二十、赤春と白秋
昔。白秋の子供時代。
白秋は他の矮躯童人達とは違い、少し成長してから人間牧場に入った。貧困な家庭だったからなのか、それとも単なる育児遺棄かは分からないが、白秋は母親に人間牧場へと売られたのだ。だから彼は、初めてそこを見た時の事をよく覚えている。
たくさんの暗い顔をした、子供の姿の人間達が、強化ガラスと厚い壁で閉ざされた世界の中に暮らしている。おぞましいとは思わなかったし恐怖もそれほど感じなかったが、少しの好奇心を覚えた。ただし、現実感はなかった。自分が今日から、そこで暮らすのだという現実を上手く捉えられない。
嘘だろう。これは何かの間違いで、少し時間が経てば、自分の母親が迎えに来てくれると、白秋は無根拠にそう思っていた。母親が、自分に無関心だとは分かっていたのに。
そんな思いを抱えていた白秋は、しばらくは人間牧場の矮躯童人達と接触を持とうとは考えなかった。その必要性があると思いたくなかったのかもしれないし、単に怯えていただけなのかもしれない。そして、周囲の矮躯童人達もそんな彼から距離を置いた。ただし、赤春だけは別だった。赤春は早くから、白秋に接して来たのだ。
子供の姿をしているとはいっても、赤春が他の矮躯童人達よりも少し歳を取っていることは幼い白秋にも直ぐに分かった。そして赤春は何故か、白秋に対して優しかった。白秋はそれに感謝はしなかったが、一ヶ月ほどが経って、母親が自分を迎えに来る事はもうないのだと実感すると、赤春の存在を受け入れるようになっていた。それは、彼にとって絶望感を伴わない乾いた諦めだった。苦しくないと言えば嘘になる。しかし、その苦しみは、深く鈍かった。幼い彼には、それを明確には実感できなかったのだ。赤春は白秋に、人間牧場での生活の仕方を事細かに教えてくれた。そして、その過程で彼は白秋の異能の才を見出していった。赤春は白秋の“幻生”の異能に気付き、白秋が自分の存在を受け入れるようになると、それを伸ばすように促しすらもしたのだ。
赤春は外の世界に事にも詳しく、色々な事を白秋に教えた。外の世界には、お金というものがあり、それを稼ぐために、この人間牧場はあるのだというその仕組みも、彼が納得いくまで丁寧に説明する。白秋はその説明と、自分の母親が人間牧場に彼を売った事実とを結びつけた。“金の為に、仕方なく、母親は自分を売ったのだ”。白秋はそう思うようになったのである。証拠は何もない。しかし、それを赤春は否定も肯定もしなかった。それが幼い白秋に必要な“言い訳”である事を見抜いていたのだろう。その“言い訳”で金を憎むか、受け入れるか。白秋は後者の道を選択した。金さえあれば、自分がこんな場所に落とされる事はなかった。そう結論付けたのだ。それから白秋は、金に執着するようになっていった。
いつの頃か、白秋は漠然と赤春を尊敬するようになっていた。様々に世話を焼いてくれていたのだから、それも当然だ。しかし、赤春のお蔭で白秋が他の矮躯童人達と打ち解けるようになり始めると、状況は変わった。
赤春は他の矮躯童人達から馬鹿にされていたのだ。彼らの中で、地位は最も低く、場合によってはいじめられていた。
その事実に、白秋は初め、愕然となった。赤春が悪い訳でもないのに、何故か裏切られた気分になった。そして、周囲に合わせて少しずつ、自分も赤春を馬鹿にするようになっていった。やがては、いじめすらも、行うようになった。その時白秋は、自分自身を傷つけているような、そんな歪んだ快感と苦痛を感じていた。少なくとも、それで彼の世界の一部は壊されたのだ。
だが、そのうちに、奇妙な違和感を白秋は赤春に対して覚えるようになる。赤春は何故か、外に売られなかったのだ。赤春と同世代の矮躯童人達は、既に一人残らず売られているというのに。
もっともその頃は、変だとは思っていたが、赤春を疑うまでには至らなかった。単にいじめられっ子で、見るからに貧弱そうだから売れないだけだと思っていた。しかし、警戒心だけは抱いた。やはり赤春はある意味ではただ者ではないのかもしれない、と。
「あの臆病者は、情けない奴だが、知恵だけは持っている。上手い具合に使っていけば、役に立つぜ」
そう言ったのは黒夏だった。彼は何も疑わず、赤春をそんな人間だと認識していたようだった。白秋はそこまで単純には捉えなかったが、やはり同じ様に赤春を使おうとは思っていた。赤春の、異常なまでに優れた思念伝達能力は、明らかに利用価値がある。或いはそれは、自分が幼い頃に尊敬した存在を、どんな形でも良いから、肯定づけたかったからこそ芽生えた思いだったのかもしれない。
