二十三、お前は、一体、何者なんだ?
“どうやら白秋も黒夏も、死なずに済んだみたいだよ、立石さん”
赤春がそう立石に告げた。立石は冷静にこう尋ねる。
「その言葉、どう信じれば良いのかしら?」
しかし、そう尋ねた瞬間に情報屋の声が、心の中で響く。
“済まない、立石さん。情報に誤りがあった。訂正させてくれ。白秋は生きている。一時的に意識を失っただけだ。黒夏も大怪我はしているが、命を失うまでには至っていない。赤春は、二人を脅しただけのようだ”
その情報に立石は動揺したが、反面、少し安心してもいた。赤春は、それほど邪な存在でもないのかもしれない。ただし、恐るべき力を持っている点は変わらない。
“わざわざ、ありがとう”
立石は情報屋にそう返す。情報屋は、“なに、誤った情報なんて品質の悪い商品を提供していたら、情報屋は成り立たないからね”と、そう返して接続を切る。どうやら、今の立石の状況を分かってはいないようだ。情報屋にはハッキングができると赤春は言っていたが、立石に対してはできないらしい。立石は矮躯童人の血が薄いからかもしれない。それから彼女は、包丁を持っていた手を下げた。
“信じてもらえたかな?”
赤春がそう言う。自信たっぷりの口調だったが、やはり態度はそれとはまったく噛み合っていない。目が泳いでいる。ただし、彼は立石が包丁を下げたのを見て、やや安心したようではあった。立石はそんな彼を揺さぶる為に、また口を開いた。
「でも、二人が死ぬかもしれないような事をやったのは事実のはずよ」
“確かにね”
それを聞くと、立石は表情をきつくした。こう彼に問いかける。
「あなたの目的は何? 一体、白秋に何をさせるつもりなの?」
その質問に、赤春は淡々と返した。
“それは、君も薄々勘付いているのじゃないか? 僕が白秋にさせようとしているのは、原子力産業潰しだよ。この社会の将来の為に、邪魔な存在を消したい……”
「そんな、いかにも建前な話を信じろというの? それが、どう、あなたの利益になるっていうのよ?」
赤春はそれを聞くと、困惑した表情を浮かべた。そして、声に出して言う。
「ウラン資源は枯渇するから、労働力が余っているうちに、エネルギー転換をやっておかなくちゃ、人間社会は困窮します……。これは、とても重要な事で…」
そう語った赤春は、真から、必死に立石を説得しているように思えた。その姿を見て、立石はまた分からなくなる。自分が、単に弱いモノいじめをしているだけのように感じてしまう。
“重要な事だっていうのは、分かっているわよ! でも、何であなた個人が、世の中全体で考えるべきそんな事を、友達を脅してまでして進めなくちゃならないのよ!”
それから、思念伝達を使って、立石はそう責めるように問いただした。目の前にいる気弱な赤春ではなく、いつも思念伝達を使って会話をするもう一人の赤春に対して、言葉を投げかけたかったからだ。赤春は答える。心の中の声で。
“僕は、ある意味では、個人ではないからだよ”
その言葉に立石は止まる。
個人ではない?
「……赤春、あなたは一体、何者なの?」
声に出して、立石はそう尋ねる。気弱な赤春はそれを受けると、細かく震えながら、胸を抑えるような動作をし、こう言った。
「ここにいる僕は、間違いなくただの弱虫です。でも、繋がっている先にいる僕じゃない“僕”は、それとはまた違った存在なんです…
そして、その“僕”は、先に言った、原子力産業の話がとても重要な立場にいる存在なんだ……」
「原子力産業の話が重要って、どんな存在よ…」
立石がそう訊くと、頭の中に赤春の声が響いた。
“立石さんは、集団的知性って言葉を知っているかな?”
