二十二、掌の上
立石望が、夜にパソコンで書類作成をしている最中。突然、頭の中に声が響いた。赤春からのものではない。直ぐに分かる。感覚がいつものそれとは違っている。そして、彼女にそんなコンタクトをして来るのは、他には一人しかいない。情報屋だ。
“やぁ、立石さん。情報を買う気はあるかい?”
立石はその声に慎重にこう応える。
“急過ぎるわ。一体、どうしたの?”
“緊急事態なもんでね。実は、今、とんでもない事が起こっている”
一呼吸の間の後で、立石はこう返した。
“買うわ。何が起こっているの?”
それから立石は、情報屋から白秋が殺されかけていると聞いた。しかも、それには赤春が関わっているらしい。
“何で、そんな事を…”
“分からないけどね。どうも、白秋が赤春との約束を破ったらしい”
それを話している最中に、情報屋は言葉を急に変えた。
“おっと… 進展だ。白秋の意識がなくなった。黒夏は血を流して倒れたよ。もぅ、これで僕には何も分からない。多分、二人とも死んだと思う。
赤春は人間牧場時代に黒夏と白秋からいじめられていた。もしかしたら、そういうのも関係しているのかもしれない。いずれにしろ、彼が今回の首謀者であるのは間違いない。自分の情報ネットワークを利用して、黒夏が白秋を殺すよう仕向けたんだ”
それを聞いて立石は愕然となる。赤春が白秋を殺した。約束を破ったから。まさか。それから立石はゆっくりと立ち上がった。台所に行き、包丁を手にする。そして、そのまま赤春の元に向かった。
赤春は居間でテレビを見ていた。立石の存在に気付き顔を向け、顔に微笑みを浮かべたが、直ぐに普通ではない事に気付く。立石の顔は酷く緊張していた上に、手には包丁を持っていたからだ。声に出して言う。
「何?」
それに反応して、立石は訊く。
「あなたは、何がしたいの?」
包丁を突きだした。その動作に、赤春は明らかに動揺した。震えている。しかし、その瞬間、頭の中に声が聞こえた。
“なるほど。情報屋から、話を聞いたんだね。あいつは、思念伝達を利用してのハッキングのような事ができるから、きっと今何が起こっているのかも察知しているんだろう。白秋に注目をしてもいたみたいだし”
怯えた態度とは一致していない毅然とした語り口調。また、これだ。立石は思う。まるで赤春は別人のようになる。立石は問いかける。
「あなたは何がしたいの? そろそろ、無理矢理にでも教えてもらうわよ。約束を破ったくらいで、友達を殺すなんて…」
それに赤春は“あいつが友達かどうかは別として、白秋が死ぬとは限らないよ”と、そう返した。
“あいつ次第だ”
「情報屋は、白秋が死んだような事を言っていたわよ。それから、黒夏ってもう一人のあなたの友達も」
赤春はそれに何も応えない。
「あなたの目的を教えて。場合によっては、これであなたを刺すわ」
そう言って立石は赤春を脅す。この男は、恐るべき力を持っている。普通とは異なったタイプの情報操作で、人間を操り、社会に影響を与えている。もし、危険な存在ならば殺さなければ。赤春は首を横に振った。
“仮に、そんな物で、この赤春を殺したって、僕の本質は消えないよ。立石さん”
その言葉に立石は反応する。この赤春? 自分自身の事なのに、まるで、他人の事を言っているように思える。
「あなたは、赤春じゃないの?」
赤春と見せかけて、実は他の何者かが、テレパシーで赤春を操っていた。それなら、人格の豹変ぶりにも納得がいく。そう思って、立石はそのように問いかけたのだ。しかし、赤春はそれを否定する。
“赤春だよ。間違いなくね。ただし、同時に他の何かでもある。人間社会に用意された言葉じゃ、表現できないような他の何か”
……何を言っている?
立石は思う。
今、目の前にいる私が相手にしているものは一体、何なのだろう?
