十五、白秋の計画1
“――この、老害ジジィが”
顔を引きつらせながら、堺ツユはそう思った。目の前には、潮田老翁及びに、その部下達が揃っている。自分は一人だ。厳つい表情。威厳を感じる。もっとも、そんなものの実存をツユは信じていなかったが。そういったものは、悉く演出の類だ。しかし、その演出は効果的でもあるのだが。
この潮田という老翁は、原子力産業においてかなりの影響力を持っている。そして、日本の核武装を夢見る一人でもあった。だから彼は、再生可能エネルギーの開発に反対の立場を取っていた。その状況打破の為に、ツユは老翁との交渉に臨んだのだ。しかし、それは上手くはいっていない。彼女は不利な状況に立たされていた。
交渉には、会場の雰囲気作りからしなくてはならない。しかし、この老翁は、それをやらせてはくれない。児童買春の顧客リストにないから脅せないし、自分達のバックにいる黒磐とも対等か、それ以上の権力を持っているから圧力もかけられない。実はこうして交渉の場を設けられただけでも、奇跡的だった。だから、逆にツユが交渉に不利な会場設定を強要されている。そんなものに気圧されるツユではないが、少なくとも優位に立つ事は難しい。海千山千。
――やっぱり、相手にしたくはない。
潮田龍一が口を開いた。
「私には、お前らの計画を認めるつもりなど毛頭ない。もしも進めるというのなら、邪魔をするまでだ」
ツユと白秋の計画を実現する為には、この老翁を説得しなければならなかった。ツユは言う。
「再生可能エネルギーを推進したとしても、原子力産業を潰すつもりは、私共にはありません。それどころか、協力をする用意すらあります。
それに、潮田様の目的は、核兵器を保有する事。つまりは日本の核武装です。その為には、必要最低限の原子力さえあれば充分でしょう。いえ、それどころか、量を製造すればそれだけ国防は難しくなります」
老翁は首を横に振る。
「信用はできんな。お前のような小娘なんぞを、どう信用すれば良いのだ? 大体、女なんぞに男のような仕事ができるものか」
性差別的発言。苛立ちを覚えたがそれを呑み込み、ツユは軽く頷いた。否定はいけない。否定は反抗を意味する。肯定しつつ、議論を有利な方向に誘導する必要がある。
「確かに、心中はお察しします。ただ、私は女とは言っても、幾つも交渉を成功させていますし、取引をするのは、飽くまで私共の組織でして……」
「だから、そもそも、お前らの組織が信用ならんのだ。隠しているつもりだろうが、知っているぞ? お前らのトップにいるのが、アメ公によって生み出された家畜だという事を。何故、家畜などがトップなのだ。正直、話をするのも不快だ」
それが白秋の事を言っているのは明らかだった。この老翁は、矮躯童人を毛嫌いしている。だからこそ、この交渉の場にはツユしかいないのだが。潮田は、そもそも古臭い差別的な考えの持ち主なのだが、それに加えて日本を負かしたアメリカを、酷く憎悪してもいた。戦前の生きる亡霊のような人間なのだ。そして、アメリカの手によって矮躯童人が家畜化され続けているという都市伝説を信じてもいた。
馬鹿だと思う。理論的思考能力がない。ただし、それでも権力争いには優れ、かなり巨大な影響力を持っている事は事実だった。だから余計に性質が悪い。一度、敵視されると、思い込みで行動し続ける。しかも、強引。理に適った交渉ができないのである。
その老翁の怒ったような表情と、自分の周囲をまるで番犬のように無言で囲む老翁の部下達を見て、ツユは心の中で軽くため息を漏らした。
“こりゃ、駄目だわ……”
もっともそれは、交渉の席に着く前から予想していた事ではあったのだが。ツユは一応、こう言ってみる。
「それは誤解です。白秋はトップに座っている訳ではありません。飽くまで、上にいる人間の一人というだけの話で…」
そう言いながら、ツユは白秋が初めて七つ子教に来た時の事を思い出していた。“と言っても、確かに実質、あいつがトップみたいなもんなんだけど。私を数えるとしても、ツートップか”と、心の中で呟く。
“……あいつは、実際、上手くやったもんだわ”
白秋が七つ子教にやって来たのは、7年前の2005年。ちょうど次の御神体を決めるタイミングの頃だった。そのしばらく後に、“人間牧場の摘発事件”が起きたのだが、それは、今にして思えば偶然ではなかったのかもしれない。白秋は多くを語らないが、初めから仕組まれていた可能性が大きい。
「――奇跡を起こしてみせる」
