伝達手段
青年に手を引かれながら、数段しかない階段を一歩ずつ丁寧に上っていく。
階段の先には、さきほど私が逃げ出した場所へと続く入口があった。
「準備はいいか?」
「はい」
そう告げて、隣を歩く足音に耳を澄ませる。
タン、タン、タンと規則的に聞こえてくるその音は、自然と私の気持ちを落ち着かせてくれた。
これならもう、大丈夫。
多くの思惑が錯綜するあの場所で、本来為すべきだったことに集中しよう。
それが、私を見つけてくれた青年への、せめてもの誠意だと信じて。
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定期舞踏会の会場はただの談笑会から、その名前通りの装いへ形を変え、華やかな空気に包まれていた。
自分が組んだパートナーと息を合わせながら、思い思いにダンスをする者達もいれば、踊ることに疲れたのか、それまで組んでいたパートナーと一緒に会場の隅へと引き下がる者達もいる。
それがうまい具合にバランスよく割り振られ、中央で踊る者達へ自然と目がいく構造を作り出していた。
休憩する者達の横を通り過ぎながら、私達は中央へと進んでいく。
華やかな空間へと近付けば近付くほど、周りの視線がこちらに向き始めていることに気が付いた。
5、6人ほどの規模ではない。
すれ違う人のほとんどが、私の隣を歩く青年を見ていたのだ。
「え……あれって」
「まさか、このような場所に来るわけが……」
「私、あの方のことを見るのは初めてですわ!」
視線はやがて、とりとめのない噂話へと変わっていった。
隠そうともせずに囁かれる噂話は、ここにいる当人の気持ちなどはお構いなしに、徐々に威力を増していく。
「……やはり、僕は頼りないな」
堂々と歩いているように見えた青年から、ふいに漏れた弱音。
それは、あの時青年が告げた『人が集まる空間が得意ではない』という言葉に自然と繋がっていった。
「あの時の言葉は、こういう意味だったんですね」
「その通りだ。流石はメルヴィン嬢」
青年は、凛々しい表情を崩すことなく冗談めいた口調で話す。
それが余計に、余裕のなさを窺わせた。
会場に入って少し進んだだけで、この有様なのだ。
恐らく、中央へと辿りつく頃には、この会場にいる者全ての視線が彼へと注がれ、そして、誰もが彼のことを噂するだろう。
周りの人達がそこまでしてしまうほどの理由を、青年が持っているのは明白である。問題なのは、それが何なのかという部分が、今の私には分からないということ。そして、それを知る術が今の私にはないということ。
でも、私にでも分かることはある。それは、この針の筵のような状況が、どれだけの恐怖を孕んでいるのかということ。
――痛いほどよく分かる。これは、私がさきほどまで感じていた恐怖に、とてもよく似ていたから。
「グレイシス様、お手を」
「手が、どうかしたのか?」
出来る限りの虚勢をはって、私は自らの手を青年へと突き出す。
「私の手を握ってください」
自分でも驚くほど大胆なことを、まるで作業のように淡々と告げていた。
それは、誰にも弱みを見せられない青年に対して、私が出来得る最大限の配慮だったように思う。
「仰せのままに」
そう言って遠慮しがちに乗せられた手は、ほんの微かに、震えていた。
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中央に辿り着く頃には、私の意識は青年にのみ集中していた。
だから、会場がどんな状態で、どんな噂が飛び交っているのか、などということは視界にすら入らない。
そんな些細ことは、ここにいる私にとっては最早どうでもよかった。今の私はただ、青年に少しでも安心して欲しかったのだ。
私がここにいるということを認識し、私にわずかでもいいから縋って欲しかった。
「よろしくお願いします」
だから、優雅に余裕のある表情で、これから始まることに対しての通過儀礼のようにお辞儀をする。
「よろしく頼む」
青年は私のお辞儀に答えると、握っていない方の手を私の腰へとそっと添えた。
それが、全ての始まりの合図。
私の中で蠢く欲望も、葛藤も、全部飲み込んで、二人だけのダンスが執り行われる。
踊りというのは言葉のように、本音と建前だけでは上手く取り繕うことの出来ない、素直な伝達手段であると私は思う。
どんなに上手く見せようとしても身体の軸がぶれてしまえば、それだけで形だけの円舞である、とすぐに見抜かれてしまうからだ。
だから、言葉の巧みさよりも人となりを重要視する時と同じように、手足の動きよりも身体の重心を重要視することが肝になってくる行為。
青年の踊りは、まさにそれを体現したようなものだった。
軸のぶれない踊りはシンプルでありながらも、先鋭化された動き一つ一つについ見惚れてしまいそうになる。
私は、それに堪えながら、あくまでも青年と踊ることそのものに集中した。
「メルヴィン嬢、さきほどは助かった。感謝する」
踊りに集中していた意識の中に、突然降ってきた声。
それは、音楽が比較的緩やかな曲調へと移り変わった時のことだった。
「さきほどのことと言いますと?」
「むろん、手を差し出してくれた時のことだ」
「あ、ああ。あのことですか。お礼を言われる所以はありません。あれは私が……私がそうしたかっただけですから」
改めて言われるというのは、それはそれで気恥ずかしいものがある。そのことを実感しつつも、表に出ないよう振る舞い、自らの主張を押し通した。
あれは青年の為ではなく自分の為。そう、青年にも自分にも思い込ませる必要があったから。
「そうか。どうやら僕は、君の気紛れに救われたようだ」
「それはよかったですね」
内心嬉しく思いながらも、言葉では他人事のように呟く。
目の前にいるのは、何でも見通してしまいそうな洞察力を持つ青年。もしかしたら、すでに私の考えていることなどお見通しの可能性だってある。けれど、それでもいい。
私が、言動でそれを白日の下に晒さない以上、彼の中での確証は得られず、残るのはただの仮説のみとなる。
仮説では、私の思いを立証することは不可能だから。
だから私は、ここで意地を張り続ける。
そうしなければ心根の優しい青年は、誰に頼るでもなく独りで、その身に起こる全ての重荷を受け入れてしまいそうで。
私は単純に、それが嫌だっただけ。
私は、踊りとは違う、複雑で面倒な言葉という伝達手段を使って、掴みどころのない青年の中にようやく見つけた青年らしさを、ただ守りたかっただけなのだ。
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