十、物価連動型国債
パパが僕を商談に誘って来た。それ自体は、それほど珍しい事ではない。ただ、その内容は少し意外だった。どうやらパパは、仕事関係ではなく、純粋に個人の貯蓄運用を考えているらしいのだ。随分と昔に金に対する色気は失っているはずなのに。危険を冒してまで金を増やす意欲が、一体、どこから蘇って来たのだろう?
なんて思っていたら、パパはこう言った。
「私の資産を護る為の話だ。遺産にもなるのだから、お前にも関係がある。一緒に来なさい」
どうやら、金を増やす気はなくても、資産を失うのは避けたいらしい。何でもパパが尊敬している(本当かどうか分からないけど、少なくとも口ではそう言っている)黒磐氏経由で持ちかけられた話らしい。仮にインフレが起こったとしても、安全に貯蓄を護る手段があると。
僕はそんな話には、ほとんど興味がなかったのだけど、断るのもそれはそれで面倒なので、一緒に付いて行く事にした。どうせ、半日もかからない。
商談が行われたのは、都内にある高級飲食店の一室だった。中に入ると、色の白い妙に大人びた雰囲気の男の子と、下手すれば高校生くらいの年齢に思える少女がいた。男の子の方は、宗教的な雰囲気のある白いワンピースを着ていて、少女は何故か、巫女の衣装を身に纏っている。その部屋は貸切だったらしく、他に人はいない。
なんだこれは?
そう僕は思った。商談じゃなかったのか? パパを見てみると、どうやら彼にとっても意外な光景だったらしく、不思議そうな声を上げた。
「何だね?この子達は。物価連動型国債の話をしてくれるという人達は、何処にいるんだ?」
物価連動型国債というのが、資産を護る為にパパが買おうと考えている債券だ。その名の通り、物価に連動して価値が変わる国債。物価の低い時にそれを買って、高くなってから売れば、利益を得られるという代物だ。世界的に需要不足で、物価が下落傾向にある今は、人気のないタイプの債券だ。確か、機関投資家向けの商品で、個人向けには売り出されてはいないはずだ。買うには、証券会社などを通さなければならない。
パパの戸惑いの声を聞くと、男の子が声を上げた。
「ここにいますよ。ボクらが、その説明をする人間です」
薄らと微笑みを浮かべている。その言葉に、パパは大きな声を上げた。
「馬鹿を言ってもらっては困る。君達のような子供に、そんな話ができるはずがないだろう? まさか、これは黒磐氏の悪ふざけなのか? だとしたら、性質が悪い!」
両手で机を叩く。“気が弱い男だ”と、それを見て僕は思った。この程度のことに、冷静に対処できないのか?
パパが机を叩いた音に反応して、机の裏で何かが動いた。机に隠れていた所為で気付いてはいなかったが、かなり大きい。微かに獣臭がする。
パパはそのまま怒って、部屋を出ようとした。「後で、黒磐氏に苦情を言う」と言いながら。それを見て巫女の女の子が言った。
「ウー。止めて」
机の裏のいた何かはそれを聞くと、素早く動いてパパの退路を断った。大きな犬だ。まるで白いオオカミのような印象を受ける。唸り声を上げた。男の子が口を開く。
「勝手に帰ってもらっては困りますよ、お客様。それとも、“彼女”を利用したのを、息子さんにばらされたくないのですか?」
パパはその言葉に狼狽える。
「な、何の事だ?」
その様子を見ると、巫女の女の子は妖艶な表情を作り、可笑しそうに笑った。
「あら? お惚けを。あなたが私を“使った”のは、確かまだ私が中学生の頃でしたか。おじ様ったら、激しかったですわ」
それから机の上に座り、「ああん」と言う。悪ふざけだ。
「馬鹿な事を言うな! 何の事だか、さっぱり分からん!」
その言葉に反応して、男の子が言う。冷静に淡々と。子供に大人が圧倒されているように見える。シュールな光景だ。
「もう、あなたは気付いているのでしょう? ボクらは七つ子教の者ですよ。だからこそ、あなたはそうして慌てている。そして彼女は、以前、あなたに性サービスを提供したうちの一人だ。あなたは、小児愛傾向は低かったようで、発育の良い子ばかりを選んでいましたね。だから、彼女をお選びになったのかもしれないが」
「ふざけるな! 何の話だか分からんと、そう私は言っているんだ!」
