守護獣と人形兵
調査隊が遺跡に入って三日。作業は単調ながらも順調に進んでいた。
供給士たちが呪文を複写するのも既に四部屋目を数える。規模は最初に入った部屋が最大だが、それ以外にも似たような部屋が発見されたのだ。すべては最初の部屋で発見された管理用即ち検索用の装置のお蔭である。
この三日間で守護獣もまた大きくなっていた。召喚直後には子猫のようだった豹の召喚獣は最初にリュウトを襲った成獣とほとんど変わらぬ大きさになっている。
遠征の息抜きとばかりに、供給士たちは競って魔石を餌に守護獣を手懐けようとした。だが自ら魔獣を狩り魔力を得ることを覚えた若き豹は、人の手から餌を得ることはもちろん、触れられることすらも良しとはしなくなっていた。それでも召喚主であるという認識が残っているのか、リュウトにだけは朝晩に脚に纏わりついて魔石を強請る。
新たに複写し保存する呪文には番号付けと簡易的な分類も行われていた。正確な分類はトバロが指摘した通り全体を分析してからだが、「その他」や「分類不能」の概念を持ち込めば現代魔法と仮の対応付けくらいは可能だという提案があったのだ。
もちろんそんな提案をするのはリュウトを措いて外にいない。彼にとって、異なる体系の魔法の複写作業は、ネットワーク接続がない異なる二つの環境間でのデータ移行と同等だった。遺跡の壁に刻まれている呪文の数は、多くても千の位に届くかどうかだ。数百万、数千万という膨大な量を扱うのに比べれば、人海戦術用に投入された供給士がいるので一覧表作成くらい容易かった。
○◎●○◎●
三日目の午後、昼食の休憩が終わろうとする頃、緊急連絡が入った。
遺跡の外で列車を管理している部隊からは、毎夕、五人ずつが夜営場所へと送られてくる。魔法軍には通信用の魔術具もあるが、日光の当たらない環境での連続作業による兵の精神的消耗を軽減するために、定時連絡という名目で人員交代を行っているのだ。尤も五人ずつの交代なので、調査期間中は遺跡の中に篭もり切ることになる兵のほうが多い。
人員の交代を待たずに通信の魔術具による連絡が入ったのは予定外のことであった。遺跡の北西側を占領するレルデルクス軍を監視していた駐留部隊からの連絡で、レルデルクス側で盗掘を繰り返していたと思しき集団が南下してラウデリアの支配領域へと侵入したというのである。
「規模は二十名以上。盗掘には機械兵を用いていたとの情報もあり――」
「そんな集団が外の砂漠を移動していたらすぐに発見される。どうやって盗品を運んでいるんだ?」
「なんだか怪しいな。レルデルクスの罠では?」
「いったいなんのために?」
レルデルクスは遺跡調査での協力相手であり、技術供与や魔石炭の取引などでは友好関係にある。罠にかける意味がないという意見が大勢を占めた。その一方で、友好関係は表面的に過ぎず、盗賊団を口実にラウデリアの領域に手を出そうとしているのでは、あるいはラウデリアが侵攻したと言い掛かりをつけようとしているのではという穿った見方もある。
「レルデルクスの狙いについて議論をしていても始まらん。レルデルクスへの対処は後にして、侵入した盗賊団の動向を探ることが最優先だ。いずれにせよレルデルクスの領域との境界付近に抜け道があるはずだ。手始めにそれを調べてみよ」
発見直後は目の色を変えて装置を独り占めしていたポルパだが、三日目ともなるとそれも落ち着いている。使い方を習得した供給士に命じ、通路や非常口の類を再度調べ直させた。
「両国間の境界線は建設途中で放棄された魔石油の配管らしいです。幅の広い直線状なのは、そのためのようです」
「配管周りから外へ出る非常口はありますが、列車からの監視では不審人物の出入りは確認されていません」
「中止となった建設計画の図面を発見しました。我々が現在いるこの区域のすぐ北側に工事用の人形兵置き場が存在した模様です」
三人目の報告に基づき、改めて部屋の中の捜索が行われた結果、北西側の壁の片隅に魔法による封印の痕跡が見つかった。
限界まで簡略化された記述魔法を使った魔術具では古代言語による封印を解くのは難しいと、ポルパが自ら詠唱魔法による解除を買って出る。
『我は求めん、砂と幽き闇の調べが古の智慧により閉ざされた扉を今再び開けんことを!』
小柄な身体つきに似合わぬ朗々としたポルパの声が響き渡ると、灰茶色の壁を切り抜くように黄緑色の線が浮かぶ。ひときわ強い光を放った次の瞬間には燃え尽きたような焦げ茶色に変わった。
「先行調査は魔力板乗りの二人と、それから護衛部隊から四人が行け」
