十四、赤春のやり方
人権保護団体の人間と会っている最中だった。不意に、立石望はそのうちの一人から話しかけられた。初めて会う女性で、顔も見た事がない。気の弱そうなタイプに見え、勇気を振り絞って、声をかけてきたように立石には感じられた。
「あの、立石さん… あなたの事は、よく聞いています。できれば、お時間をいただけませんか? 少しばかり尋ねたい事があるのです」
どんな事情があるのかは分からないが、必死そうだったので断る訳にもいかず、喫茶店で軽く話をする事にした。
「それで何かしら?」
喫茶店でコーヒーを注文すると、立石はそう問いかけた。すると、その女性は多少、恥ずかしそうな様子で言い難そうにこう言った。
「あの… もしかしたら、変に思われるかもしれませんが…」
そこで言葉を止める。それから、思い直したような顔で、こう続けた。
「その立石さんは、人間牧場事件に関われたのですよね? その時に見つかった、矮躯童人の一人を保護していると聞きました。一応断っておきますが、別にその点を批判するつもりはわたしにはありません。家畜として扱われ、社会性を培わずに育った人を保護するのは道義上、許されるべきだと思います」
巷には、立石が赤春と生活している事を、矮躯童人をペット化していると批判している者が、少人数ながら存在しているのだ。それを彼女は気遣っているのだろう。それに立石はこう返す。
「確かに一緒に暮らしているわ。ただ、実は、保護と言われると私は違和感を覚えるのよね。確かに、初めはそんな感じだったけど、今は家事なんかをやってもらっていて助かっているわ。どちらかと言うと、対等な共同生活者といった感じ」
その立石の言葉に、その女性は軽く頷いた。もっともそれは、表の赤春の話だ。心の中の声で語りかけてくる赤春は、共同生活者とはとても言えない。では、何なのかと問われると答えようもないのだが。立石がそう思ったタイミングで、また女性は口を開いた。
「立石さんは、その、矮躯童人と関わるようになって、声を聞いたりした事はありませんか?」
その質問に立石は驚く。
「声?」
「はい。声です。と言っても、実際に音として聞こえる声ではなくて、心の中に直接響くような」
その言葉に立石は戸惑った。それは、明らかに赤春のテレパシー能力の事を言っているように思えたからだ。
「立石さんなら、知っているかもしれませんが、矮躯童人には都市伝説があります。テレパシーのような異能を持ち、それで会話しているという……。
もしかしたら、わたしはその声を聞いているかもしれないんです」
立石はその女性の訴えを聞いて固まった。なんと答えたら良いのか、判断が付かなかったからだ。すると、何を勘違いしたのかその女性はこう言って来た。
「すいません。変に思われても、仕方ないとは思っています。もしかしたらわたしは病気なのかもしれない。
ただ、実はわたしが人権保護活動をやっているのは、その“声”が原因でもあるんです。その声がわたしを導いたというか…」
その話に驚き、唾液を飲み込むと、立石はゆっくりとこう返す。
「いえ、変な事だとは思わないわ。そういう事は、あるものなのよ。そういう、不思議な出来事は」
そう言いながら、赤春の事を話そうかと悩んでいたが、何故か言葉として出て来なかった。
「それで、その声は、いつ頃から聞こえ始めたのかしら?」
その代わり、立石は気付くとそう質問していた。自分と同じかもしれないと興味を覚えたのだ。女性は少しだけ不思議そうな顔をする。言い訳をするように立石はこう返す。
「いえ、人権保護活動をやる切っ掛けになったのなら、若い頃から聞こえていたのかと、疑問に思ったものだから…」
この言い訳は少し苦しいと思いつつ、立石がその女性の表情を窺うと、迷ったような表情をしてはいたが、疑っているような素振りはなかった。
「多分、高校生の頃だったと思います。時期はそれほど明瞭には覚えていないのですが」
「それで、自分を探せとか、そんな事を言われたの?」
「いえ、ただ、その声は色々な事を教えてくれて、その中に人身売買の実態についての話もあったんです。それでわたしは、興味を覚えて、調べるようになって… 調べていた頃は、自主的にやっていたつもりになっていたけど、今にして思えば、あれは声に導かれていたような気がして…」
その話を聞いて、立石はやはり自分と似ているとそう思った。そしてほとんど直感的に、赤春の事は話さない方が良いと、彼女はそう判断したのだった。
もしかしたら、その“声”の主は、本当に赤春なのかもしれない。もし話せば何かが起こりそうな気がして、それが怖かったのだ。そのまま、女性はその声について話したが、立石は最後まで赤春の事は伏せたままにしておいた。ただし、聞けば聞くほど、その正体は赤春のような気がしてならなかったのだが。
立石はその女性と別れてから、その事について少しばかり考えた。
“なんで、その可能性を考えなかったのかしら?”
