盤上の駒
静まり返った部屋の一角にその男は立っていた。
室内の薄暗さから様相こそ定かではないが、立ち姿だけで他を威圧できるほどの器量を持つ男。
ギィィという音と共に扉を開けた来訪者は、男の姿を見るやいなや、言い訳がましく言葉を紡いだ。
「あ、アザナス様! この度は私の息子が至らないばかりに、本当に申し訳ない。全てあなた様の指示通りに動いたはずだったのですが、なにぶん、学園内となると私も余計な手出しをすることが出来ず……。全て息子頼りにことを進めていたのですが、まさか最後の最後であのようなことが起きようとは、私自身予想することも出来ませんで、ええ。不測の事態だったとしか……」
「そうだな。お前の言う通り、まさかあの段階で盤面をひっくり返されることになるとは、私も思っていなかったよ」
「で、ですよね……! あれは何と言うか事故みたいなもので、どうにも避けることは出来なかったと言いますか、何と言いますか、ええ」
「そうだな、お前は悪くない」
アザナスと呼ばれた男が言い切ると、来訪者は安堵の表情を浮かべた。
が、次の瞬間、その期待は見事に裏切られる。
「だが、お前の引き際は最悪だ」
「へ……?」
「『内外適正取引条約』が定められローズフレイムが安価で入手出来なくなった時、まずお前は何をした?」
「そそれは、その……」
「目先のことに捉われるあまり、ローズ家に借入を行った」
「あの時は、不測の事態だったと申しますか、ええ……」
「不測の事態、か。なら、その後いつまでもローズ家にしがみつき、私の指示を仰がずにいたのも不測の事態だったと?」
「それはそのー……。我がダーシー家にも色々と事情がございましてですね……」
「どうせ、目先の金にでも目が眩んだのだろう。……まったく、貴族と言っても所詮は地方の端くれにすぎない者の考えそうなことだ」
「いいえ! いいえ! 決してそのようなことはございません。我々は祖国アブリエルトの為に……!」
来訪者は、自らの潔白を主張しようと声を強めてみせたが、それが逆に男の逆鱗に触れることとなった。
「軽々しく祖国の為になどと口にするな!! 汚らわしい!!!」
「ひぃぃ! すいません。アザナス様、お許しを! 私が、私が悪うございました!!」
必死に謝る来訪者の言葉は、すでに男の耳には届いていない。
アザナスと呼ばれた男は、何かがプツリと切れてしまったように、ぼそぼそと言葉を繋げる。
「お前がもっと早くに動き、ミルボンド家との繋がりを確かなものとして公言できてさえいれば、こんな番狂わせが起こることもなかったのだ……。さすれば私の計画に支障が出ることもなかった……。ほんとうに、ほんとうにお前は使えない人間だ」
「それは一体どういう――――」
意味でしょうか? と来訪者が言葉を続ける前に、男からの沙汰が下された。
「もういい。お前にこれ以上用はない。消えろ」
「そんな……。そんなことを仰らないでくださいな! あなた様に見捨てられたら、我がダーシー家はこれからどうすればよいのやら……」
「ようやく公の場で婚約者を披露できたのだ、ローズ家の時のようにミルボンド家からも無利子の借入でも行えばいいだろう?」
男は、来訪者に対して既に興味がないかのように、適当な助言を口にする。
「いいえ、いいえ! もうそんなことは出来ません! もともとミルボンド家には資産があまりなく、両家共に今回の婚約で得られる収入に期待していたような関係なのです。その機会を奪われた今、我らにはどうすることも…………」
「ならば、仲良く共倒れでもすればいいだろう」
最後の最後まで、男に縋り続ける来訪者。
その姿は、次から次へと湧いてくる金に取りつかれた、哀れな人間の末路そのもの。
男にとって、そんな燃え滓のような人間はもういらない。
「ホルス、もう入ってきてもよい。この者を外へつまみ出せ」
男が部屋の外に向かって話しかけると、それを合図として一人の青年が扉を開けた。
青年は来訪者の腕を掴むと、その小柄な容姿からは想像できないほどの腕力で、部屋の外へと引きずり出す。
「待って! 待ってください! アザナス様、もう一度だけ!! もう一度だけ、私にチャンスを!! 次は絶対に失敗しません! 命令もちゃんと聞きます! だから!!! アザナス様!!!!!」
