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十七、イモムシちゃんと赤春

 本当を言うのなら、僕には政財界に関わる仕事をする気なんてなかった。もっとも、では他に何かやりたい事があったのかと言うと、そんなものは全くなかったのだけど。

 家には財産があるから働く必要はない。ただ、毎日何もしないで遊んで暮らすというのも性に合わないし、それではいくら何でも情けなさ過ぎるから、何かしら働こうとは思っていた。具体的な事は何も決めていなかったけど、収入は少なくても良いから、落ち着いて気楽にできる仕事をしてみたいと漠然と考えて。

 そんな僕がどうして実業家みたいな真似をやり始めたのかというと、それはイモムシちゃんがそうお願いして来たからだった。彼女が、僕にそういう生き方を望んだのだ。

 彼女によると、矮躯童人は裏社会で利用されてきた経緯から、政財界と関わる事が多いのだそうだ。それで、自分の仲間達を探す為に、僕に政財界に入って欲しかったのだとか。僕はその話を信用した。僕とイモムシちゃんが出会えたのも、矮躯童人と政財界との関わりが深いからだろうし、筋は通っている。

 イモムシちゃんの頼みならと、僕は嫌いな勉強もがんばって、一応の経営ができるくらいの能力は身に付けた。そして、仕事上関わる人達から、少しずつ矮躯童人に関する情報を集めては、それを彼女に知らせていった。実際に会う事はできなくても、例の心の中に直接響かせる声で、彼女は他の矮躯童人達と会話をしているようだった。

 “ありがとう。自分の人生を変えてまで、アタシの為に”

 イモムシちゃんは僕にそうお礼を言った。それは白秋とかいう矮躯童人と会い、物価連動型国債を買う契約を交わして帰った後の事だった。白秋の印象を話し、君とはあまり似ていなかったと伝えると、彼女はそうお礼を言って来たのだった。

 それから僕はイモムシちゃんを抱きしめてベットに寝転んで、「どうしたの? 突然に、お礼なんて言って」と、そうそれに返した。

 それからは心の中でこう続ける。

 “気にしなくて良いんだよ。僕は僕の人生に、少しの期待もしていないから。死ぬまでの暇潰しみたいな僕の生活に、君は初めて色を与えてくれたんだ。君の為なら、僕は何だってやるよ”

 その後で彼女の顔を眺めてみると、少しだけ彼女は悲しそうにした。

 “どうしたの?”

 と、問いかける。彼女は何も返さなかった。それでふと思い付いて、僕はこう言ってみた。

 “もしかして、やっぱり、今日会った白秋を、イモムシちゃんは知っていたの?”

 イモムシちゃんは黙ったまま、頷く。

 “――昔の友達なの”

 僕はこう返す。

 “昔の友達が、何か悪い事をやっているのが悲しいのかな?”

 それには彼女は首を横に振った。

 “違う”

 “じゃ、何が悲しいの?”

 僕が見つめると、イモムシちゃんは泣き出しそうな顔になってしまった。

 “あなたみたいな人を、白秋に関わらせてしまった”

 そしてそう言う。それを聞くと、僕は軽く溜息をついてこう言ったみた。

 “僕のことなら気にしないで、自分の身くらい自分で護ってみせるから”

 しかし、イモムシちゃんはそれでもやっぱり、首を横に振るのだった。

 “ううん。そうじゃない。アタシが悲しいのは、そういう事を心配しているのじゃないの。

 上手く説明はできないのだけど、この世界が悲しくて……”

 その返答にまた僕は軽く溜息をついた。よく分からないけど、彼女が苦悩しているのは嫌だ。

 “あの白秋は、どんな奴なの?”

 “お金が好きで、知恵が働くわ。それに、幻を創る能力も持っている。しかも、普通の幻じゃなくて、人間関係を表した幻……。それと、彼は兄を知っている。そのうちに、兄と繋がると思う……”

 僕はその彼女からの返答を不思議に思った。

 “お兄さんって、前に言っていた優しいお兄さん?”

 “うん。今は怒りっぽくなっちゃてるみたいだけど…”

 僕はその話をしながら、こう思っていたんだ。

 どうして、イモムシちゃんは、そんな事まで知っているのだろう?

 そして、そう思ったら、どうして彼女が僕が政財界に入る事を望んだのか不思議に思えてきた。

 “どうして、お兄さんがその白秋と繋がると思っているの?”

 “きっと、白秋は兄を利用したいと思うだろうから”

 僕はそこまでを聞くと、またイモムシちゃんのことを抱きしめた。今度は強く。

 “何か君は、その白秋のことを悪く言っているみたいなのに、少しも憎んだりしていないように思える。何故だろう?”

 “白秋は悪くないの。いいえ、そもそも悪いとか正しいとかの話じゃないの。それは、単にこの世界が悲しいというだけの話で…”

 僕はそのイモムシちゃんの様子から、他の矮躯童人達との情報交換で、彼女が何かを知っているとそう考えた。別にそれ自体は悪い事ではない。ただ、僕はそれで彼女の事が少しだけ心配になったんだ。彼女がもしも、何かに利用されていたら……。いや、やはり単に嫉妬していただけかもしれない。


 ある日、矮躯童人の情報を集めているうちに、僕は赤春という名の矮躯童人の存在を知った。

 その矮躯童人は人間牧場から発見され、今は女検事と同居しているのだという。気になるのは、その赤春がコミュニケーションの幅が広く、様々な矮躯童人達、或いはそれ以外の人間達と情報を取り合っているという点。

