想像するのには、規模があまりにも大きすぎたのだ。一人、二人の行動ならいざ知らず、多くの思想が重なった集団の動きは把握がしずらい。
私は、周りからどのような扱いを受けようとも、これまでの自分の在り方を崩すことなく、冷静であろうと思い定めた。
重く鈍い予鈴と共に、教室には続々と人が入り始める。
生徒が次から次へと着席する中、アシェリー・ミルボンドの席だけがいつまで経っても空いていた。
まるで、パズルのピースが一つだけ欠けてしまったように、一隅の空白だけが浮き彫りになっている。
その嫌になるほどくっきりとした光景が、私に嫌な予想を募らせた。
……まさか、そんな。
あの日の出来事が、彼女の命運を左右するほどのものになり得るなんて、そんなことあるわけ――……。
「それではこれより朝礼を始める。その前に、君達に言っておかなければならないことが――――」
本鈴と共に話始める教員の声。それによって私は、自分の予想が現実になったことを知るのだった。
教員の話が、まるで入ってこない。
あの一瞬の出来事が、一人の人間が学園を去るほどの状況を生み出してしまった。
一人の人間――……。いいや、そうではない。
アシェリーがいなくなっているということは、恐らくアランだって同じはず。
中流階級の貴族一人と、商家の庶民一人が忽然と姿を消さなければいけないほどの影響力。
グレイシス様が表舞台に出た意味は、それほどまでに大きかったというのか。
――いいや、そんなはずはない。そんな曖昧な因果関係などあっていいはずがない。
独り現実を受け止めきれない私をよそに、状況は刻々と姿を変えていく。
「では最後に、転入生を紹介する。入って来てくれ」
虚ろな私の思考の隅で、聞き覚えのある声がした。
「ホルス・リオネットと申します。どうぞよろしくお願いします」
名前を聞いて、私の思考はようやく現実へと引き戻される。
ホルス・リオネット。それは、あの日の私がまるで他人事のように聞き流していた人物の名前。
そうか。彼が転入するための空席は、こんなにも近くに用意されていたのか。
視界には、数日前までアシェリー・ミルボンドが当然のように座っていた席が一つ。
一通りの紹介を終えたホルスは、静かにその席へと腰を下ろした。
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ヒソヒソとした話し声が聞こえる。
一限目の授業が終わると、クラスメイト達は待っていましたと言わんばかりに噂話を始めた。
内容は、まず間違いなく定期舞踏会での私のことと、突然いなくなってしまったアシェリーのことだろう。
時に驚嘆し、時に嘲笑しながらも、楽しそうにそれぞれがそれぞれの思いを口にする。
なんて見映えの悪い光景だ。
つい先日までアシェリーに同調していた者達も、私に無償の奉仕を要求した者達も、無秩序に言いたいことを言っている。
これではまるで、渦中にいた私とアシェリーがただの道化のようだ。
私は、自分のアシェリーへの行動に負い目を感じながらも、どこか今の状況に腹が立っていた。
そんな時だ。
今まで会話という会話をした覚えのないクラスメイトの一人が、私に話かけてきたのは。
「あのー……、メルヴィン・ローズさん? ちょっといいかしら?」
「はい。何か御用ですか」
「わたくしね、あなたのことは入学した時から知っていたの。とても美しい方だとずっと思っていたわ。けれど、これまでなかなか声をかける機会もなくて……。
でも、定期舞踏会での素晴らしいダンスを拝見して、わたくし改めてあなたとお友達になりたいと思ったの。よければこれから、わたくしと仲良くしてくださらない?」
声をかけてきたのは、クラス内では一目置かれている貴族の一人。
そして、そんな彼女に便乗するように数人の生徒が、私の席を取り囲んで同じようなことを口にした。
――――酷い、既視感だ。
扱いが変わっただけで、アシェリーが私を糾弾した時と、何ら変わり映えのしない様相。
当然だ。彼らは、彼女らは、あの時から何一つとして変わっていないのだから。
自分が何をしたのかも、何をしようとしているのかも理解していない。
ただ、その場の状況だけで自らの優位性を求めている。
なんて。
なんて、反吐が出る光景だろう。
私は全てのことに嫌気がさして俯いた。
「そういえば、メルヴィンさんが一緒に踊っていらした方は……確か、アスタイン家のご子息様ですよね? 普段から仲がよろしいのかしら?」
「遠くから見ているだけでも、見目麗しいお方でしたねぇ。私も直にお会いしたいわぁ」
「俺も、紹介して欲しいなー!」
ああ、うるさい。
どうでもいいことを、ぐちぐちと。
どす黒い感情で頭の中が満たされていく。
無意味だと知りながらも、嫌味の一つでも零してしまおうか。などと思い、彼らの会話に意識を集中させた瞬間、私はある事に気が付いた。
……私が定期舞踏会でダンスを踊った相手に会いたいとだけ申し出るクラスメイト。
……アシェリーがいなくなったことを一言も私に告げないクラスメイト。
誰一人として、その繋がりを口にする者がいない現状。
つまり誰もが、グレイシス・アスタインの登場によって、アシェリー・ミルボンドがいなくなったとは露ほども思っていない。
そう……か。
考えてみればそんなのはごくごく当たり前のことだった。
グレイシス様が表舞台に顔を出しただけで、何かが変わるなんてことはあり得ない。
その裏で、何かが動いたからこそアシェリーは学園を去らざるおえなかったのだ。
それが一体何なのか、考えてみてもパズルのピースは一向にはまらなかった。
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