十三、黒夏との取引
黒夏が日本に帰って来てから、一ヶ月が過ぎた辺りの事だった。自分のノートパソコンのメールソフトを立ち上げると、そこに文字化けメールが入っていることに彼は気が付いた。最近では、スパムメールでも文字化けは珍しい。そこで、まずは違和感を覚える。そしてその次の瞬間には、思い出していた。元“人間牧場”の矮躯童人達だけに通用する“文字化け言語”を。
他の人間達にばれないように、自分達だけで連絡を取りたい時用に開発されたものだ。これなら、思念伝達を使えない者でも、秘密裏に連絡を取り合える。そして、彼はそこに自分の名を示す言葉が綴られているのを発見した。どうやら、自分宛てらしい。
“はっ 誰だ、馬鹿ヤロー。こっちは、もうそんな言語、忘れてるんだよ”
そうは思いながらも、黒夏は何とか必死にその文字化け言語を読む。時間はかかったが、その内容の大体は理解できた。
“送信者の情報は、地域しか書いてないな……。が、オレがヤクザのとこに行ったと分かっている奴で、こんな事をやりそうなのは一人しかいない。白秋か。まだ、七つ子教にいやがるんだな、あいつ”
そう考えた後で、黒夏は疑問に思う。
“だが、白秋だとするとおかしいな。あいつの思念伝達能力はかなり高かったはずだ。赤春でも利用すれば、オレと連絡を取るなんて簡単だろうが……
どうして、こんなメールなんて寄越したんだ?”
しかし、それからこう考え直す。
“ま、あいつは昔から悪知恵が働く奴だったからな。なんか考えがあるんだろう。さて、どうする? 無視しても良いが……”
それから黒夏は少し悩んでから、七つ子教に連絡を入れる事にした。赤春を頼り、思念伝達を使って直接白秋に問いかけても良かったが、白秋がそれを避けているのなら、合わせた方が良いだろうと考えたのだ。暴力団に知られる事を恐れて、外の公衆電話から七つ子教に電話をかけ「お前らの御神体の知り合いだ。黒夏と言えば、分かる」と伝える。少し時間はかかったが、白秋本人が出た。受話器の向こう側から、白秋は軽い調子で言った。
「よぅ、黒夏。久しぶりだな」
黒夏はこう返す。
「“久しぶりだな”じゃねぇよ。文字化けメールを寄越すなんて、手の込んだ事しやがって、何の用だ?」
「この電話、他の人間に聞かれる心配はあるか?」
他の人間というのが、黒夏の所属している暴力団の事を示しているというのは、明らかだった。それで、こう答える。
「ねぇよ。わざわざ、外に出て公衆電話を探してやったよ。大変だったぜ、最近は公衆電話もかなり減ってるんだ」
「フム」
それを聞くと白秋はそう言った。それから、しばらくの間ができる。黒夏は、白秋のこういった態度が昔から好きではなかった。フム。賢者を気取ったような喋り方。偉そうにしやがって。
“人間牧場にいた頃より、ずっと、増長してやがるな。やっぱ、御神体なんてもんになったからか”
なかなか、返答がないので痺れを切らし、早くしろ、と黒夏が言いかけたタイミングで、白秋は口を開いた。
「直接会って、話したいな。自由に出歩けるか?」
「大丈夫だよ。オレは組織の中でも、それなりの立場になっているんだ」
「だろうな。拘束なんてされていたら、お前はとっくに問題を起こしている」
白秋はそう言うと、「フフ」と笑う。何を笑ってやがるんだと、黒夏は思う。
「じゃ、会おう。もちろん、他人には知られないように、細心の注意を払ってくれ。早い方が良いな……」
それから白秋が日取りを決めると、黒夏はそれを承諾した。こいつは昔から、信用はできないが、使えはする。会っておいて、損はないだろう。そう思って。
東京の真ん中にある、古びたバー。営業時間外なのか、誰もいない。そこが白秋から黒夏が指示された面会場所だった。
奥に進むと、埃臭そうなソファに白秋が座っているのが見えた。「よぉ」と言う。隣には見慣れない女が。その女を一瞥すると、誰もいないカウンターの席に黒夏は無言のまま座った。距離を取りたかったのだ。白秋は何をするか分からない男だ。戦闘力では自分の方が遥かに上だが、油断はできない。幻を目くらましに使って、不意打ちを仕掛けてくるかもしれない。離れた所に座ったのを見て、黒夏が警戒しているのを察したのか、白秋は彼の顔を見ながら言った。
「そう警戒するなよ。昔からの仲間じゃないか」
黒夏はそれに笑って返す。
「仲間だ? オレはお前を仲間だと思った事なんて一度もねーよ。それより、どうしてわざわざオレを呼んだ? 思念伝達で会話すれば良いだろうが」