パパはそれを聞くと、更に狼狽した。それを見て男の子は「ああ、」と言う。
「息子さんに聞かれたくはない話だったのかな? これは、失礼しました。因みに、彼女… ツユと言いますが、ツユにあなたの相手をした記憶があるというのは嘘です。眠らされていましたからね」
パパはこの部屋に入ってから、僕をまったく見ていなかった。不自然に。その男の子の言葉でその意味を理解した。パパは積極的に、僕を見るのを避けていたのだろう。僕の視線を怖がって。きっと、父親の尊厳がどうとか考えている。馬鹿な男だ。僕は初めから、お前になんか何の興味もないというのに。男の子は続けた。
「ただ、ま、あなたの利用記録が、うちに残っているというのは本当です。証拠もありますよ。最近は、ご無沙汰していますが、一時は、よく利用されていましたね」
パパはそれを聞くと、「うう」と呻くような声を上げ、「あれは、付き合いで行っていただけだ。私の趣味ではない。少女を抱くなど、どうかしている」と、そう応えた。どうやら、観念したようだ。
「それにしては、喜んでいらした」
と、ツユという少女が言う。また悪ふざけだろう。何となく察した、この子共達… いや、子供の姿をした者達は、優位に立つ為にこんな対応をしているんだ。
「君達は、私を脅すつもりなのか?」
と、それからパパは言った。すると、男の子はこう返す。
「ご冗談を。もし、あなたの行いを世間にばらしたりすれば、ボクらも危ない。脅しの材料にはなりません。安心してください。ここにあなたを呼んだのは、最前からお伝えしている通り、ビジネス目的ですよ。物価連動型国債のご紹介です。あなたに買ってもらおうと思っていましてね、この金融商品を。
あっと、申し遅れました。ボクは、七つ子教の御神体を務めています、白秋といいます。姿は子供ですが、れっきとした大人ですので、ご安心ください」
その言葉に僕は反応した。子供の姿をした大人。予想はしていたけど、やはり矮躯童人か。イモムシちゃん以外の矮躯童人を生で見るのは、僕は生まれて初めてだった。イモムシちゃんは既に手足をなくしていたけど、こいつにはちゃんと五体満足の肉体がある。つまり移植用人体として生きている訳じゃない。一体、どんな人生を送って来たのだろう?
その段になってパパはようやく乱れを取り繕い、こう言葉を発する。虚勢のように僕には思えた。
「分かった。話を聞こう。後ろにいるのは、私の息子だ。まだ若いが、やり手でな。つい最近も仕事でプロジェクトを成功させたばかりだ」
僕はそれを聞いて“ハッ”と内心で笑った。確かに僕はプロジェクトを成功させた。利益も出した。でも、あの条件なら、ある程度の能力さえあれば、誰でも成功できる。ならばどうして、それが僕の功績だと誇れるっていうんだろう?
虚栄心、自尊心、親バカ。そんなのは、もう飽き飽きしているんだ、僕は。
そう思ったところで、心の中に声が聞こえて来た。僕には直ぐに分かった。イモムシちゃんだ。白秋が、微かに僕を見たのが分かった。
「よろしく」
と、ただ、それだけを言う。そのタイミングでイモムシちゃんが言った。
“――お願い。白秋の提案を受け入れて”
どうして?と僕はそう思った。でも、その後は何も声は続かない。白秋が説明を始める。
「今の日本は、需要不足の状態で、それが物価下落を呼んでいます。それで、通貨価値が上がっていますね。これは貯蓄を多く持つ者にとっては有利な事だ。
ところが、そんな状況は長くは続かない。知っての通り、財政が破綻しても通貨価値は下がるし、日本の供給力が下がっても、同じ事が起こります。少子化による労働力不足や資源不足は、生産力の低下を起こすので、将来的には物価上昇はほぼ避けられないと見て間違いはないでしょう。また、景気が回復したとしても、やはり同じ様に通貨価値が下がりますね。
つまり、今という時代は“通貨”という形で資産を持つ事にはリスクがある訳です。しかし、では、他の債券や物が安心なのかと言えば、それも疑わしい。土地だって価値が下がる危険がありますしね。つまり、安心できる運用先など、現在は存在していないというのが、正解でしょう」
その白秋の説明に、パパは馬鹿にしたような声を上げる。必死に威厳を回復しようとしているのかもしれない。