「良いから、あなたの目的を教えて。その為にあなたは、友達二人を殺した。いえ、そればかりか、他人の人生を良いように操っている。
私だけじゃなかったのでしょう? あなたが心の声で操って来たのは。私は、数多くいるそんな人間の一人だったのだわ。偶々、人間牧場摘発に関わって、あなたと接触したのが私だったというだけの話! 他にも大勢の人に、同じ様なやり方を、あなたはしているのでしょう?」
それを聞くと、赤春はまた首を横に振った。そして言う。
“なるほど。それには気付いていたか。まぁ、聡明な君なら驚くには値しない。でも、君は一つ勘違いしているよ。さっきも言ったけど、僕はあの二人を殺そうなんて思っちゃいない。結果として、死ぬかもしれないけど、それはあいつら次第だ…
情報屋は、どうせ途中までしか観ていないさ…… 多分、白秋の意識がなくなった辺りから、接続は切っているだろうから”
白秋の部屋。
血が床に広がっていた。犬のウーが、黒夏の肩の肉を食い破っている。そして、口を離すと今度は首元に噛みつこうとした。しかし、そこで声がかかった。
「やめろ…… ウー…」
ウーは驚いて、声の方向に顔を向ける。そこには、ゆっくりと立ち上がる、白秋の姿があった。
「お願いだ、ツユ。ウーを止めてくれ」
ツユはそれに驚いた声を上げる。
「白秋! どうして、あんた生きて…」
「説明は後だ… 良いから、ウーを止めてくれ。殺すな。黒夏は赤春との交渉に使える… クソッ! マジで、イテェ」
白秋は首を擦っていた。
「自分の幻が創られたのは初めてだが、まさか痛覚が繋がるとはな。首の骨が折られる体験を味わうとは思わなかった。黒夏の馬鹿力め… お蔭で意識を失った」
それから白秋は床に目をやる。そこには、首の折れた人形が転がっていた。ツユが言う。
「つまり、さっき首の骨を折られたのは、あなたの幻だったって訳?」
「そうだよ。幻で目くらまししようと思ったら、ボクの姿をしたものが生まれた。その人形に合わせるようにしてね。で、ボクの身代わりにしたんだ… 咄嗟の判断だったが、何とか上手くいったよ」
実際、死んでいたとしてもおかしくはなかった。いや、この人形がなければ、間違いなく死んでいただろう。そして、この人形は恐らく、この身代わりの為に赤春が送って来たもの。つまりは、“自分には簡単に白秋を殺せる”、という脅しのつもりなのだろう。だが、この身代わりは、確実に上手くいくとは限らなかったはずだ。
ツユはそれを聞いて、ようやく現実感を得たのか表情を明るくした。
「冷や冷やさせるんじゃないわよ! だから、調子に乗っちゃ駄目だって……」
そう文句を言ったが、声は喜んでいる。しかしそれを聞くと、白秋は苦しそうな表情でこう言った。
「あー、文句は後で聞く。それよりも、赤春だ……」
そのまま彼は思念伝達を使った。
“おい。赤春… 返事をしろ。分かっているんだぞ、お前がこれを仕組んだって おいっ! 赤春っ!”
数秒後に赤春から返答があった。
“ん? どうしたんだ?
珍しいじゃないか、白秋の方から僕に話しかけて来るなんて”
“どうしたんだ?じゃねぇよ! 黒夏みたいな単純馬鹿を煽りやがって、後少しで死んでいたところだったじゃねぇか!”
それを聞くと、赤春は笑う。
“さぁ、何の事だか…”
白々しい…
白秋は思う。
“これが、お前との約束を破ろうとしたボクへの報復か? 脅しのつもりだったんだろうがボクには効かないぞ! ボクの能力がなければ、お前だった困るはずだ…”
言葉の途中で、遮って赤春は言う。
“何の事かは分からないけど、君が一人で暴走していたのは心配していたよ。ほら、いつだったか、記者にも嗅ぎつけられていただろう? あまり、危険な橋を渡ろうとするもんじゃないよ”
それに白秋は止まる。
“あの記者も、お前の仕業か?”
“そこまでは言ってないけどね”
白秋は思う。
クッ… やけに、あさっりあの記者が大人しくなったと思っていたが……。こいつ、どこまで、こっちの手の内を知っているんだ?
それから赤春はこう続けた。
“にしても良かった。黒夏は死んでいないんだね。殺さなかったのは賢明な判断だ。冬も喜ぶと思うよ”
“なんだって?”
“だから、冬も喜ぶって言ったんだ。実は冬と一緒に暮らしている金持ちと協力してね、矮躯童人の脳死体を手に入れたんだよ。まだ、若い女の子の矮躯童人の。今頃、その脳死体に、冬の脳を移植する為の手術が行われているはずだけどね”
その説明に白秋は驚愕した。
“冬の自殺も、お前がわざと見せかけていただけか!”
