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十八、黒夏は世界の全てを憎悪していた

 自分の能力を全て明かすのは、愚策だと言ったのは、確か赤春だったと思う。白秋じゃない。

 黒夏はソファに寝転がっていた。腕を組んで頭の後ろに回して、枕にしている。そして少しばかり考え事を。

 赤春の情けない顔を思い出す。見ているとイライラして来るような表情。ただの臆病者にしか思えない。しかし思念伝達能力で会話している時のあいつは、普段のそれとは印象が全く違っている。黒夏もその点には気付いていた。

 “もしかして、白秋の奴は、赤春のあれを気にしていたのか?”

 赤春の警告を聞いていたお蔭で、黒夏は色々と助かっていた。そして、今回もそのお蔭で上手くいきそうだった。脅して知恵を出させていると黒夏は思っていたが、考えてみれば離れて暮らしている自分を、赤春が恐れる必要はない。

 “いや、あいつはかなりのチキン野郎だから、それでも効果があったのかもしれない。もし、また会ったらどうしよう? とか、不安になってよ。

 恐怖は人間から正常な思考能力を奪うんだ。だからオレは、あいつを脅し続けたのだし”

 そう思ってから、黒夏はテーブルの上に置いてある写真を手に取った。豪華な部屋が写っている。ベッドには、老翁の姿が。醜悪な老人だと黒夏は思う。先入観があるからそう思えるのかどうかは分からないが。

 その老人の名は潮田龍一。今黒夏が所属している暴力団の上層部と深い繋がりのある実力者の一人だ。自分の組織以外に対して、強い影響力を持つ一人でもある。そして、矮躯童人に偏見を持ち、毛嫌いしているらしい。しかも、その理由というのが、アメリカが矮躯童人に関与しているという噂を信じてというのだから、馬鹿馬鹿しい。この男は典型的な国粋主義者で、戦争で日本を負かしたアメリカを憎悪しているらしいのだ。矮躯童人を嫌う彼は、だから黒夏にとっても実は邪魔な存在である。

 “ま、確かにぶっ殺してやりたいジジィだけどよ”

 そして、この老人は、冬を転売した暴力団とも何らかの繋がりを持っているはずだった。そういう意味では、黒夏にとっての敵の一人でもあるのだ。

 黒夏はそれから写真の裏を見てみた。そこにはその老翁がいるだろう住所が書かれている。しかも、人間牧場出身者にしか分からない文字化け言語で、まるで落書きのように雑に書かれてあるから、これなら他の者が見ても読めないし、疑われもしないだろう。“懇切丁寧だな、白秋の野郎”。黒夏はそう思う。実は、この写真は白秋から渡されたものだったのだ。思念伝達能力を使って、住所を伝えてこなかったのは、やはり白秋が赤春を警戒しているからなのかもしれない。

 “しかし、白秋の野郎、オレの能力が遠距離にも有効だって知っていやがったのか。そういや、人間牧場時代に何度かそんな事をやってみせたような気がする。で、赤春がオレにそれは隠しておいた方が良いと忠告してきたのだっけか。うるせぇな、とあの時は思っていたけどな……”

 人間牧場にいた頃、ある夏の日に、矮躯童人達の部屋にエアコンが効いていない事に腹を立てた黒夏は、管理者達の部屋のエアコンを、その加熱能力を使って壊した事があった。黒夏はそれを赤春や白秋に話したのだ。いい気味だ、と。それで、二人とも、黒夏の能力が広い適応範囲を持つ事を知っている。

 黒夏のいる場所から、潮田龍一のいる場所まで数十キロ。この程度なら、充分に黒夏の能力の適応範囲だった。後は、何かしらイメージできる材料さえあれば、黒夏は能力を発動できる。

 エアコンを壊した時、赤春は黒夏に、情報は開示した方が効力を発揮する場合もあるし、隠しておいた方が効力を発揮する場合もある、とそうアドバイスをしていた。そして、いくら腹が立ったと言っても、管理者達に遠距離の加熱が可能だと知らせるのは愚策だと、いざという時の隠し玉に使うべきだとそう忠告をして来たのだ。それを覚えていた黒夏は、だから“怪力と加熱という能力を持っている”という情報だけは開示して暴力団を脅し、“遠距離にも加熱が可能”という情報は隠して、暴力団を欺くのに用いていたのだ。

 だから、潮田を黒夏が加熱能力を使って殺しても、まず黒夏は疑われないだろう。そもそも暴力団員の中でも、黒夏の加熱の能力を知っている者は少ないのだ。気付くとしても火田くらい。しかし火田は、きっと気付いていない振りをする。黒夏はそう判断していた。あの男は、忠誠心など持っていない。ただ打算的にビジネスの事をだけを考える。矮躯童人を毛嫌いする潮田は、火田にとっても邪魔な存在だから、消えてくれた方が良い。

