十一、捜査協力
私は間違いなく赤春との生活に安らぎを覚えている。
そう、立石望は思っていた。
もっともそれが、一体、どんな要因から生じている感情なのかを、彼女はよく分かっていなかったが。子供の頃から、彼女をサポートし続けた“正体不明の声”を発していたのが彼だからなのか、それとも単に赤春の穏やかで家庭的な性格の為なのか。
心の中の声で、赤春が立石に語りかける時、彼の人格は平素とは全く異なっている。いつもは自信なさそうにしているのに、心の中の声の時はとても頼り甲斐がある。毅然としていて理知的なのだ。この二つの“赤春”を、果たして自分の中で同一視できているのかすら、立石には分からない。もしかしたら、彼女の中で、この二つの赤春は別の存在になってしまっているのかもしれない。だからこそ、立石は赤春と一緒にいる時に感じる安らぎの正体を掴めずにいるのだが。
赤春が、立石に突然、情報を提供し始めた事があった。ある暴力団が、東南アジアに拠点を置き、矮躯童人達の人間牧場を作っているという情報。裏付けを取る為に調査したところ、その情報が正しいと思われる証拠がいくつも出てきた。彼女は、それを基に国際警察に協力を要請し、人体密売組織を追い詰める事ができた。もっとも、後少しのところで逃がしてしまい、数名の矮躯童人の救出に成功した他は、痕跡の発見くらいしか成果はなかったのだが。いや、その捜査により、暴力団の活動を制限できた事が、成果と言えば成果だったのかもしれない。
日本の暴力団が行っているとされる、その人体密売事業は、現地の貧困な女性を買って、矮躯童人男性の子共を産ませ、その子供を家畜化する事で成り立っていたらしい。賄賂で誤魔化しが効く、治安の悪い地域に狙いを定め、そこに施設を作って人間を“繁殖”させていたのだ。考えただけで、気分が悪くなる。
ほとんどの現地女性は、泣き寝入りしていたが、中には自分の子共を返して欲しいと訴えていた母親もいたらしい。だからこそ、その具体的な場所が発覚したのだが。金を貰って自分の肉体を矮躯童人の繁殖の為に提供しただけと、割り切れない者もいたのである。人間の母性本能は、働く場合と働かない場合とがあるが、働けば恐ろしく強い力となる。
その捜査の基になった情報を赤春が提供してきた時は感じなかったのだが、捜査が失敗に終わった後に、立石は少しばかりの疑問を感じた。
果たして赤春は、いつ頃からこの事を知っていたのだろうか? まだ他に情報を隠している可能性はないのだろうか?
確かに、赤春は立石に捜査協力をした。今だって暴力団の情報を、提供してくれている。だが、それは、彼の都合の良いタイミングで、予め失敗するよう仕組まれた上で提供されたものなのかもしれない。何かの目的の為に。もちろん、その証拠は何もない。これは飽くまで彼女の想像に過ぎない。しかし、そもそも彼は、どうやってその情報を手に入れたのだろう? もちろん、テレパシー能力を使っているだろうことは分かるが、例えその能力があったところで、情報提供者がいなければ、どうにもならない。子供の頃から、頻繁に様々な事を教えてもらっていた彼女は、それを疑う事を忘れていたが、本来ならば、第一に問い詰めるべき点だった。
それを立石が尋ねると、赤春は“自分にも分からないんだ”と、心の中の声でそう答えてきた。
赤春の話に寄ると、思念伝達能力(彼はテレパシーをそう呼んでいた)によって彼は無意識に様々な人達から情報を集めて来てしまうのだという。だから、その発生源を特定する事はできないのだと。
正体不明の能力だから、そう説明されれば納得するしかなかったが、立石にはそれが本当なのかを確かめる術がない。だから、どうしても彼女はこう疑ってしまう。
“もしかしたら、隠しているだけで、他にも赤春は、犯罪に絡む重要な情報を持っているのかもしれない”
しかし、そうは疑ってみても、立石には赤春を拒絶する感情が何故か芽生えなかった。前述した通り、それは心の中の声で語りかけてくる赤春と、普段接している彼とを、立石が同一視できていない事が、原因だったのかもしれない。
矮躯童人達の捜査を行っている立石の元には、様々な情報が入って来る。くだらない噂に思えるものから、信憑性の高そうなものまで様々だが、中には初めは重要視していなかったものが、実は重要だったというようなケースもある。