何度もその名を呼ばれた男は、来訪者が追い詰められていく様を無感情な瞳で眺め続けた。
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「最初に目を付けたのはローズ家だったのだ」
部屋に残った男は、自分の手となり足となり動いてくれる付き人の青年に、独り言のように呟く。
「だが、あの頑固者めが私の提案を受け入れなかった」
「提案、といいますのは?」
柔らかい物腰で尋ねる付き人に、主人はこう答える。
「単純なことだ。今ある貴族との繋がりを利用して、庶民から貴族に至るまでの多種多様な者達から信用を得た後、その信用を糧とし、一部の者達へ高利息の貸し付けを行うのはどうだろうか、というもの」
「ローズ家の者はなぜそのような簡単な提案を断ったのでしょう……」
「さあな。一部の者達への高利息の貸し付けという行為が気に食わなかったのだろう。それこそ、庶民の意地というものが働いたのかもな」
『庶民の意地』という言葉を聞いて、自分もその出自である青年には、主人の意図がすぐに理解できてしまった。
主人の言う一部の者達というのは、恐らく自分と同じ庶民のことを指すのだろう。
貴族よりも余力のない庶民に対し高利息の貸し付けを行うとは、一体何が目的なのか……。
青年の素朴な疑問に答えるように、主人は話を続けた。
「いくら貴族社会とはいえ、こうも移民が増え、様々な国家の在り方が提示され始めている今、貴族も昔のような豪勢な暮らしを維持するのが一苦労なのだ。
そこで私は考えた。そんな貴族達の苦労を、この私アザナス・エインラッドが取り除いてやれば、私に救われた貴族達は今後、我がエインラッド家を支持するのではないか、と」
「一部の者達への高利息の貸し付けは、その為の手段なのですね……」
「彼らは言わば働き蟻だからな。その総数で考えれば、利息から得られる純益は莫大なものになる。それを、紹介料などと銘打って貴族にでも流してやれば、よい循環が生まれそうであろう?」
「そのような難しい話は、自分には分かりかねます」
などと口にしておきながら、小柄な青年は、自らの主人のことを恐ろしいと思ってしまった。
彼にとっては、貴族も庶民もただの盤上の駒でしかない。
駒を自分の思い通りに動かして、最後このゲームに勝つことが彼の目的であり、ただ一つの楽しみなのだ。
その為には、おそらく付き人である自分のことも躊躇なく彼は使い捨てるのだろう。
そこまでの考えに至った後、青年は一つの結論を導き出す。
――けれど、自分がそれ以上のことを考える必要は皆無。今はただ、主人の駒として的確に指示に従うことだけ考えればいい。なぜならそれが、自分の存在意義であるからだ、と。
「お前に話しても無意味だったか。しかし……」
「どうかされましたか?」
「よもや、あのアスタイン家の者が出てくるとは……。流石の私もその方面は想定していなかった」
よほどのことがない限り、傍観者に徹している印象が強いアスタイン家。それが動いたということは、何か意図があるのか。それとも――――。
「視野に入れたこともなかったが、あるいはコーリンスよりも厄介な相手だな……」
出来ることなら、今回の件も含めて探りを入れたい。だが肝心の当事者は今、学園という箱庭の中だった。どうするべきか……。
思案するアザナスの視界に、自らが雇う付き人の姿が映った。
その様相を見て、男は不敵な笑みを浮かべる。
「ホルス。お前、今いくつだ?」
「自分ですか? 自分は今17ですが……」
それが何か? という顔をする付き人に対して、主人は、何か楽しいことを見つけたように愉快に告げた。
「一つ頼まれごとをしてくれ」
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「アザナス様、本気ですか……?」
主人の言葉を最後まで聞き終えた付き人は、その突拍子もない提案に、ただただ驚くしかなかった。
この辺りで一旦、一章終わりという感じです。このまま引き続き二章もお楽しみ頂けると幸いです。
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