 写真と住所。時間帯は、夜中の十二時から朝までの間。その間なら、ほぼ確実に潮田はベッドの上で眠っている。それだけの情報があれば、黒夏にはこの老翁の暗殺が可能だった。ただし、暗殺は黒夏への依頼内容ではなかったのだが。

 初めの調査依頼で、黒夏が調べて提供した情報を元に、白秋が何をやったのかは分からない。しかし、それから白秋のいる組織が潮田に交渉を行った事を、黒夏は知っていた。失敗に終わったらしいが、白秋の計画がそれだけとは思えない。

 “で、次のこの依頼か。このジジィの脳の一部を焼いてくれ、か。殺しちゃいけないってのが、面倒くさいよな”

 そう。何故か、白秋は黒夏に殺しはしないでくれと強調したのだ。ただ、脳の一部を焼いてくれ、と。

 “あいつにとって、このジジィが邪魔だってなら、殺しちまった方が手っ取り早いじゃねぇか。

 ま、殺さない方がオレが疑われる可能性は減らせるかもしれないか……。オレなら、殺すからな。どうでも良い事だが”

 時刻はそろそろ十二時を回ろうとしていた。

 “そろそろ、か”

 と、黒夏は思う。

 この依頼を黒夏がこなせば、白秋は冬を救ってみせるとそう言っていた。会わす事が可能かどうかは分からないが、冬の寿命を延ばす事は保証すると。終わったら、赤春にでも確認してくれと。

 “冬が救えるのなら……”

 と、黒夏は思う。

 どんな手段で、白秋が冬を救うつもりなのかは、見当も付かないが、もしそれが本当ならば、もう彼には、暴力団組織にいる必要がなくなる。だから、もしこの潮田への犯行がバレて、暴力団から追われる立場になったとしても、否、例え殺されたとしても構わない。黒夏はそう考えていた。

 “どうせ、オレの方法だと、あいつは絶対に悲しむだろうしな……”

 黒夏は目を閉じた。もしも、オレを騙していたら、白秋のヤツを殺すだけだ。そして、白秋から渡された写真の場所をイメージする。書いてある住所の方向に。

 熱。皮膚を焼く。頭蓋を焼く。違う。そうじゃない。脳を焼くんだ。もう少し奥。奥に進め。

 黒夏は感覚をイメージの中で操り、微かに伝わってくる感触と一致させていった。生身の人間の気配。雰囲気。生々しいそれを感じて、黒夏は少し吐き気を覚えた。相手を傷つけることに拒絶反応が生じた訳ではない。醜い憎むべき人間の体温に嫌悪感を覚えただけだ。

 “これだ”

 黒夏はそう思う。イメージが完全に一致した。潮田老翁の脳の中に、加熱するポイントを置く事に成功したのだ。後は力を加えるだけ。

 徐々に温度を上げていくと、微かに老翁の肉体が震えるのが分かった。

 “ケケケ…… 苦しんでやがる”

 黒夏はそう思う。

 こいつは、冬を苦しめた一人だ。一人だ。一人だ。

 そう思う事で、黒夏の憎悪は加速した。殺意。熱が更に上がる。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

 老翁の肉体が暴れまわっているのが分かった。苦痛に身悶えているのだ。もっと苦しめてやりたかった。しかし、黒夏はそこでふと我に返る。

 ストップだ。

 “グシャッ”

 そして黒夏は頭の中で、そう言葉を発して能力を切った。最後の言葉は能力を発動させる為に発した訳ではない。むしろ、その逆だ。殺してはいけない、という白秋との約束を守る為に、このままでは殺してしまいそうだった自分を抑える為に代替イメージをつくっただけだ。

 “さて。やったぜ、白秋よ”

 黒夏はそう思った。

 これから、どうなるんだ?

 そして、目を瞑ると続けてこう思った。


 ――多分、冬は悲しむな。


 それから黒夏は目に涙を浮かべた。流れ落ちるのが分かる。部屋の外では、誰かが騒ぎ始めていた。潮田が大怪我をした事が、もう事件として騒がれているのかもしれない。今、あの醜い老翁は、脳を焼かれて昏睡状態に陥っているはずだ。原因はまず分からないだろう。しかし、黒夏にはそんな事はどうでも良かった。思う。

 こんなオレを、冬は許してくれるだろうか?

 多分、許してくれるだろう。

 でも、だから。だからこそオレは、オレを許せないのかもしれない。

 眠ろうとしたが、黒夏は寝付けなかった。冬が自分を憐れんでいるような気がした。黒夏はそれから憎悪を覚えた。誰に対してのものなのか分からない憎悪を。それは自分自身に向かっているようにも、この世界全体に向かっているようにも思えた。

 黒夏は世界の全てを憎悪していた。

 冬を悲しめているのは、きっと自分なのだろう。

 それから枕に顔を伏せ、黒夏はまた泣き始めた。冬、オレを救ってくれ。どうか、お願いだ。オレを救ってくれ。

 その時になって初めて黒夏は気が付いた。救いたかったのは、冬ではなく、自分自身であった事を。

 黒夏は世界の全てを憎悪していた。

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