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伝達手段

 青年に手を引かれながら、数段しかない階段を一歩ずつ丁寧に上っていく。

 階段の先には、さきほど私が逃げ出した場所へと続く入口があった。


「準備はいいか?」

「はい」


 そう告げて、隣を歩く足音に耳を澄ませる。

 タン、タン、タンと規則的に聞こえてくるその音は、自然と私の気持ちを落ち着かせてくれた。

 これならもう、大丈夫。

 

 多くの思惑が錯綜(さくそう)するあの場所で、本来為(な)すべきだったことに集中しよう。

 それが、私を見つけてくれた青年への、せめてもの誠意だと信じて。


********************


 定期舞踏会の会場はただの談笑会から、その名前通りの装いへ形を変え、華やかな空気に包まれていた。

 自分が組んだパートナーと息を合わせながら、思い思いにダンスをする者達もいれば、踊ることに疲れたのか、それまで組んでいたパートナーと一緒に会場の隅へと引き下がる者達もいる。

 それがうまい具合にバランスよく割り振られ、中央で踊る者達へ自然と目がいく構造を作り出していた。

 

 休憩する者達の横を通り過ぎながら、私達は中央へと進んでいく。

 華やかな空間へと近付けば近付くほど、周りの視線がこちらに向き始めていることに気が付いた。

 5、6人ほどの規模ではない。

 すれ違う人のほとんどが、私の隣を歩く青年を見ていたのだ。


「え……あれって」

「まさか、このような場所に来るわけが……」

「私、あの方のことを見るのは初めてですわ!」


 視線はやがて、とりとめのない噂話へと変わっていった。

 隠そうともせずに囁(ささや)かれる噂話は、ここにいる当人の気持ちなどはお構いなしに、徐々に威力を増していく。


「……やはり、僕は頼りないな」


 堂々と歩いているように見えた青年から、ふいに漏れた弱音。

 それは、あの時青年が告げた『人が集まる空間が得意ではない』という言葉に自然と繋がっていった。


「あの時の言葉は、こういう意味だったんですね」

「その通りだ。流石はメルヴィン嬢」


 青年は、凛々しい表情を崩すことなく冗談めいた口調で話す。

 それが余計に、余裕のなさを窺(うかが)わせた。


 会場に入って少し進んだだけで、この有様なのだ。

 恐らく、中央へと辿りつく頃には、この会場にいる者全ての視線が彼へと注がれ、そして、誰もが彼のことを噂するだろう。

 周りの人達がそこまでしてしまうほどの理由を、青年が持っているのは明白である。問題なのは、それが何なのかという部分が、今の私には分からないということ。そして、それを知る術が今の私にはないということ。

 でも、私にでも分かることはある。それは、この針の筵(むしろ)のような状況が、どれだけの恐怖を孕(はら)んでいるのかということ。


 ――痛いほどよく分かる。これは、私がさきほどまで感じていた恐怖に、とてもよく似ていたから。


「グレイシス様、お手を」

「手が、どうかしたのか?」


 出来る限りの虚勢をはって、私は自らの手を青年へと突き出す。


「私の手を握ってください」


 自分でも驚くほど大胆なことを、まるで作業のように淡々と告げていた。

 それは、誰にも弱みを見せられない青年に対して、私が出来得る最大限の配慮だったように思う。


「仰せのままに」


 そう言って遠慮しがちに乗せられた手は、ほんの微かに、震えていた。


********************


 中央に辿り着く頃には、私の意識は青年にのみ集中していた。

 だから、会場がどんな状態で、どんな噂が飛び交っているのか、などということは視界にすら入らない。

 そんな些細ことは、ここにいる私にとっては最早どうでもよかった。今の私はただ、青年に少しでも安心して欲しかったのだ。

 私がここにいるということを認識し、私にわずかでもいいから縋(すが)って欲しかった。


「よろしくお願いします」


 だから、優雅に余裕のある表情で、これから始まることに対しての通過儀礼のようにお辞儀をする。


「よろしく頼む」


 青年は私のお辞儀に答えると、握っていない方の手を私の腰へとそっと添えた。

 それが、全ての始まりの合図。

 私の中で蠢(うごめ)く欲望も、葛藤(かっとう)も、全部飲み込んで、二人だけのダンスが執(と)り行われる。


 踊りというのは言葉のように、本音と建前だけでは上手く取り繕うことの出来ない、素直な伝達手段であると私は思う。

 どんなに上手く見せようとしても身体の軸がぶれてしまえば、それだけで形だけの円舞(えんぶ)である、とすぐに見抜かれてしまうからだ。

 だから、言葉の巧みさよりも人となりを重要視する時と同じように、手足の動きよりも身体の重心を重要視することが肝(きも)になってくる行為。

 青年の踊りは、まさにそれを体現したようなものだった。

 軸のぶれない踊りはシンプルでありながらも、先鋭化された動き一つ一つについ見惚れてしまいそうになる。

 私は、それに堪(こら)えながら、あくまでも青年と踊ることそのものに集中した。


「メルヴィン嬢、さきほどは助かった。感謝する」


 踊りに集中していた意識の中に、突然降ってきた声。

 それは、音楽が比較的緩やかな曲調へと移り変わった時のことだった。


「さきほどのことと言いますと?」

「むろん、手を差し出してくれた時のことだ」

「あ、ああ。あのことですか。お礼を言われる所以(ゆえん)はありません。あれは私が……私がそうしたかっただけですから」


 改めて言われるというのは、それはそれで気恥ずかしいものがある。そのことを実感しつつも、表に出ないよう振る舞い、自らの主張を押し通した。

 あれは青年の為ではなく自分の為。そう、青年にも自分にも思い込ませる必要があったから。


「そうか。どうやら僕は、君の気紛れに救われたようだ」

「それはよかったですね」


 内心嬉しく思いながらも、言葉では他人事のように呟く。

 目の前にいるのは、何でも見通してしまいそうな洞察力(どうさつりょく)を持つ青年。もしかしたら、すでに私の考えていることなどお見通しの可能性だってある。けれど、それでもいい。

 私が、言動でそれを白日の下に晒(さら)さない以上、彼の中での確証は得られず、残るのはただの仮説のみとなる。

 仮説では、私の思いを立証することは不可能だから。

 だから私は、ここで意地を張り続ける。


 そうしなければ心根の優しい青年は、誰に頼るでもなく独りで、その身に起こる全ての重荷を受け入れてしまいそうで。

 私は単純に、それが嫌だっただけ。

 私は、踊りとは違う、複雑で面倒な言葉という伝達手段を使って、掴みどころのない青年の中にようやく見つけた青年らしさを、ただ守りたかっただけなのだ。

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