そして彼女はそう思う。
自分と同じ様に赤春が働きかけをしていた人間が、他にもいる可能性を。もしかしたら自分は、赤春にとって数多くのうちの一人に過ぎなかったのかもしれない。いつの間にか、自分の中で赤春と巡り逢ったのは、唯一無二の運命のような気になっていたけど、本当は、そんなものではなくて…
“もしかしたら、これが赤春のやり方なのかもしれない…”
立石望は、その時に感じた疑問を消す事ができなかった。そしてだからこそ、彼女は独自に調査を始めたのだ。赤春が何をやっているのか、何を狙っているのか。それを確かめる為に。もちろん、それを赤春に知られてはいけない。取り敢えずの手掛かりとして、今噂になっている、政財界で暗躍する矮躯童人について彼女は調べ始めた。何故か、物価連動型国債を売り歩いているという…。赤春に結びつく、何かが出てくるかもしれないと考えたのだ。
赤春が自分に、物価連動型国債のメリットを語って聞かせたのには、何か理由がある。そう立石は判断していたのだ。
『――そいつは、多分白秋だな、検事さん』
そう声は響いた。何処から響いて来るのか分からない声。ただし、心の中に響く声ではない。その静かな声は、空気を震わせて伝わってくる音だった。ただ、前からなのか後ろからなのか分からないのだ。彼女の聴覚は混乱させられている。だから、彼の声だけではなく、他のあらゆる音が奇妙な響き方をしていた。
『悪いが姿を見せる訳にはいかない。僕としても、自分の身を護らなくちゃならない。情報屋ってのは、その素性を知られる訳にはいかない生業だし、それに、矮躯童人である僕は、ただでさえハンデを背負っているんだ。警戒は必要以上にする。
断っておくけど、僕の姿は、探しても見つけられないよ。そして、声の発生源も分からない。それが僕の能力なんだ』
駅の広場。ベンチに腰を下ろして、立石望はその声を聞いていた。実はその前に、彼女は姿を見ようと彼を探してみたのだが、無駄だったのだ。
『透明になるって訳じゃない。ただ、見ていても、人間に意識させないって事ができるんだ、僕には。カメラには映るけどね。もっとも、そんな間抜けはしない。携帯電話はしまってくれよ。撮られるのは避けたい』
その情報屋はそう説明した。
矮躯童人。政財界の情報。この二つのキーワードで調べていき、彼女はその情報屋に行き当った。矮躯童人である為に、裏での彼らの間だけでの情報にも精通し、政財界に関しても情報源を持つ情報屋。
「白秋ってのは、何者なの?」
小声で、そう立石は尋ねる。
『裏社会に生きる矮躯童人の一人。ただし、白秋は別格だな。大物だよ。君の所の赤春と同じくらい、いや、場合によっちゃ、それ以上の大物だ。僕は人間牧場の出身じゃないが、それくらいは知っている。何しろ、あいつは異能を持つ矮躯童人達を集めて雇っているからな、有名なんだ』
それを聞くと立石はこう返した。
「私の所に、赤春がいるのを知っているの? 彼が大物って?」
『赤春は矮躯童人の中で、最も多くのコネクションを持っている。桁外れだ。思念伝達能力に異常に優れ、裏の社会にも表の社会にも存在している矮躯童人達、或いは普通の人間達から情報を集められるし、働きかけもできるんだ。僕なんか、彼に比べれば、ほんの雑魚さ。
ただし、何を目的に動いているのかは、僕も知らない』
その返答に立石は止まった。少しの間の後で、こう問いかける。
「その白秋と、赤春はどんな関係なの?」
情報屋は淡々と答える。
『詳しくは知らないが、君が摘発した人間牧場の出身者だよ、二人とも。互いに利用し合っているのか、協力し合っているのかは分からないが、何かしら結びついているのは確かだろうね』
物価連動型国債を売り歩いていた、その白秋とかいう矮躯童人と赤春が結びついている?