白秋はそう言って七つ子教に現れた。ツユはそれを聞いた時、胡散臭いとそう思った。奇跡だなんだの演出に頼るのは、よくある新興宗教の手の一つだったからだ。
七つ子教の信者の一人が、顔色を変えて本部の上層に次の御神体に相応しい子共がいると報告をして来たのが、全ての始まりだった。もちろん、その相応しい子共こそが白秋だったのだが。その頃、ツユは巫女の間ではそれなりの人望を得ていたが、まだ組織の経営に口出せるような立場にはなっていなかった。まだ中学生だったのだから、無理もない。
組織の人間達は、その真偽を見極めようと、大勢を集めその前で「奇跡を起こしてみせろ」と白秋に迫った。それは白秋の思惑通りの展開だったのだろう。白秋は、大勢の前で奇跡を体現し、その演出によって御神体の立場を確固たるものとするつもりでいたのだ。集団心理。その中で意識が固まれば、それは固定化される。容易には覆らない。白秋はそれを狙っていたのだ。
その場で、白秋は幻を創り出した。たくさんの白い光を帯びたような、煙のような子供の姿をしたもの達。白秋はそれを自分の近くに居させるだけでなく、放って、会場の人間達の間を縫わせた。それに対し、会場の人間達は様々な反応を見せたが、驚愕し感動していた事だけは共通していた。目を丸くし触ろうとする者や、おぉという感嘆の声を上げる者、中には失神してしまう者すらもあった。恐らく白秋は、七つ子教内の人間達の関係性を、そのまま幻にしたのだろう。
その幻に触れる事ができたのは、白秋だけだった。そして、時間が経つと、その幻は白秋に近い形になっていった。それを見ていた白秋が、口の端を歪めて笑ったのをツユは見逃さなかった。それでこう判断したのだ。この子共が見せているものは、トリックではないにしても、神聖な何かが起こした奇跡などではない、と。
――この子共は怪しい。
何か目的があって、御神体の位置に着こうとしているはずだ。それが何かは、全く見当も付かないけど。
そう疑念を抱いたツユは、だからそれから、常に白秋を監視し続けた。彼が正式に御神体になってその発言力を発揮し始めると、更に彼を警戒した。
実は、聡明な彼女は、七つ子教がその裏でスポンサーとも言える黒磐氏に対し、性サービスを提供している事に気付いていたのだ。もちろんそれは、彼女自身がその犠牲者の一人だったからに他ならない。薬で眠らされる程度では、簡単に異変に気付く。頭が良ければ、その前後関係から推理ができる。回数が少なければ、気付かなかったかもしれないが、彼女は黒磐氏の“お気に入り”の一人だったのだ。いつしか彼女は、白秋がそれを調べに来ているのだと、そう考えるようになっていた。それで何をするつもりかは分からない。が、もし世間に公表されれば、組織の経営は成り立たなくなる。
何とか止めなければ。
しかし、ツユは白秋を警戒するように訴えかけはしたが、その自分の具体的な考えを誰にも言わなかった。組織の秘密を自分が知っていると伝える事にも、また危険性があったからだ。自分の方が、潰されてしまうかもしれない。そして彼女は、彼女にしては軽率な、単独で白秋に対抗する行動を執ってしまったのだった。
夜中。白秋の寝床に忍び込むと、ツユは小声でこう言った。手には護身用のナイフを持っている。更に傍には、ウーの母犬に当たるシッペイという犬を連れていた。シッペイも彼女に非常に良く懐いていた。
「お前の目的は何? なぜ、内部の情報を知っているの?」
白秋の行動と言動から、七つ子教の情報を、既にある程度得た上で、白秋が組織に近づいた事をツユは見抜いていたのだ。
「何の話?」
白秋は声がかかっても物怖じせず、そう返した。
「惚けるな。お前が、この宗教の秘密を探っているのは知っているのよ。世間に公表するつもりでいるのかしら?」
その質問に、白秋は止まった。少しの間の後で返す。
「なるほどね。君は、この宗教が行っている児童買春を知っているって訳かい。でも、おかしいな。それなら、逆にこの宗教を恨みそうなものだけど……」
ツユはそれに淡々と返す。
「ふん。肉体くらいで、何を騒ぐ必要があるのよ? あたしはもう貧乏暮らしなんてしたくないの。あのジジィの支援がなくなったら、あたし達の生活はどうなるのよ?」
「アハハハハ」
それを聞くと、白秋は笑った。
「面白いね、君。でも安心してくれ、ボクはこの宗教を壊すつもりはないよ。それどころか、金稼ぎに利用するつもりでいる。その為に御神体になったんだ」