「そんな話は分かっている。だからこそ、私は貯蓄を使わないでいるのだ。素人に話している訳でもなし、さっさとその物価連動型国債の説明をしてくれ」
「これは、失礼を。では、説明を始めさせていただきます。まず、この国債には通常、考えられる利子は付きません」
パパはそれに軽く頷く。
「ただし、その代わり、物価が上昇すればそれに合わせて、価値が上がる。通貨と交換すれば、その時の物価水準に応じて、通貨が支払われるのですね。
つまり、財政破綻が起ころうが、国力が低下しようが、景気が回復しようが、通貨価値の下落に伴って利益を得られる。今後、まだ物価の下落、つまり通貨価値の上昇が起こり続けるのだと予想しているのであれば話は別ですが、そうでないのなら、とても安心のできる一品です」
説明を聞き終えると、パパはこう言う。
「なるほど。話は分かった。仮に、財政が破綻したとしても、インフレが起こるだけで国が潰れる訳ではない。国が存続し続ける限り、その支払い能力は維持される、と。通常の国債では、財政破綻で通貨価値が下落すれば、実質、資産が減るが、その物価連動型国債ならば問題はない。利子は付かないが、インフレ対策になるのが魅力の商品な訳か。だが、今現在は、そんな債券は個人向けには売り出されていないな。これから誕生するのか?
だとすれば、それは、君らが裏で糸を引いているのか。当然、黒磐氏の権力を利用しているのだろうな」
白秋はそれにこう答える。
「それについては、どうとも言えませんが、確かにボクらがプロデュースしていますよ。ま、もちろん、ボクらが利益を得る手段もある訳ですが。
ただ、その点はあなたにはあまり関係がありません。あなたにとって重要なのは、資産が護れるという一点だけのはずだ」
それに対し、パパは感想を述べるようにこう言った。
「性悪だな、君は。普通、インフレが起これば貧困層は借金が減って助かり、富裕層は損をするのが定番だが、その国債では財政破綻でインフレになっても、富裕層はほとんど損をしないでいられる。しかも、それは税金から充てられるのだから、国民を犠牲にしているとも言える」
白秋はこう返した。
「その通りですね。まぁ、財政が破綻するとは限りませんが」
そして、ニヤリと笑う。それを受けると、パパはこう言った。
「よし、分かった。この話は断る」
それに、白秋は目を大きく開け、ツユは思わず席を立ち上がった。こう言う。
「どうしてよ?」
するとパパは淡々とこう返した。
「私を馬鹿にしてもらっては困る。国民を犠牲にしてまで金が欲しいとは思っとらん。もちろん、資産は確保するが、財政破綻という危機的状況の時に、税金でそれを賄ってもらおうなどとは考えない。不動産で充分だ」
白秋が淡々とこう言った。
「ボクには、財政を破綻させるつもりなどありませんよ?」
「信用できんな。と言うよりも、君にそれをどうこうできる力などないだろう」
「説明を」
「知らん」
それを見て、僕は“――おやおや”と、そう思った。児童買春までした大人が、何を格好つけているのだか。
恐らく、この二人は今までの客の中から商売相手として有望そうな人間を選んで、交渉をしているのだろう。いや、そもそも、この交渉の為に、児童買春なんてものをやっているのかもしれない。“脅し”の材料にはならなくても、守るものが多い人間に対しては優位な立ち位置に付ける材料だから。が、今回は相手が悪かった。この男は、金持ちとは言っても何かズレてるんだ。大人物ではないが、保身だけに走るタイプじゃない。いや、保身の意味をはき違えているのか。
このまま放っておいて、この話を終わりにしても良かったけど、イモムシちゃんの言葉がある。彼女の頼みは、受け入れたい。それで、僕は彼らに助け船を出すことにした。
「まぁまぁ、お父さん。話だけでも、聞いてみましょうよ」
その言葉にパパは止まった。パパは僕には弱いんだ。気持ち悪いけど。白秋は意外に思ったのか、不思議そうな顔をしていたけど、次の瞬間には説明を始めていた。チャンスは、逃すなって感じで。
「――ボクが今から言う方法で、財政破綻は回避できるはずなんです…」
そして。
それからパパは、彼の話すその内容に納得をし、物価連動型国債を買う事を約束したのだった。