“何を言ってるんだい? 君だって、似たような事を計画していた癖に。ま、もっとも、矮躯童人の脳死体は、準備できてなかったみたいだけどね… 健康体の矮躯童人を犠牲にするんじゃ、冬は、納得しないよ。あの子は優しいからね”
少し考えると、白秋は言った。
“嘘を言うな。どうやって、この短期間で都合良く矮躯童人の脳死体を用意できるんだ?”
仮に自分の計画に横入りして、それを仕組めたとしても、矮躯童人の脳死体を手に入れられなければ不可能だ。白秋はそう考えていた。しかし、赤春はあっさりとこう答えた。
“短期間じゃないからだよ。随分と前から僕は、裏世界を探っていてね、それで、隠されている矮躯童人の脳死体を見つけ出していたんだ”
随分と前から?
白秋は首を傾げる。
“ちょっと待て。ボクがこの計画を立てたのは、つい最近だぞ?”
“知ってるよ”
それに白秋は愕然となる。まさか、ボクの計画も行動も、全てを読んだ上で、赤春は先回りしていたっていうのか? ならば、冬の居場所をボクが知ったのも、偶然じゃなくて、こいつが仕組んでいたって事になる。もしそれが事実だっていうのなら、ボクは完全に赤春の掌の上で踊らされているじゃないか。
それから白秋はこう考える。
……いや、まだだ。まだ、ボクの方が下だと決まった訳じゃない。ボクにしかない、カードがある。それから白秋はこう言った。
“調子に乗るなよ、赤春。お前は、ボクの異能がなければ困るはずだ。お前にボクは殺せない……”
しかし、澄ました感じで、赤春はそれにこう返す。
“まぁ、君の異能が役に立つっていうのは確かにその通りだよ。でも、その人間関係を幻に反映させる異能は、君だけが使える訳じゃないだろう”
白秋はそれにこう言い返す。
“だが、人間社会規模での関係性を反映させた幻を創り出せるのは、ボクだけだ!”
それを聞くと赤春は笑った。
“ハハハ! プライドの高い君らしいな。まさか、あれが全て自分の力だと思っていたなんて…
あれは君の力じゃないよ。人間社会の隅々にまで張り巡らせた、僕の情報ネットワークがなければ、君には人間社会を反映させた幻を創るなんてできない。僕の協力がなければ、君の力では、精々が周囲の人間関係くらいしか反映させられないんだ”
……なっ!
その赤春の説明に、白秋は言葉を失った。
軽く混乱する。プライドの砕ける音が聞こえた。その後で冷静になって頭が動き始める。
……つまり、相手を殺せないのは、赤春じゃなくてボクの方だってのか? 赤春を殺せばボクは力を大幅に失う… そんな。そんな馬鹿な…。
それから慎重に白秋は口を開いた。
“お前は、今回の件で、ボクが黒夏に殺されても別に構わなかったのか? ボクが死んでも代わりを探せば良いだけ…”
だから、もしかしたら死ぬかもしれないようなギリギリの脅しの手段を執った。
“さぁ? 何を言っているのか。君は僕の大切な友人だろう? 死んでも良いなんて思っちゃいないさ”
その返答に白秋は背筋が寒くなった。こいつ… こいつ…
「ツユ!」
そして、そう言葉を発する。思念伝達を行っているのだと考えてツユは今まで黙っていたのだが、それを聞くと、「何よ?」とそう訊いた。
「原子力産業を潰す方法を考えるぞ」
それにツユは不思議そうな声を上げる。
「どうしたのよ、藪から棒に」
「煩い!」
と、思わず白秋はそう怒鳴っていた。しかし、それから頭を抱えると「いや、すまない。色々な事があって、気が立っているんだ」と、そう言った。そして、こう続ける。
「悪いが、黒夏の手当てをしてやってくれ… 暴れ出すようだったら、冬は無事に生きているから、安心しろと言えば大人しくなる。……ボクは、これから、原子力産業を潰す方法を考える。いや、それができなくても、衰えさせる方法を何とか考えなければ…」
……そうしなければ、そうしなければ、
――下手すれば、ボクは殺される。
それから白秋は、こう心の中で呟いた。
“一体、お前の目的は何なんだ、赤春? 否……”
歯を食いしばる。
“お前は、一体、何者なんだ?”