立石はそれにこう応える。
「その質問に何か意味があるの?」
“あるよ。僕という存在を、理解してもらう為には、この説明が最も手っ取り早いと思う”
少し考えると、立石は答えた。
「知らないわ。全く、聞いた事がない」
目の前の赤春は不安そうな顔をしている。しかし、心の中の声は毅然と響く。“うん。分かった。なら、まずはそこから説明しよう”と、彼はそう返した。立石はそのちぐはぐな反応に軽く溜息を漏らした。
やっぱり、心の中の赤春と、目の前にいる赤春は別人だと考えた方がスッキリする。
そして、そう思った。赤春が続きを説明し始める。
“集団的知性ってのは、比較的、単純な要素が多数集まる事により、ある種の知性を生じさせるものをいうんだ。有名な例だと、アリやミツバチなどの社会性昆虫。社会性昆虫には、実は司令塔に当たる存在がいない。個々の相互作用で巣全体をコントロールしているんだ。そして、まるで、考えて行動しているかのような振る舞いを見せる。これは知性と言えるね。
この他にも、人間の身体や脳なんかもこの集団的知性だよね。だって、細胞は比較的単純だけど、それが集まって相互作用する事で、知性を生じさせているのだから”
それに立石は軽く頷いた。
「話は分かるわよ。でも、それが何だっていうの?」
赤春は少しだけ呆れた口調になる。
“焦らないで。もう少し話を聞いて欲しい。もう少し聞けば、分かるから”
肩を竦めると、立石は「聞くわよ」と、そう返す。
“この集団的知性は、人間社会においても利用されている。多数の個人の自由な行動で、経済が動く市場原理は、その典型例。個人の主体性を認めた民主主義も関係しているね。とくれば、当然、人間社会という巨大な生物にも思考があり意思があると想像してしまいたくなるよね。
実際、インターネット、ウェブの繋がりを、脳の神経ネットワークにそっくりだと主張する声もあるくらいで、この話は、大いに人間の想像力を刺激しているんだ。事実、ネットによって人間の個人同士の相互作用は強くなっているだろうから、これは分からないでもない。まぁ、だから、ネットを利用すれば、集団的知性をもっと活かせるのじゃないかと考えられるし、少しずつそれは始まってもいるのだけどね。
見た事ないかな? 『この商品を買った人は、他にもこんな商品を買っています』ってネットの商品紹介。あれは、ささやかながら、集団的知性の応用なんだ。客が何を買ったのかのデータを集めてパターン化し、個別に適切な商品紹介をしているのだね。
なら、もしかしたら、ネットによって、人間社会全体で、何かを考えたり決断したりもできるようになるかも……”
そこまでを聞くと立石はこう言った。
「まさか、そんな人間社会の統一意思みたいなものが存在するとでも? 少し馬鹿馬鹿しいわ。もっと現実的な話が聞きたい」
それを赤春は肯定する。
“その通りだね。確かに、馬鹿馬鹿しい。集団的知性の発生が、人間社会にも起きているのは事実だけど、それは人間の脳のようなものとは全く異なっている。全く別の知性だ。もっとも、通常の場合は、だけど”
そう言い終えると、赤春は自らの頭を指し示した。困惑した表情のまま。その動作と言葉を、立石は不思議に思った。
どうして、そこで自分の頭を強調するのよ。しかも、こっちのあなたが。
“矮躯童人には異能がある。それは、君も認めているだろう? 基本的には、思念伝達能力を持つ… 君はテレパシーと呼んでいたけど… が、それ以外の異能もある。稀にだけど、思念伝達能力は低くて、他の異能に秀でているケースもある。先に名が出た黒夏は、その一人だ。彼には怪力と加熱という二つの異能があるが、思念伝達能力の方は、それほど得意ではない。できる事はできるけど。
この異能には様々な種類があって、原理もその数も全くの不明。因みに、白秋は人間関係を反映させた幻を産み出すという便利な異能を持っているよ。君の知り合いの情報屋は、知覚を混乱させたり、ハッキングを行う異能を持っている”
そこで立石は口を開いた。
「そのハッキングってのは、あなたもできるのでしょう? さっき、本当は私と情報屋の会話を聞いていたのだわ」
赤春はそれを聞くと、頭を指から離し、
“おっと、流石。ハッキングとは正確には別ものだけど、確かにそれと同等の事ができるよ”
と、そう言った。立石は尋ねる。
「それで、あなたは何が言いたいの? あなたは、特に思念伝達能力に秀でている。そう、情報屋は教えてくれた…」
“うん。一般的には、僕の異能は超思念伝達能力だと思われている。だけど、実は違うのだな。僕の異能は本当は、思念伝達能力なんかじゃない”
「何を言っているの? 実際に、こうしてその思念伝達能力で会話しているじゃない」
“そうだね。そう思える。でも、違うんだな。僕のこれは、それとはまた違って、本当は自分自身と会話をしているようなものなんだ…”
何を… と、立石はそう口を開こうとした。しかし、その途中で彼女は思い出す。先に彼が語った集団的知性の話を。そして、彼はそれを語った後で、自分の頭を指し示した。その行動に何か意味があるとすれば…。赤春はまた語る。
