3章続き その1
腫れの引いた右頬には軟膏を塗った綺麗な白布を固定するポアテープ、腫れを治療した女医、「ロザ=カナセ」ウォルターへ向けて微笑んだ、それはいつも心の奥底を見透かせない彼女とは違い、心からの安堵が見えていた。
逆光で見に辛いが、この女医の微笑みと言うのは柔らかくなぜか心が安らぐ笑みであった。
そんな彼女はふと、いつもの何も見透かせないような顔へと戻る、
「どうぞー」
彼女も保健室に入ろうとする生徒に今気が付いたのだろう、ドアの方向を見やり言った。
それでもドアの向こうの人は元気のあるノックが響かせ、次にはドアが開いて落ち着かない様子で答える。
「カナセ先生、持って来ましたけど…大丈夫ですか?って…」
「うん、大丈夫よ。それをここに持って来てくれる?」
喉に魚の小骨刺さったような違和感を感じた彼女は、誰なのか少し黙考した。
少しするとウォルターの後ろ姿を見て誰なのか思い出して、素っ頓狂な叫びを口にする。
「ああぁあ!!?君は!」
耳に響くような高い声の絶叫を聞き、一瞬あらゆる意味で頭が痛くなった、しかし彼女方へ振り向き吐き捨てるかの如く呟く。
「俺で悪いか…?俺だって怪我の一つや二つするんだよ」
ソファーに座らされるウォルターとしては、なぜ保健室にいるだけで叫ばれなくてはならないのか、それが疑問だった。理由はなんとなく察せられるが。
今度は茶色の紙袋だった、それをウォルターの目の前に優しく置いた。
ムッとした顔で、ウォルターを睨め付けながらでなければ完璧だったろう。しかしそれは僅かな時間だった、今や彼女の興味は例の紙袋に向いていた。
「アンネちゃん、君この袋の中身が知りたそうだね?」
既にウォルターの存在などなかったかのように話が始まり、アンネはすぐに首肯する、
「これはそこの愚かで浅ましい少年に対してのプレゼント、わ・た・し、個人のね」
妖しい笑みを浮かべて、カナセは言った。
カナセの発言にウォルターはため息をつき、
「そんな誤解だけ生む言い方されると困るんですけど、先生、てかお前それを信じるなよ…」
ウォルターの指摘に対して、直ぐさま否定したアンネであった。どうやら人の恋話は得意な方ではないらしい。
「あ、あたしは別にそんなこと思ってないわ、アリアじゃなかったら誰が君のこと好きなのよ?」
平静を装ったつもりでいるアンネは否定だけしたが、それはウォルターにとっては今、喧嘩しているアリアとの話を引き合い出されるのは心苦しいものだった。
「そうだな、それで先生、この袋は貰って良いんですよね?」
軽くあしらいカナセに問いかける。
今や10分以上、遅れて待たされた不満などアンネの話でどうでもよくなっていた、するとカナセは、
「うん、いいよー。ところでアンネちゃん、君、"小隊"はどうしたの?」
その発言はウォルターの心に、勧誘するべき、という警鐘で徐々に心の雲は晴れ始める。アンネは対照的に曇り始めているのだった。、ただカナセは心苦しく思っていた。それでも聞いたのはそれがアンネのためになると信じたから。
「ええっと、今じゃないとダメですか?これから航空技術のレポートを…」
だめっ、と拒否。そして質問に首肯するカナセ。
これはもう確定したな、思うウォルター、もちろんそれは、アンネが小隊を辞めたのだろうと決め付けたもの。
「だって私はこの学校のカウンセラーですもの、まぁ今のは全然関係ないんだけどねー…それで、例えマヌケな少年が居たところでこれは世間話みたいなものよ。そう、世間話。何ら問題の無い世間話」
何度も頷き、屁理屈を並べるその様はただの子ども。今年で22歳にもなる大人の態度とは思えない。
アンネはただ諦観したようで、あからさまなため息ひとつに喋り出す、
「先週「脱隊届け」を出しました。今は」
そこで言葉を濁したアンネ、目の前の女医は聞いた。
「なるほど、じゃあアンネちゃんは今小隊をお探しかな?」
声のトーンをわざとらしく少し下げ、探偵を気取ったような、口調で尋ねた。
流石にもう言い逃れは出来ないと、観念したアンネは、まあそうですけど、と渋々頷く。
するとアンネには意外なことにウォルターが真剣な表情で見つめてきた。
「アンネ、ひとつ頼みがある。八〇六小隊に来てくれないか?」
思考プロセスがエラーを吐く、何故?六二一ではないのか?