護衛部隊の先導に技術補助部隊二人が続いて壁に大きく開いた穴を潜る。壁の向こう側になにかの気配でも感じたのか、豹の守護獣が魔力板を担ぐリュウトの後を追った。
○◎●○◎●
穴の向こう側は、低く掘り下げられ崖のようになっていた。本来ならば戦闘を担う護衛部隊が先に立って進むのだが、二、三階分以上の深さでは容易ではない。上下の機動力のある魔力板乗りの二人が、降りられる場所を探すことになった。
魔力板乗りの二人が宙に浮かぶと、豹の守護獣も靭やかな動きで垂直の崖を一気に駆け下りる。崖の下には人型の機械が身を伏せるようにしてずらりと並んでいた。動き出す様子は微塵もなく、封印を破った侵入者を感知した気配もない。
「北東地区で機械兵に乗るネウリズマ人を見たが、それとは随分と違うみたいだ」
「ここにあるのは土木工事用だろ? 戦闘用とは形が違うのは当然じゃないか」
崖を下りる階段や通路は見当たらなかった。人形兵による作業に人の出入りは不要だったのだろう、簡易梯子の類すらも遺されていない。中層や高層の壁で作業していた供給士たちの手で、あっという間に梯子が組み上げられる。
梯子を組む間も魔力板乗りの二人は上空からの人型機械の観察を続ける。
「魔力の供給はされていないみたいだ」
「起動呪文が外されてるんじゃないか? 後ろの隙間は石版の嵌め込み用だろ?」
「盗賊が使ってたってわけでもなさそうだな……」
安全が確認されると運び出しの準備が始まる。途端に離れた列の運搬用の人形兵がむくりと起き上がった。隣に伏せた人形兵を長い爪のついた鋤のような腕で掬い上げ、作業中の供給士に向かって投げつける。
「戦闘配備!!」
「起動しないんじゃなかったのか!?」
人形兵を投げつけられた兵士は身動きしない。意識を失っているようだ。投げた人形兵は他の動かない人形兵や部品を次から次へと投げつける。大きさや重さも問題だが、腕が鶴嘴や穿孔用掘削機などの人形兵もあり危険だ。
「爆破できないのか!?」
「駄目だ!! 下手に衝撃を与えると遺跡ごと崩れかねない!」
下に降りた供給士たちは投擲される危険物から逃れようと右往左往するばかりだ。崖の上の兵も人形兵までの距離が遠すぎるため有効な攻撃手段が見つけられない。
「上から制圧できないか!?」
「無理言わないでくれよ……」
遺物を壊さないことを重視するあまり護衛部隊の採れる行動には制約がある。人形兵は既に相当数が壊れているのだが原則は崩せない。期待をかけられた魔力板乗りの二人は、すれ違いざまに顔を見合わせ溜息を吐く。
素早いリュウトが囮となり、大口径の銃を借りたトヘルストが後方から石版を嵌めた頭部を狙撃することになった。投擲の直後を狙い、リュウトは敵の躍り出る。
土木用の人形兵の動きはさほど速くはない。頭はリュウトの動きを追いかけ、腕は地面の上の掘削用人形兵の部品を持ち上げる。トヘルストが後ろに回り込んだのを確認したリュウトは、人形兵の目の前を上下左右に自在に飛び回る。
人形兵の腕が振られた瞬間、トヘルストが旋回しながら魔力銃を発射した。ガッという鈍い音がして人形兵の右肩が引き千切れて落ちる。その勢いで投げられた部品の軌道が少し変化した。余裕で回避するつもりだったリュウトの魔力板の端に鶴嘴の先が引っ掛かる。平衡を失ったリュウトは魔力板を踏み外して落下した。
銃撃されたはずの人形兵はまだ動きを止めていなかった。千切れ落ちた自らの腕を反対側の腕で拾い上げ、リュウトに向けて構える。大きく旋回したトヘルストは部屋の端から戻ってくる途上だ。
(……やばい!)
思わずぎゅっと目を閉じたリュウトだったが、予想した衝撃が襲ってくることはなかった。その代わりに彼の耳に聞こえてきたのは、低い唸り声となにかを咀嚼する音だ。
ゆっくりとリュウトは目を開く。その目に映ったのは豹の守護獣が自分の前に立ちはだかり、投げつけられた腕を貪り喰らう姿だった。鋤のような形をした腕は魔術具だったのか、咀嚼する度に豹の体躯が巨大化していく。
豹の喉からグルルルと轟くような唸り声が漏れる。豹を敵と認識した人形兵が向きを変えた。人形兵は鋤のような腕を伸ばして投げられる物を探す。爪の先が予備の部品にに届いた瞬間、豹の守護獣が真正面から跳びかかり、獲物を捕らえる肉食獣の動きで人形兵の首に喰らいつき大きく捻った。
耳障りな軋むような音とともに人形兵の動きが止まった。瞬間的に守護獣の身体が膨れ上がり眩い光を放ち――そして霧散する。
折れた首の付け根から、魔力だろうか、靄のようなものが立ち上る。がちゃりと音を立てて、地面に呪文を記した石版が転がり落ちた。