そんな頃、赤春は奇妙な話を白秋にし始めた。金の話だ。白秋は金に強い興味を持っている。金の話なら、進んで聞く。赤春に依ると、お金とは循環しているものらしかった。
“無駄な労働力があったとする。その労働力を使って、何か生産物が生まれれば、そこに新たなお金の循環が生まれて、経済は発展をするのだよ。つまりは、お金というのは循環する事で成り立つものなのだね”
赤春は白秋にそう語った。
“さて。と言う事は、一部にそのお金が集まって停滞をすれば、それが原因で不景気を招き、やがては経済恐慌に陥る。貧富の差が拡大して、富める者達の元にお金が死蔵され過ぎれば、経済は委縮するんだ。
しかし、これは逆を言えば、お金という形で集中させなければ、不景気を招くとは限らないとも言える。こいつを上手く利用すれば、上手く経済を成長させながら、自分だけは富を得られる仕組みを作れるんだ……“
白秋は赤春のその話に惹かれた。金。金持ちになりたい。否、富める者になりたい。そして更に、その時に赤春は、白秋にその“幻生”の異能の利用価値についても語って聞かせたのだった。
“その君の能力は、社会全体のお金の動きを観るのに都合が良い。その流れを読んで、利益を得るのに使えるぞ”
その話を聞いた頃、白秋はまだ明確にはそれをイメージできていなかった。しかし、それでも白秋はそれを忘れる事ができなかった。何度も反復して、その話を思い出していくうちに、白秋はそれを理解し始める。そして、“幻生”の異能も彼は磨いていった。それが大きな武器になると、赤春から教えられていたからだ。初めは、赤春から教えられた事をそのまま信じていただけだったが、やがてはその価値を本当に自分の中に受け入れていった。
今にして思えば、それは赤春から訓練されていたのかもしれない。使っているつもりで、使われていたのは、実は白秋の方だったのかもしれなかったのだ。
“――ここから先は取引だよ、白秋”
彼の“幻生”の異能が充分に育った頃の事だった。ある日、白秋に赤春はそう告げた。白秋が“富を得る”という事に執着をしている点を見抜いていたのだ。否、或いは、そうなるように赤春が白秋を促していたのかもしれない。
それまで白秋は、外に売られたら、自分の幻生の異能を使って、何とか外の人間達の誰かを籠絡し、金稼ぎの道を見つけようと、漠然と考えていた。権謀術数、話術の類は、人間牧場の中で、管理者達や同僚相手に磨いてきた。成功させる自信が彼にはあった。しかし、その時聞かされた赤春の提案は、明らかに自分のそれよりも魅力的だった。
“七つ子教という宗教がある。この宗教には童子信仰があってね、君はそこの御神体にピッタリだと思うんだ。しかも、この宗教はただの宗教じゃない。そのバックには、黒磐という名の政財界の大物がついている。公表できない理由有りでね。この黒磐氏はここで児童に性的虐待をしているんだ。これを上手くネタに使えば、君なら莫大な利益を得られるだろう……”
赤春は白秋にそう語った。そして、こう続ける。
白秋が人間牧場を脱走する手伝いもする。その後で、人間牧場は警察や検事に摘発をさせて潰すから、組織から追われる心配もない。白秋さえ、この提案を飲むのなら充分なサポートをしよう。その代わり……
“……原子力産業を潰す為に、力を貸してくれ”
赤春は彼にそう取引を持ちかけたのだ。
つまりは、白秋の計画の大半は、元は赤春のものだったという事になる。それから白秋は、計画通りに人間牧場を脱走し、七つ子教の御神体となった訳だが、しばらくして冷静になり、赤春に恐怖心を抱くようになったのだった。
何もかも、赤春の計画通りに進んでいる。これは、偶然とは思えない。
昔から、異常に優れた思念伝達能力により、赤春は人間牧場の外の世界と繋がりを持っていた。あいつが売られなかったのは、いじめられっ子だったからじゃなくて、その力を使っていたからではないか。そして、何故、宣言通りに人間牧場を潰す事ができたのか。何処まで、人間牧場の矮躯童人達は、あいつに操られているのか。もしくは、自分も操られているのか。もしも、操られているのだとすれば、今も継続している可能性があった。
一体、何を目的にしているか。
それが一番分からない。いつでも人間牧場を潰せたとするのなら、どうして長年、その中で辛い立場で暮らしていたのか。
考えれば考える程、白秋は赤春の存在が不気味に思えてきた。
――できるだけ、あいつとは関わらないようにしよう。
そして、白秋はそう決めたのだ。
彼自身は認めようとしないだろうが、白秋は赤春に強いコンプレックスを持っていた。そして、ほぼ恐怖心とも呼べるほどのそれは、彼の行動に色濃く影を落としてもいたのだ。