 その情報を提供してくれたのは、情報屋をやっている矮躯童人で、僕が冬… イモムシちゃんと一緒に暮らしていると伝えると、赤春の存在を教えてくれたのだ。もっとも、料金は発生したけど。

 それはどうやら、裏社会に生きる一部の矮躯童人達しか知らない事実だったらしい。その中でも、赤春を警戒している人間は、それほど多くはないが、その情報屋は疑っているのだとか。

 『それが奴の手なんだよ、きっと。自分は安全だと思わせる。だが、あれだけコネクションがあってしかも働きかけもしているのに、何も目的がないなんて、有り得ないと僕はそう考えている。情報屋をやっている僕は、情報の重要性を熟知しているから、よく分かるんだ。

 あんたが何故、冬と一緒に暮らしているのかは分からないが、警戒しておいた方が良い。冬を通して、赤春にあんたの情報がいっている可能性もあるぞ』

 その説明で、僕はその赤春とやらが気になり始めた。僕にもイモムシちゃんの心の声を聞く事ができる。ならば、或いは、イモムシちゃんと通じている時、イモムシちゃんの存在を介して、今までにも僕は赤春の存在を感じていたのかもしれない。気付かなかっただけで。だからこそ、こんなに気になっているのかも。

 そう考える。

 それから赤春の存在を忘れられなくなった僕は、女検事の住所を密かに突き止めた。イモムシちゃんには隠れて、こっそりと。

 その衝動のほとんどは、醜い嫉妬心だった。ただし、わずかにだけ、それとはまた違った何かよく分からない感情が僕の中に渦巻いているのを、僕は自覚してもいたのだけど。何故か僕は赤春に惹かれていたんだ。

 女検事がいない時間帯を狙って、僕は赤春の暮らすマンションを訪問した。彼が常に家の中にいるというのは、リサーチ済みだった。ポケットの中にはナイフを忍ばせている。使うつもりはなかったけど、赤春を実際に見れば、どうなるかは分からない。

 チャイムを鳴らしてから、少し待たされた。三分ほど経った頃に、インターホンから声が聞こえる。とても小さな気の弱そうな声だった。意外に思いながらも、警戒心を抱かせないのが赤春の手だという情報屋から聞いた話を思い出して納得をした。これは、演技なのかもしれない。

 僕の名を名乗ると、何故か彼は「なるほど」と言った。そして、少しの間の後に、ドアが開く。

 「入ってください」

 そこには気の良さそうな、子供の姿をした男が立っていた。少し怯えた表情で僕を招いている。それから僕の心の中に声が響いた。

 “僕の名は赤春。君の処にいる冬とは、人間牧場時代からの知り合いです”

 軽く頷くと、僕は声を出してそれに返す。

 「知っているよ。だから僕はここに来たんだ」

 口を開いて声にしたのは、心の中の声は、イモムシちゃんとの間以外では、使いたくなかったからだ。それは僕にとって、彼女との特別な“繋がり”を意味する。僕は彼の家の中へ足を進めた。僕が部屋に入ると、赤春は何故か、嬉しそうな顔をした。

 「やっぱり、イモムシちゃんと繋がりがあったんだな」

 居間で落ち着いた後、僕がそう言うと、赤春は心の中の声でこう返した。

 “ええ。今でもよく話しています”

 その言葉に僕は怒りを覚えた。分かっている。嫉妬だ。

 「彼女と何を話している?」

 “色々と”

 僕はそれを聞くと、叫んだ。

 「彼女は苦しんでいる! お前の所為だな!」

 そしてナイフを取り出した。そのナイフに、赤春は怯えた顔を見せた。なのに、心の中の声は少しも動揺しているように思えない。毅然として、こう返す。

 “そうとも言えるかもしれません。でも、彼女を悲しめているのは、この世界そのものですよ”

 「何を馬鹿な事を……」

 彼女もそんな事を言っていた、と思いながらも僕はそう返した。赤春は、淡々とこう言って来る。

 “僕は情報を伝えているだけだ。その判断の自主性は、飽くまで彼女自身にある。つまりね、彼女が勝手に悲しんでいるだけなんですよ。僕が悲しませているのではなく。そして、彼女は彼女の判断で行動している”

 彼女が悲しむような情報を与えているのは、お前だろうが! その返答を聞いて、思わずカッとなった僕は、ナイフを彼に刺そう向かっていった。しかし、そこでまた赤春の声が。

 “あなたが警察に捕まったら、イモムシちゃんは恐らく、とても辛い目に遭うでしょうね。誰からも世話をされず……”

 その言葉に僕は止まった。それから赤春は淡々と続ける。

 “落ち着いてください。この僕を殺しても、僕の存在の本質は消えはしませんよ。そして冬の悲しみも消えない”

 何を言っているのかは、やっぱり分からなかったけど、でも何故か、僕にはその言葉は正しいように思えた。僕はナイフを仕舞う。また同じ事をしそうになるのを、防ぎたかったのかもしれない。

 僕の衝動が治まったのを見抜いたのか、それから赤春はこう言って来た。

 “ねぇ、あなた。イモムシちゃん… 冬を助けたいとは思いませんか? 内臓がいくつか片方だけになっている彼女は、このままでは長く生きられないでしょう。実は僕には、彼女を救う案があるのですよ…”

 それから赤春が語るその内容は、僕にとって魅力的な提案だった。赤春へ醜い嫉妬を抱いていたはずなのに、僕は何故か彼の提案を落ち着いて聞けていたし、しかも、受け入れられてもいた。だけど、その時僕は、赤春には何か目的があるというあの情報屋の言葉を思い出してもいた……。

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