予想外で真っ白なっていてもアンネの頭は自動で考えた、まずは八〇六小隊、ハッキリ言えば聞き覚えがなかった。Bランクからは全ての小隊を記憶していると人知れず自負しているが、覚えは無い。
では、特別昇格はあったか?答えは否、それを聞いていないし校内掲示板でも見たことがなかった。
つまり、CランクからEランクの間?少なくともウォルターが所属しているとは思えない。と行き着く、彼は良くも悪くもいや、悪目立ちしかしない。誰も欲しがらないだろう。
となれば本格的に意図が汲み取れない、何故?それは言葉にもなっていた。目の前の少年、彼の目にはどこか切羽詰まったようなものを感じる気がする。
「実はな、その小隊はEランクなんだが俺が指揮官として配属されててな、ランクこそ低いが実力が確かな連中でそれでもまだ前衛が足りなくて欲しいんだ、そこで、来てくれないか?」
言葉を取り繕わないし誇張もしない。ありのまま事実のみを話す、それが彼の誠意の証明と見せ方。
「まあ、考えとくね、それじゃ失礼します」
ウォルターの現状の実力は別として恐らく無能な指揮官ではないと思える。
そこまで考えれば良いと思われるが、それを打ち消せるほど、ウォルターと仲良くしていいことなど、百害あって一利あるかどうか。故にアンネは関わらないことした。
アンネの思考は冒険よりも保守に走った。それを感じ取れないほどウォルターは鈍感ではない。
「待て、今日これから能力テストなんだが試しに見に来てくれ、それで分かるはずだ」
論より証拠、それを実践するのみ。
・・・
小隊、そこに入れば空を飛ばねばならないのでは?学校に来てから極力考えないようにしていた努力が無駄になった。
自分が空にいる感覚。どこまでも曇天に包まれ、まるで地球そのものが雲に覆われたようにも感じた。それは、人生において二度と無いであろう最悪の光景、血塗れになりながら戦う者、有るべきはずの腕が無くなった痛みに泣き叫ぶ声、鮮明に蘇ってくる。
・・・
絞り出した声は震えてはいなくとも気分が悪いと相手には伝わるだろう。
「今日は…ダメ。時間がない、から…」
「………そうか、じゃあ明後日の放課後、校門に」
少しだけ見えた拒絶の色、何か触れられたくないものを微かに感じ取りウォルターすぐに引いた。
失礼します、アンネはその一言を残し去って行った。ややあってカナセは言う。
「あの子は色々抱え込むタイプだから、前の小隊で色々あってね。まぁここから先はあの子が君に心を開いたら聞いてみるといいわね」
長年の付き合いと言うべきか悩む関係だが、カナセは大抵の生徒の問題をウォルターにだけ言う。ある種デリカシーがないのだ。
ただ、そんなカナセも言葉を濁す時がある、それが竜騎士の死。多くの竜騎士にとってそれだけは言葉を濁すのだ。
それは仲間の竜騎士が死んだ、その事実を再び言うことへの忌避。彼女も竜騎士の端くれ、だからこそ、推察できたと言える。
「なんとなく察せられますよ、そのくらい。ですが人として心か荒んでいくを俺はよく実感してました」
「へぇー?君も人の死を悼んでるの?」
「悼んでなかったらこんな生き方はしてないですよ、それに、人の死を悼まない奴なんてそうそういないと思います。少なくとも俺らはそう思ってます」
「俺ら、ね」
訝しげに見つめるカナセを見ることなく、ウォルターは茶色い紙袋を左手で取って立ち上がりドアの前まで行き、振り返り言った。
「カナセ先生、あなたは俺にアンネと親しくなれって言いたいんでしょうが、あれが俺に心を開くと思ってますか?」
諸手を挙げつつ、とても医者とは思えない無責任な態度でカナセは告げる。
「そうね、彼女をすくい上げて欲しいの、その上で八〇六と一緒に成長して欲しいだけ」
精神医ではないその点を考慮してもあまりに無責任だし、上手く行くとは思えない。
彼には人を救うことは出来たことがあったが、本当の意味で救えたことなど無い。
ただ、期待されていてこんな自分と仲良くしてくれているし、アリアを影から守ってくれているのだ。
それはウォルターにとって、命を懸けて返すべき借り。
「よく解りました、カナセ先生には一生分の借りがありますし」
真剣な表情から一変して、いつもの人をからかう時の表情。ウォルターは嫌な予感を感じ取った。早く出ようと踵を返すが。
「あら?嬉しいわね。それじゃ、あの子をよろしく。それとアリアちゃんをあんまり泣かせちゃダメよ?」
「…………なんで知ってるんですか、聞く気も起きませんけど」
背を向けたまましょぼくれていると、不意をついた追撃が襲ってくる。
「もう噂になってるわよー?アリアちゃんがいつもなら帰ってるはずの時間から生徒会室から出てきて、目を腫らして帰ってるの。
君の右頬が腫れてるのだって、何かふかーい理由があるんじゃ無いの?」
もうどうでもよくなり、無愛想に(いつも無愛想に見えるが親しい人には少しだけ明るく優しくなる)言った。
「カナセ先生が女子生徒にちゃん付けで呼び、男子生徒を呼び捨てにするのと同じで、深い理由なんてありませんよ」
すぐに出て行った。後ろから、そぉー?本当にー?と言う声が聞こえたがすでに答える気力はなかった。
新年初投稿がこれってマジ?もう1週間が経ちましたが、まずお詫び(こいついっつも謝ってんな)を、お待たせして申し訳ありません!!
それと次回投稿より、八〇六小隊の人物紹介を挟んで行きますので、これからも読んで頂ければ幸いです。