少しの間の後で、白秋はこう答える。
「それだと、赤春に聞かれるからな。あいつは信用できない」
「赤春だぁ? あんな弱虫を怖がるなんて、お前も焼きが回ったな」
それにピクリと白秋の隣にいる女が反応する。堺ツユだ。
「その赤春とやらが、仮に弱虫だろうと、情報が漏れる可能性はできるだけカットしておくものなのよ。それくらい、分からないの? よく暴力団でやっていけるもんだわ」
彼女にしては珍しく、白秋に気を遣ったのだ。白秋は赤春に対しコンプレックスを抱いている。それから彼女は、こう続けた。
「にしても、矮躯童人にしては珍しく背が大きいって聞いたから、どれくらいのものかと思っていたけど、やっぱり小さいじゃない。私の方が少し、大きいかしら」
それを受けて、黒夏は言う。
「白秋、なんだよ、この女は? お前の女か?」
それにツユは大きく反応する。
「冗談はやめてよ。こいつは、ただの金づる。ビジネスだけ。誰が、家畜のあんた達なんかと付き合うか……」
そこまでを言ったところで、黒夏はツユを睨んだ。ツユはその視線に悪い予感を覚える。次の瞬間、
「ヒィー」
ツユは悲鳴を上げた。顔を抱えている。
「なに? なに、これ? 熱いッ! 熱いぃ! 顔が熱いぃ!」
そしてそのまま、ソファの上を転げまわり始めた。白秋が叫ぶ。
「黒夏、やめろ!」
それを聞くと、黒夏は睨みやめる。それと同時に、ツユの叫び声も止まった。ただし、息は「はぁ、はぁ」と荒げている。黒夏はその異能により、直接、ツユの頭蓋骨の一部を加熱したのだ。黒夏は不敵に笑いながら、こう言う。
「少し口の聞き方を、教えてやっただけだよ」
ツユは少し落ちくと目を剥き「ウー!」と叫ぶ。バーの窓の外で、何か大きなものが動く気配が。しかし、それと同時に白秋が声を発した。
「ツユ! やめろ! ウーを殺されるぞ!」
それを聞くと、歯を食いしばって、彼女は「ウー、止まる」と言う。窓の外の気配は動かなくなった。
「お前、よくこんな女と一緒にやっているな」
そのやり取りの後で黒夏がそう言った。白秋は淡々と返す。
「彼女は口が悪いだけだ。発言に悪意や敵意はないんだよ。それに、ま、有能なもんでな」
黒夏はそれを聞くと「ハッ」と笑う。
「どうでも良いけど、早く用件を言えよ。オレは昔っから、そのお前の頭の良さそうな喋り方が嫌いだったんだ。話しているとムカついてくる。わざわざオレを呼び出したんだ、それなりの話じゃなかったら、お前ら二人とも殺すぞ。
オレにはそれくらい簡単にできるし、やるってこともお前は知っているだろう?」
白秋はそれに、「変わってないな、黒夏」と、そう返す。やや呆れながら。
「安心しろよ。ちゃんと、お前にとって利益になる話だ」
それから、白秋は黒夏をジッと見ると思念伝達を使って、こう言った。
“ボクは、冬の居場所を知っている”
それを聞いて、黒夏は明らかに表情を変えた。少しの沈黙の後に、こう言う。
“なるほど”
その態度の変化に白秋は満足をしたのか、笑みを浮かべると、こう続けた。
“ボクと取引のある金持ちの家で飼われているよ。どうだ? 赤春はここまでの情報を君に提供しはしなかっただろう”
もし仮に、黒夏が居場所を知っていたら、既に冬を取り戻そうとしているはず。白秋はそう予想していたのだ。
“冬は無事なのか? いったい、何処にいる?”
隠そうとしていたが、黒夏は明らかに必死な形相になっていた。
“居場所は簡単には教えないよ。この情報はボクの取引材料だからな。だが、安心しろよ。ボクの得た情報だと、今は大切に扱われているみたいだ。これは、赤春からの情報とも一致するだろう?”
赤春はそれくらいの情報は与えているはず。白秋はそうも予想していた。そうでなければ、黒夏は操れない。
ツユは二人の沈黙の間と表情の変化を受けて、“これは、例のテレパシーで会話しているわね”と、そう思った。文句を言おうかと悩んだが、先に頭蓋骨を焼かれた恐怖を思い出して、それをやめる。きっと白秋は、黒夏に警戒心を抱かせない為に、二人だけで会話をしているんだ、という判断もあった。
黒夏は少し顔を歪めると、
“だが、冬は、片方の目と、手足を全部取られ、内臓もいくつか欠けている”
怒りに目を燃やしながら、そう言った。
白秋は頷く。
“その通り。まるで、イモムシみたいになっている”
黒夏は何も言わなかったが、憎悪を溢れさせているのは明らかだった。白秋はそんな彼にこう続ける。
“お前は、冬を救いたいのだろう?”