立石はそれを聞いて迷う。
「その白秋は、何をやっている奴なの?」
そして、そう問いかけた。情報屋は少し笑うと、こう答える。
『なんとね、宗教の御神体様だよ。七つ子教とかいう。が、裏じゃもっと悪い事をやっているね。児童買春とか。僕はこいつには、近づきたくない』
「そいつの目的は?」
『金稼ぎ。目的については、それ以外は知らない。が、多少は何をやっているのか知ってはいるよ。実は友人が、こいつに一人雇われているんだ。同じ矮躯童人だけどさ。そいつには、人に夢を見させる能力があって、何故か、一部の官僚や政財界の大物に変な夢を見させるってな、奇妙な仕事をさせられているらしい。それで何をするつもりなのかまでは分からないが、どうも原子力産業にちょっかいをかけているらしいね。恐れ知らずさ。やっぱり、近づきたくない』
――原子力産業?
思いも寄らぬ単語が出てきた事で、また立石の頭は混乱した。情報屋は続ける。
『白秋ってのは、間違いなく凄い奴だよ。でも、僕は君の所の赤春も嫌だ。これは情報屋の勘だが、赤春は通常考えられているような情報操作とは別次元の方法で、情報を使って何かをやっている。
実はあちらこちらで、赤春の噂を聞くんだ。個別に見れば、大した事じゃないように思える。でも、それら全部を合わせると、何か重要な意味のある絵が浮かんで来るように思えてならないんだ。もちろん、僕だって断片的な情報しか知らないから、何とも言えないけど』
それを聞くと、つい立石はこう尋ねてしまっていた。
「赤春は、私に白秋についての話を少しだけしたわ。参考になる程度の話だけど。なんでだと思う?」
『そうだな。パッと思い付くのは、検事である君に、白秋を抑えさせるつもりなのかも。もちろん、今かどうか分からない。白秋が自分に危害を加えそうになったら、君を使って対抗するつもりなのかもしれない。単なる想像だけどね。
ただし、赤春ってのは、そういうやり方を使う奴だってのは確かだ。やっぱり、近づきたくはない』
立石はその説明に固まった。
――赤春のやり方。
情報屋は続けた。
『白秋の手段は、まだ想像がつくんだけど、赤春に関しては、本当に何をどうやっているのか分からない。だから、もし止めたかったのなら、本人を殺す以外に手段はないのかもしれないな……。
おっと、少し話し過ぎた。もう、料金以上に話している。悪いが、これで終わりにさせてもらうよ。あまり、喋り過ぎると、僕の身も危ないんだ』
その言葉に立石は慌てる。
「ちょっと待って」
『なに?』
少し心を落ち着けると、立石はこう心の中で念じてみた。
“これからも、偶にあなたと連絡が取りたい。こうして、心の中で訴えかければ、通じるかしら?”
それに情報屋は驚く。返答が来た。
“驚いたな。君も思念伝達を使えるのか。なるほど。赤春と結びついているのは、だからか”
“私にも矮躯童人の血が流れているのよ。もっとも、赤春以外とこれで話したのは、初めてだけど。それよりも質問に答えて。こうして念じれば、あなたと話ができる?”
一呼吸の間の後で、情報屋はこう言った。
“赤春の影響力の理由の一つがこれで分かったな。矮躯童人の血が薄い人間にも、働きかけられるのか…
うん。分かった。いいぜ。君とこうすれば話ができる。距離にもよるけど、よほど離れていなければ、平気だ”
それを聞くと、立石はこう返す。
“良かった。なら、これからも情報を提供して欲しいのだけど”
その質問には、情報屋は即答した。立石の依頼を予想していたのだろう。
“いいよ。思念伝達で会話できるのなら、リスクが少ない、良い取引だ。ただし、もちろん、情報料は貰うけどね”
“分かっているわ”
それから少しの間の後、立石の耳の混乱が治まった。情報屋が去ったのだ。赤春が何をやっているのか。赤春のやり方。彼女は更に不安を募らせていた。これで、少しは手掛かりを得た、と思いながらも。




