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潜在的側面

 いつもの時間に目が覚めた。時刻は朝の6時。

 今日が休日だと分かっていても、体に染みついた習慣がいやおうなしに意識を覚醒させていく。

 ここ数日の穏やかな天気とは違い、今日はどんよりとした曇り空。

 その証拠に、カーテン越しの光は控えめだった。


「起きよう」


 独り言を口にして、ベッドから起き上がる。

 そこでようやく、自分の体に違和感を覚えた。


「いたっ……」


 動かそうとする四肢に走る鈍い痛み。

 痛みの正体は、ぼんやりとした頭が動き始めるとともに直ぐに分かった。


 この慣れ親しんだ痛みは、間違いなく筋肉痛である。

 事実、昨日の私は、普段の生活ではあまり使わない筋肉を使って踊り、あまつさえ緊迫した状況の中、ずっと全身に力を入れていた。

 日常の中、どれだけ自分が怠(なま)けていたのかを思い知らされるのと同時に、体を酷使するほどの非日常が、昨日の自分の身に起こったことを痛感させられた。


 ……非日常か。

 本当にあれは現実だったのだろうか。

 恐怖、憤怒、緊張、高揚。私の感情はそれらをたった数時間の内に駆け巡った。

 今になって全てが夢であったと言われても、特に違和感を覚えることなく受け入れてしまえそうだ。

 ――けれど。あのとき目の前で流れた鮮血が、確かな現実を突き付ける。

 あの瞬間、間違いなく私の目の前で、一人の負傷者が出てしまったという事実。

 それを改めて実感した時、自然と湧いて出てきたのはグレイシス様への憂慮(ゆうりょ)の念だった。


 彼は今、どうしているのだろうか――……。

 傷ついた右手は、ちゃんと治療してもらったのだろうか――……。


 そう思ったら、居ても経ってもいられなくなり、急いで身支度を整え始めた。

 分かっている。自分がこのまま外に出たところで、休日である今、彼に会う術は何一つとしてないということを。

 結局、自分と彼との繋がりは、いまだ礼拝堂という限られた空間の中にしかないということも。

 一つ一つの準備を終えるごとに、そのことを強く認識しながらも私の手が止まることはなかった。


 外に出ても恥ずかしくない恰好を仕立て上げ、心持ち新たに外出しようとドアノブに手をかけた瞬間。


 ――――コン、コン。


 扉の外から、ゆっくりと優しいテンポで紡がれたノック音が聞こえた。

 この音を、私はよく知っている。扉の前に立つ人物のことを、私はよく知っている。

 躊躇(ちゅうちょ)なく、部屋の扉に手をかけた。


「おはようございます。メルヴィン」

「おはようございます。エメット」

「メルヴィン、あなた。昨日、夜風に当たると言ったっきり最後まで戻って来てくれないから、私とても心配しましたのよ?」


 いつものように優雅な挨拶を済ませると、開口一番に友人は不服の意志を申し出た。

 エメットが憤(いきどお)るのも当然だ。昨日私は、少し席を外します、と言いその場から離れ、以降何の連絡もせずに彼女のもとに戻らなかった。

 エメットからすれば、少し夜風に当たったら戻ってくると思っていた友人が、そのままいなくなって最後まで戻ってこなかったのだ。その無責任さに腹が立つのは道理。

 私は、自分の粗末な行いに対し、ただ謝ることしかできなかった。


「エメット、本当に申し訳ありませんでした……」

「まあ……様子を見る限り、特に何事もなかったようですし、別にいいですけど……」


 と、言いつつも、腕を組んで拗ねた表情を崩さないエメット。


「あの日は、その……気が動転してしまって、正直に言うと自分のことしか頭にありませんでした……」

「それはアランがアシェリーと一緒にいる所を目の当たりにしたから、ですか?」

「それもあります」

「それも? それ以外にも何かあると?」

「えっとそれは、そのー……」


 そこで私は言い淀(よど)んだ。

 ここでエメットに、昨日自分の身に起こった出来事を洗いざらい話すべきか迷ったのもある。ただそれよりも、単純に、自分自身にすら理解できていない己の衝動を、今この場で口にしていいものかどうか憚(はばか)られたことの方が大きかったように思う。

 ――曖昧なことを口にして、それこそ友人に対して不誠実な行為なのではないか、と。


「……分かりました。もういいです」

「あの、エメット」

「いいんです。私も少々むきになってしまいました」


 何も口にしない私を見て、エメットは諦めたように呟く。

 

「エメット、本当に……ごめんなさい」

「悪いと思っているのなら、少しは反省してください。そして――あなたの中にある躊躇(とまど)いが消えたその時は、ぜひ私に話を聞かせてくださいね?」


 そう言いながら微笑む友人を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。

 彼女には、私の考えなどは最初からお見通しだったのだ。その恐るべき慧眼(けいがん)でどこまでのことを見抜いているのか、正直そこまで詳しくは分からないが、少なくとも彼女には、私がどんな人間なのかが理解できている。


 私にとっての数少ない友人であり、そして、とても頼もしい友人エメット・ブラウン。そんな彼女の心配りに感謝しながら一つ、約束を交わす。


「それはもちろんです」

「ふふ……。ならいいですわ。このお話はこれでお終いとしましょう」

「はい」

「――ところでメルヴィン、あなたどこかに出かけようとしていたのではなくて?」


 エメットは何かを思い出したように首を傾(かし)げた。


「何か……。ああ、そうでした。でも――……」

「でも?」

「結局、どこに行けばいいのか分からないんです」

「ほう……。行きたい理由は決まっているのに、ですか?」

「そう、ですね。理由はあります」

「なら、私でよければ力になりますわ」


 行き先が分からず、迷子のような心持ちでいた私に告げられた、友人からの申し出。

 それは、無為無策(むいむさく)なままどこかへ行こうとしていた私の熱を、穏やかに冷ましてくれた。


「はい。はい、エメット! どうか手を貸してください!」

「もちろん、喜んでお手伝いさせていただきますわ!」


 その大きな瞳を輝かせながら勇ましく答えるエメット。

 それは、私が初めて目にした彼女の姿だった。

 いつも穏やかで、絵に描いた淑女(しゅくじょ)のように見えていた友人。けれどそれは、彼女という人間が持つ側面の一つにすぎなかったのだ。

 

 多面的であり、あらゆる顔を持つからこそ、それが重みとなって人の形を司(つかさど)る。

 例えばその前提が、どこの誰にでも当てはまるのだとするならば――――

 きっとあの人にも、そして私にも、自分ですら知らない包隠(つつみかく)されたもう一つの顔があるのかもしれない。

 目の前で無邪気に微笑むエメットを眺めながら、私はふと、そんなことを思っていた。

面白い、続きが気になる、という方がいらっしゃいましたらブクマ、評価などして頂けると作者が喜びます。

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