その言葉に、黒夏は反応した。
“ボクが手伝うよ。ただし、もちろん、ギブアンドテイクだ。お前もボクに協力するんだ”
黒夏はそれを聞くと、頭に手をやる。
“なるほどな。お前らしい。確かにオレの利益になる話だった。乗ってやるよ、お前の取引。
だが、もし仮に裏切ったり、騙したりしたら、直ぐに殺すぞ? 分かっているな”
白秋は頷く。
“分かっているよ。ボクはビジネス絡みの約束は守るんだ”
それを聞くと、黒夏は笑った。
“はっ! てめぇは、相変わらず俗物だよな。金が、そんなに好きか”
“好きだね。全てだ”
白秋がそう言い終えると、黒夏はこう言う。満足そうに笑いながら。
“で、オレは何をすれば良い?”
白秋は答える。
“まずは情報が欲しい”
“情報?”
“原子力産業。お前んとこの、暴力団の上の方に、核兵器が好きなジジイがいるはずだ。名前は、潮田龍一。そいつと、その周辺の情報が欲しい。後は、その情報を得てからだな”
それを聞くと、黒夏は少し考える。その潮田という男がどんな人間かを思い出していたのだ。それから、
“いいだろう”
と、そう答えた。
“だが、冬のことを忘れるなよ”
白秋は頷く。
“ああ、こっちも準備しておくよ”
そうして取引が終わると、黒夏はそのバーから出て行った。
黒夏がバーから出た後、
「取引は上手くいったみたいだけど、二人だけで会話しているんじゃ、私がいる意味がないじゃない!」
と、ツユが文句を言った。黒夏にプライドを傷つけられたその八つ当たりがくると警戒していた白秋は、「すまないな」とそう返す。
「この距離の近さなら、平気だとは思うが、赤春に聞かれる危険性があったから、できるのなら思念伝達を使うのは止めた方が良かったんだけど、どうも黒夏が君を怖がっていたみたいだからさ」
白秋は“黒夏が怖がっていた”という言葉で、多少なりとも、彼女のプライドを気にかけたつもりだった。それに、ツユは大きく反応する。
「なによ、あの黒夏って危ない奴は! いきなり顔の中を焼かれるとは思わなかったわ。まだ、痛い!」
白秋は肩を竦める。
「だから、あいつの気性に関しては、事前に説明しておいただろう?」
「それ以上だったわよ。ほとんど、狂ってるじゃない。それに、何よあの危険な能力は! よく、あんなのが人間牧場で大人しくしてたわね」
「あいつの気性も、能力も、昔はそんなに危険なものじゃなかったんだよ。ただ、“冬”… あいつの妹が売られてから変わった」
「ああ、重度のシスコンだっけ?」
「そうだよ。とにかく、冬の居場所が偶然に分かったのはラッキーだった。普通に“協力する”と言うだけでも、効果はありそうだけど、少し弱いからな」
――まだ子供の頃、黒夏の性格は今よりもずっと穏やかだった。特に妹に対してはとても優しく、寒くなって来ると、彼は加熱の能力を使って妹を温めてやっていた。その頃は、怪力もそれほどではなかった為、異能とは認識されておらず、加熱の能力も非常に緩やかだった。湯たんぽ程度。
しかし、妹の冬が売られてから、黒夏は変わってしまった。
憎悪。怒り。
妹と別れた深い悲しみが治まると、次に彼を支配し始めた主な感情はその二つだった。そして、思念伝達能力に長けた赤春から、冬がどうなっていったのかを聞く度に、その感情は色濃くなっていったのだ。
……冬の内臓が取られた。
冬の手が取られた。
冬の足が取られた。
憎い。
と黒夏は思う。
憎い。
憎い。
憎いぃ!
彼の頭の中は、そのうち、狂気的な思考で満たされていった。そして、それが唯一の彼の生きるよすがになったのだ。
冬を苦しめた人間に復讐をし、冬を救い出す事。
苦しいだろう、辛いだろう、冬。絶対に、兄ちゃんが助け出してやるからな。待ってろよ、冬。冬。とても綺麗な、……オレの可愛く、憐れな妹。
憎悪と怒りの感情をたぎらせるうち、いつしか、黒夏は異常な怪力を発現するようになっていた。そして、その加熱の力は、物を燃やせるほどにまで成長していた。ある程度、能力が成長をすると、いつでも黒夏は人間牧場を抜け出せるようになっていたが、彼はそれをしなかった。
――冬を売ったのはヤクザだ。
彼は人間牧場の人間達を脅し、その情報を得ると、自ら暴力団に売られる事を望んだ。もちろん、冬を救い出す為に。同じ世界に入れば、冬と会う手段も見つけられるかもしれない。そしてその彼の命令通りに、人間牧場は暴力団に黒夏を売ったのだ。酷く安い値を付けて。
つまり、彼が暴力団に売られたのは、当初からの計画通りだったのだ。そしてそれには、赤春からの入れ知恵があった。
その後も、彼は赤春の協力を受けて、その計画を進めていた。冬を救い出す為。赤春が自分を操っているとは、少しも思わず。