その中の一つに、こんなものがあった。
物価連動型国債を、矮躯童人が有数の金持ち達に向けて売り歩いている。
物価と連動して、価値が上下する国債を保有しておけば、例え財政が破綻し、ハイパーインフレが起こったとしても、金持ち達は資産を護る事ができる。もちろん、景気が回復しインフレが起こっても同様なのだが。
その矮躯童人は、資産を護る為に、そのタイプの国債を買わないかと金持ち達に持ちかけているらしいのだ。確かに財政破綻は懸念されているが、それでもいつそれが起こるのかを予測するのは困難だし、そもそも物価連動型の国債は、個人向けには売り出されていないはずだ。証券会社などの金融機関を介せば買えるはずだが、その矮躯童人は金融機関の社員ではないらしい。だから、どうして国とは何の関係もない矮躯童人が、国の債券である国債を、金持ちに売らなくてはいけないのかが分からない。
ところが、最近になって、個人向け物価連動型国債を認めるという話が、出始めたのだった。こうなって来ると、先の矮躯童人は、これを見越してセールスを行っていたのではないか、と想像してしまいたくなる。
「でも、仮にその噂が正しかったとして、どうしてその矮躯童人がそんな事をしているのかが分からないわ。一体、どんなメリットがあるのかしら?」
矮躯童人絡み、という事もあって、彼女はそう赤春に問いかけてみた。半分は独り言に近い感覚で。もし返答が来たら、運が良いというくらいの認識だった。すると、驚いた事に彼はそれに答えてくれたのだった。心の中の声で、こう。
“考えられるメリットは二つあるよ、立石さん。
一つは、何らかの手段で、その国債を売って集めた金を使って、その矮躯童人が金を儲けられる可能性。
もう一つは、景気を回復させ、経済を成長させるのに、その金持ち達を味方に付けるための手段。景気が回復してインフレが起これば、金持ち達の資産は減ってしまう。だから景気を回復させるのには反対するだろうけど、物価連動型国債を大量に保有させておけば、その心配はない。むしろ、協力的態度に出る可能性の方が大きくなる。資産が増えるのだからね。
土地何かでも、もちろん、景気回復による資産増効果はあるけど、確実性がない。税金対策も心配かもしれない。でも、その国債なら、社会全体の物価が上がりさえすれば確実に利益が得られるし、通貨にも変え易い“
立石はその答えに疑問の声を上げる。
「一つ目は分かるわ。でも、二つ目が分からない。景気を回復させる? そんな事ができるの?」
赤春はそれに淡々と返す。
“原理的には充分、可能だよ。
今は、高齢者達が通貨を死蔵させてしまっている状況だ。その通貨が、社会を循環するようになれば、景気は回復する。
物価連動型国債を買わせて集めた資金を、市場で回るように使えば、景気回復効果が得られるよ“
立石はその説明に顔をしかめる。そして訝しげな声を上げた。
「それは確実性のない話だわ。仮に、そんな働きかけができるとしても、上手いくとは限らないじゃない。投資と似たようなものでしょう? 失敗すれば、もちろん、損害も受けるのでしょう。その何者かは、そんな危険な手段を執ろうと思うかしら?」
赤春はそれにこう返した。
“もちろん、そんなのは一要因に過ぎない。そもそも、社会全体に影響を与えられる程の金額を、その物価連動型国債で集められるとは思えないしね”
「それじゃあ、一体、どうやって…」
『一要因』と言ったからには、他にも要因があるのだろうと、立石はそう質問をしたのだ。すると、赤春はこんな説明をし始めた。
“これを理解してもらうには、経済成長とは何か?って点から説明しないといけない。少し長くなるよ。
その昔、人間はほぼ全員が、食糧調達の仕事をしていた。言うまでもなく、そうしなければ、生きていく事ができなかったからだ。ところが、ここにある変化が起きた。農業や畜産の誕生だね。これにより、全員が食糧生産に関わらなくても生きていけるようになった。つまりは、生産性の向上。当然、人手が余る。これは、労働力が余ったのと同じ事。となれば、当然、その余った労働力を利用して、他の生産物を作れる。美術品とか、武器とか、そういったものだ。
ここまでの話は分かるかな?”