“まぁ、思念伝達能力と同じ原理を使ってはいるだろう。どんな原理かは不明だけど、そう考えるべきだ。ただし、僕のこれはそんなものは飛び越えてしまっている。もう別次元なんだ”
それを聞きながら、立石は自分の考えが正しいと確信していた。赤春が何を言おうとしているのか。愕然となりながら、彼女は言う。
「まさか、あなたの能力は、この人間社会の集団的知性に、意思を持たせるもの、だとでも言うつもり?」
その言葉に、赤春は少し止まった。そして言う。
“その通りだよ。立石さん。思念伝達の先にいる赤春。この僕は、その赤春の能力によって生み出された、人間社会そのものの意思。この僕の中には君も含まれているし、黒夏だって白秋だって含まれている。もちろん、あの情報屋だってね。
思念伝達で繋がった全ての人間達の集合体。疑似的な人格。それがこの僕だ…”
気付くと、それに立石は反論をしていた。恐らく、それは恐怖からくるものだったに違いない。
「嘘よ! だったら、もっと何でも、あなたの思い通りにできるはず! 白秋を脅したりなんかする必要ないじゃない! いえ、そもそも原子力産業だって無理に潰す必要はない… それが自分達の意思ならば…」
“ハハハ。それは甘い考えだよ。君は自分の臓器を自由に動かせるかい? 例えば、アレルギー反応とか、同じ主体でありながらコントロールの外にいるものなんて、いくらでもあるんだ。
白秋はプライドの高い奴だからね、例え僕の正体を明かしたって僕の言う通りにはならない。だから、しばらくは自分の力だと勘違いさせて誇らせた上で、促して行動させる必要があったんだ。ただ、事がここまで進めば、モチベーションはもうそんなには必要ないから、プライドを壊した上で利用する事にしたんだけど。ま、僕も手伝うし、あいつは優秀な奴だから、きっと上手くいくと思うよ。原子力産業は潰せる。または、大きく衰退させてみせる”
「原子力産業を潰すのは、人間社会の意思だっていうの?」
“そうだよ。ま、人間社会と言っても、この日本社会のみだけどね。
日本は少子化だ。つまり、労働力が不足していく運命にある。そして、ウランは枯渇する資源なんだよ。労働力不足になってから、ウランや化石エネルギー源が枯渇して、エネルギー転換を迫られたら、どれだけ悲惨な状態になるか分かるだろう? しかも、原発を稼働させ続けたら、核廃棄物の処理にも労働力を割かれる… その上、日本にはその為の土地がない。仮にもう大事故が起こらないとしても、充分に脅威なんだよ、原発は。戦争になったら、原発がターゲットにされるってのもあるね。
それから、一応断っておくと、原子力産業を衰退させるのは、僕の仕事の一つに過ぎない。他にも、僕は色々とやっている”
赤春の説明を聞き終えると、立石は頭を振った。困惑し、多少は混乱してもいた。どう赤春の話を捉えれば良いのかが分からない。確かに、主張している内容は正しいように思える。思えるけど、でも…
「正しかったら、何をやっても良いとあなたは思っているの? あなたは、あなたのやり方で、多くの人を犠牲にして来たのでしょう?
人間牧場だって、あなたはもっと早くに摘発させる事ができたはずよ! あなたは、あなたのその目的の為に、一体、どれだけの人を犠牲にしたり、見殺しにしたりしてきたの?!」
それを聞くと赤春は心の中の声で笑った。
“フフフ。奇妙な事を言うね。君は自分の細胞が身体全体の為に犠牲になるのに、罪悪感を覚えるかい? 白血球に悪いな、とか血小板に悪いな、とかさ。そんな感情は無意味以外のなにものでもない。
それに、正しいも悪いも関係ないよ。要は生き残りだよ。僕にとって、これは生き残りの手段なんだ。生物が息を吸うように。他の生物を捕食して血や肉にするように。僕は君らに働きかけて、単に生き残ろうとしていただけ…
それとも、君は僕を許せないから、僕を殺すとでも言うのか? ならば、それこそ、君が否定した事じゃないか。
それに、何度も繰り返すけど、仮にこの赤春を殺したところで、僕の存在は消えないよ。何故なら、この僕という存在は、君達の関係性そのものなのだから……”
それから赤春は声を出して言った。目の前にいる気弱な赤春の方だ。彼はその印象通りに語る。
「ごめんなさい、立石さん。僕にも、この僕の異能を、どうにもできないんです…」
それを聞いて、立石はその場に立ち尽くした。包丁を落とす。その立石に向けて、心の中の声で赤春が言う。
“君らは、矮躯童人を家畜化していると言う。でも、本当に家畜化しているのは、矮躯童人だけなのか? 人類の自己家畜化。人間社会の為に、利用される動物を家畜と言うのであれば、人間自身もそこに含ませるべきなのかもしれない。構成要素の一つとして、利用されている人間も…”
その時立石は、自らの主体性に疑問を感じていた。もし仮に、自分が大きな生き物の細胞の一つだとするのなら、そこにどんな存在意義を見出せば良いのだろう?
自分を包む、この大きな街が、まるで何かの臓器のように、その時、立石には思えていた。




