友人の隣
今日一日の授業は何事もなく終わった。とは言っても、教室では、クラスメイト達の冷たい視線と、明らかな侮蔑を含んだ嫌味が終始飛び交ってはいたが、誰かとの直接的な争いがなかっただけまだましと言えるのだろう。
定期舞踏会の開始時刻は夕方の6時から。
現在の時刻が4時20分なので、準備には大分余裕がある。
会場も学園の一画にある、普段来賓などをもてなす際に使われるホールのため、移動にもそこまで時間はかからないだろう。
私は、丁寧にゆっくりと身支度を始めた。
いつも着慣れている制服を脱ぎ、艶のある布地から出来たドレスに袖を通す。
案外簡単に着れてしまったことに驚きつつ、部屋に備え付けられた姿見で自分の姿を確認する。
「うわぁ…………」
思わず、間の抜けた声が出た。
鏡に映る人物は、普段から見慣れている自分の印象とは大分かけ離れて見える。
衣装だけでこんなにも違うものだろうか?
そこに立っていたのは、自信と気品を携えたどこかのお姫様にも思えるような、誰か――。
「いいえ、決して自惚れている訳では……」
鏡越しの自分の姿に思わず息を呑んだ言い訳を、誰も見ていないはずの自室で独り漏らす。
いつもなら送られてきたドレスを淡々と身につけ、手早く準備を終える私が、鏡の前に釘付けになっている。それだけで、自分が今どうしようもなく浮かれていることが嫌でも分かってしまった。
目を瞑り、視界から入る情報を遮断してから自分自身に説き伏せる。
今だけ、どうせ今だけのことだ。これを脱いだらいつもの私に戻るのだから。
そう――この鏡に映る人物は今夜限りの、ただの幻想だ。
浮足立つ気持ちの中に、冷静な自分をひっそりと忍ばせながら、私は出かける準備を進めるのだった。
********************
予定よりも準備に手間取ってしまったものの、会場には20分ほど早めに着くことができた。
普段はあまり見る機会のない来賓用の大ホール。その中は、ここが学園の敷地内であることを忘れさせるほどの豪華さと優美さが備わっていた。その内観だけで、この場所が特別であることを示唆している。
何度か足を運んだ場所ではあるものの、その壮大な空間にいまだ慣れない自分がいた。
「あ、メルヴィン!」
馴染みのない場所で、聞きなれた声が響く。
「メルヴィン! こちらですわ!!」
声がする方を向くと、そこには気品あふれるドレスに身を包んだエメットがいた。
いつものように笑いかけてくる友人のもとへ近づくと、彼女は驚きの声を上げる。
「メルヴィン!? 髪を……髪を短くしたんですか!?」
「あ、そういえば、この長さになってから会うのは初めてでしたね、エメット」
「そんな、落ち着いて話すことではないですわ……。まさか、あの件が原因で?」
「それは……違います。原因ではないです」
「私があの時、無理にでもあなたの力になれることをしていれば……」
「だから、違いますって」
まるで、自分の事のように思い詰めるエメットに対して、私はなだめるように優しく告げた。
普段は落ち着いているので、まさに絵に描いたような淑女のように見られがちな彼女だが、その落ち着きの中にもしっかりと喜怒哀楽を表現してくれる。そんな彼女の隣は、なんだか温かくて居心地がよかった。
「それなら、いいのですけれど……。
ところでメルヴィン、今日はいつもとは大分雰囲気が違いますわね」
「はい。これは、その……」
「あら、もしやどこかの殿方からのプレゼントかしら?」
「ち、違います! これは、父から送られてきたものです!」
「そうでしたか。メルヴィン、あなたにとてもよく似合っています。特にその、短くなった髪の毛にぴったりです」
私がする全力の否定を聞いて、少し残念そうに、けれどどこか嬉しそうに友人は呟く。
「エメット、それはこちらの台詞です。今日のあなたの装いは、どこから見ても完璧ですよ」
「私が支度上手なのは、あなたもよくご存じでしょう?」
「ええ、知っています。今日はしっかりと結ってあるようで安心しました」
「ああ、髪の毛のことですね。あの日は、とある友人のことが気がかりで気がかりで、ついうっかりを……」
エメットは、まるで冗談であると主張するように朗らかに微笑んだ。
「そういうこと、だったんですね。……ご心配をおかけしています」
「いいえ、大事な友人のことですから」
それ以上多くを語ろうとしない彼女に、私はありがとうございます、とだけ告げた。
会話に一区切りついた辺りで、私はエメットの隣に立つ人物の存在に気が付いた。
金髪碧眼という、一目見ただけで高貴な家柄の出なのだろうと理解できてしまうその人は、私の視線に気が付いたのか、それまでエメットを映していた瞳をこちらに向ける。
そしてお互いの視線が交差した瞬間、
「エメット、そちらの方は?」
よい頃合いだと読んだのか、場を改めるように尋ねるのだった。
「あら、ご紹介が遅れてしまいました。こちら、私のとても大切なお友達メルヴィン・ローズです」
「はじめまして、えっと……」
「ああ、すいません。俺の名はポール・アベニュイ。エメットの名目上の婚約者です」
「はじめまして、ポール。私はエメットに紹介された通りの、彼女の友人です」
「君が噂のメルヴィンか」
「ちょっと、ポール! さんを付けてください! さんを! メルヴィンを呼び捨てにしていいのは私だけです」
「ああ、失礼した。メルヴィンさん、君の話はエメットからよく聞いています」
「え、よく……ですか?」
「はい。よくです」
「えっと、ポール……さん?」
「ああ、俺のことはそのままのポールで構わない」
「ではポール、エメットは私のことをいつもなんと言っているんですか?」
友人が私のことを私以外の人間に話していたことが意外で、ついその内容まで知りたくなってしまった。
そんな私の好奇心を押し留めるように、エメットは全身全霊で叫ぶ。
「もう、それ以上は止めてください! 私の沽券に関わる問題ですよ!」
彼女の叫び声は広いホールの中へと響き渡ったが、舞踏会が始まる前ということもあり、辺りが賑わっていたお陰で、あまり目立つことはなかった。
「分かった分かった。すまない」
「いいですか、ポール。私の大切な友人の話は、あなたにだから話せるのです。それを覚えておいてくださいね!」
「メルヴィンさん、申し訳ない。これ以上エメットの信用を失うのは避けたいので、さっきの言葉は忘れてくれ」
まるで、拗ねてしまった子供をあやすように、ポールは呟く。
「あ、はい……」
そんな親しみ深い二人に対して、私の口から出てくる言葉は最早それしかなかった。
その後、他愛のないやり取りをしていると、定期舞踏会の開始を宣言するように、主催者の挨拶が始まる。
主催者は学園長であるコーデリック氏。と表向きに取り繕われてはいるものの、実際は学園の管理を行っている王侯貴族が本来の主催者である、と言われている。
ほとんどの生徒はそのことに薄々気付いていながらも、名目上の主催者が話す流暢な語りに耳を傾けていた。
面白い、続きが気になる、という方がいらっしゃいましたらブクマ、評価などして頂けると作者が喜びます。