立石はそれにこう答える。
「分かるわ。なんだか、昔、社会科の授業で習ったような話だもの」
“オーケー。では、話を続けるよ。
生産性が向上すれば、人手が余る。その余った人手を利用して、別の何か新しい生産物を作る。この繰り返しで、経済社会は成長をし続けてきた。工場の誕生により大量生産が可能になり、色々な生産物が誕生し続けた事実が、この証拠になるね。電話、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、車、テレビゲーム、携帯電話、パソコン… と、生産物の種類は増え続けている。
もちろん、これらには価格があり、だからそれぞれの生産物には、通貨の支払いが発生している。その通貨は、労働者へと渡り、それがまた消費に使われる。つまりは、『通貨の循環』が、各生産物には存在しているって事だ。
言い換えるのなら、経済成長とは『通貨の循環場所』である生産物が増える事により起こるとも言えるね”
立石はそれに頷く。
「うん。それも分かるわ。経済成長の為には、新たな産業が必要だと言われているものね」
“よし。なら、この話を今の社会の状況に当て嵌めてみよう。
今は全世界的に失業者が多い。つまりは、労働力が余っているという事だ。という事は、その労働力を使って、何か新たな生産物を誕生させられれば、景気は回復をし、経済が成長をする。
これを起こす手段は実は簡単だ。国が『何かを消費しなければならない』、というルールを設定すれば良いんだ。例えば、太陽電池や風力発電、地熱発電でも良いし、介護や医療でもできる。
新たな『通貨の循環』をそれら生産物に対して創ってやれば、それで経済成長は起こるって訳だ。しかも、その新たに増える通貨の循環分に関しては、通貨の増刷が可能だから、最初の一回だけは、通貨の増刷によって、その料金を賄う事が可能だ。通貨需要が増える分、通貨供給をするのだから、極端な物価上昇は起こらないはず。もっとも、健康的な物価上昇は起こるだろうけど。
今まで、日銀がゼロ金利政策や量的緩和政策などで大量に市場に通貨をばら撒いても、物価が上昇しなかったのは、銀行などの金融機関で通貨が止まってしまい、市場には反映されなかったからだと言われている。ところが、これをやると、確実に市場に通貨が流通するから、ほぼ確実に物価が上昇するんだな。
つまりは、普通に考えれば、通貨を大量に持っている人の資産は減ってしまう。ところが、物価連動型国債を買っておけば…”
そこまでを聞くと、立石は「分かった。分かったわ」と、そう言った。
「確かに、その何者かが、そんな事をやろうとしているのであれば、そしてできるのであれば、物価連動型国債の販売はメリットがあるわ。政財界、富裕層の人間達からの協力を得られるようになるのだものね…… もちろん、その過程で、自分達も利益を得られる計画がある、と。
でも、それって、飽くまであなたの予想でしょう? その何者かが、そんな事を狙っているとは限らない」
赤春はそれを聞くと、数度、頷いた。
“その通りだね。ただの、可能性だ”
そのあっさりとした反応を受けて、立石はこう思った。
“なんで、この子はこんな知識を持っているのかしら… もしかしたら、この子は裏で何が行われているかを知っている? そして何かを企んでいる…”
しかし、その後でそれを打ち消した。
“……いや、もしそうだとしたら、私にこんな話を伝えるとは思えない。勘繰り過ぎか。飽くまで、この子は私に、参考になる知識を教えてくれたに過ぎない”
しかし、そう思っても、立石はその妙な不安を掻き消せはしなかった。気付くと、こんな事を思っている。
“――この子は、何をどこまで知っているのだろう?”