ツユはそれに訝しげな声を上げる。
「宗教経営で、儲けるつもり? 断っておくけど、うちの宗教は、宗教としてはそんなに人気ないわよ」
「分かっているさ。そんな事をするつもりはないよ。ボクがやろうとしているのは、もっと大きな話……」
そう言い終えると、白秋は幻を創り出した。白秋とツユとの間にある関係性。漠然と形にならない何かが生まれる。白い部分と黒い部分と灰色の部分。大きなミミズかナマコか何かを思わせるもの。醜いとは言い切れないが、決して綺麗には見えない不気味なもの。そんなものがツユの目の前に沸き、そしてツユに触れ始めた。もっとも、触れられたという感覚は何もなかったのだが。
「ヒッ」
とツユは小さな悲鳴を上げる。しかし、何故か逃げ出そうという気にはならなかった。
「そいつは、今のボクと君との関係性を表現している。ボクが創る幻は、実は全てそんなものなんだ。それが君に触れ始めたのは、ボクが君を気に入り始めたからだね。ねぇ、君、金は好きかい?」
戸惑いながらも、ツユはそれにこう答えた。関係性って何だろう?と思いながら。
「好きよ。金は信用できる」
「良いね。気が合いそうだ」
少し笑う。すると、ますます、その幻はツユに擦り寄って来た。白秋は質問する。
「もしも、金が手に入るなら、オヤジやジジィとでも寝られるかな? しかも、意識がある状態で」
ツユは訝しく思いながらも、こう返した。
「だから、肉体なんていくら穢されたって何とも思わないわよ、あたしは。それよりも、良い暮らしがしたいの」
「オッケー。なら、良い話がある。協力してくれないか? 君はこれから、政財界の大物達と何度か寝るんだ。君は可愛いし発育も良いから、きっとよく指名されると思う。ただし、薬は使わない。連中には使っている事にしておくけどね。そして、君はできる限り多く奴等の弱味を握るんだ」
「何の話よ?」
「そのままの意味だよ。これから、黒磐のジジィだけにやっている児童買春をもっと展開させていくんだ。政財界の大物達を招く。もちろん、場所なんかは考えないといけないな。ま、その点はそんなに心配していない。どうとでもなるさ。君にそういう男達の相手ができるかな?」
それを聞くと、ツユは少しだけ怯んだ。そしてこう強がりを言った。
「金によるわよ、金に。でも、その程度じゃ、やる気には……」
「早とちりをしないでくれ。そんなものはただの布石だ。弱味を握るって言っただろう? それを利用して、もっと多く稼ぐ。断っておくけど、強迫して金を手に入れようなんて下策じゃないぜ。
因みに、もしこれが成功すれば、大金持ちになれる。一生、贅沢できるさ」
一生、贅沢…
子共だったツユはその言葉に惹かれた。孤児として、不幸な幼年期を過ごした彼女は、富に憧れを抱いていたのだ。
「分かったわ。協力してやってもいい」
それからツユがそう答えると、白秋が創り出した幻は更にツユの奥にまで触れてきた。そして、先まではなんの感触も感じられなかったのに、その瞬間に感触が。
驚く。気付くと、白秋が彼女に触っていた。
「何するのよ?」
そう彼女が問うと、彼はこう答えた。
「君の連れている犬の名前は“シッペイ”だったね。なんで、そんな名前を付けたんだい? しっぺい太郎の猿神退治。昔話だけど、猿神の人身御供にされる娘を救い出した犬の名前が、確かしっぺい太郎だった。君は本当は肉体を売られる立場から、救って欲しかったのじゃないか?」
「昔の話よ。もう慣れたわ」
「でも、まだ、意識のある状態じゃ、やった事はない」
そう言うと、白秋はツユの身体に熱心に触り始めた。それが何を意味するのかは、ツユにも簡単に理解できた。
「慣れてもらわないと困るんだ。騒がれると、計画が台無しになりかねない」
ツユはそれに抵抗しなかった。まだ覚悟ができていた訳ではなかったが、何故か白秋に触れられるのは苦痛ではなかったからだ。そして、そのまま白秋と最後までした。
それからツユは、白秋に協力をし続け、歳を重ねると共に、地位が上がり、いつしか宗教内の実力者の一人となっていた。もっとも、それは白秋の力のお蔭でもあったのだが。
「――駄目だったわよ、白秋。あの老害ジジィは説得できなかった」
潮田龍一との交渉が失敗に終わり、家に戻るとツユは白秋にそう言った。
「まぁ、仕方ないね。想定していた通りだ。あのジジィの家、ガードが硬過ぎで悪夢を見させる事もできなかったし」
白秋はそう返す。
「そろそろ、次の計画に移ろう。これからが、本番だ」




