第30話:損益分岐点(ブレークイーブン)の再計算! 隠れるより、内側から変える方が効率的です
「――損益分岐点、完全に破綻」
深夜、学園の地下深く、厳重に隠匿された私だけのセーフハウス。
無骨な作業机の上で、私は手元の魔導端末が弾き出した冷酷なシミュレーション結果を見つめ、小さくため息を吐き出した。
体育祭の『ブルマ絶対拒否プロトコル』を物理衝撃波と各種妨害工作で無事に切り抜け、平穏を取り戻したのも束の間。私はここ数日、学園長室の裏金データ、学園を裏で操る巨大グローバル企業『YARENDEZ』の不審な送金ログ、そして学園地下の暗部回線を徹底的にスクリーニング解析していたのだ。
結果は最悪だった。
このポンコツ魔法学園の上層部は、国の中枢を仕切る暗部組織と水面下で完全に一体化していた。
これまでは「学園では目立たないFランクモブとして息を潜め、裏社会で運び屋として稼ぎ逃げ切る」という方針を取っていたが、敵の総本山が学園内部にある以上、外でどれだけ足取りを消しても監視と防衛の摩擦コストが跳ね上がり続ける。
(……逃げ隠れし続けるコストが、年間で純損失三千万ヴァルカ。あまりにも非効率。リソースの無駄遣いです)
私は愛用の『極細超硬チタンピンセット』を机上にカチリと置き、冷徹に脳内CPUを回す。
(外でコソコソ隠れるより、学園内部の腐った構造を内側からハックして解体・掌握し、私にとって都合のいい『絶対安全圏』に作り変える方が、トータルコストが圧倒的に安い。……よし、方針転換です。これからは学園内部を直接変革します)
もちろん、この計画を誰かに明かすつもりはない。
特に――あの眩しすぎるお方には。
(ルミナリアを巻き込むわけにはいきません。あの方の前では、今まで通り『ちょっとドジで無力な地味モブ令嬢』のまま、平穏で快適なお茶会の時間を死守しなければ)
学園の闇を内側から塗り替える。
その決意を胸の奥深くに秘め、私は端末の電源を落とした。
◇
翌朝。魔導実習棟の第3演習室。
「おい、聞いているのかFランク! 今日の魔導触媒の残滓処理、お前一人でやっておけと言ったんだよ!」
演習室に響き渡る下品な怒鳴り声。
叫んでいるのは、学園長派閥の有力貴族を実家に持つ特権階級のAランク令息――ギルバートだ。胸元には、YARENDEZ傘下の高級ポンコツ魔道具ブランド『VALKANOR』の最新型バッジがギラギラと輝いている。
「……あ、あの、ギルバート様……。本日の廃棄物処理は、当番であるAランク班の担当だと伺っておりますが……」
私は背中を丸め、ボソボソとした消え入りそうな声で答える。
シックなグレーのコスパ新制服の裾をぎゅっと握りしめ、おどおどと視線を泳がせる。完璧なFランクモブ令嬢の演技だ。
「口答えするな底辺が! 我が一族は学園の運営資金を拠出しているのだぞ? 魔力最低値のお前のような出来損ないは、黙って泥水でも啜りながら我々の後片付けをするのが『学園の秩序』だ!」
周囲の取り巻きたちが嘲笑の声をあげる。
典型的な、学園の病巣たる傲慢貴族のムーブだ。
以前の私なら「波風を立てないため」に渋々引き受け、裏で即座に処理して逃げていただろう。
だが、今の私は違う。
こいつらの背後にある『暗部の裏金ルート』を断つための、第一歩として利用させてもらう。
「……わ、分かりました……。そちらのVALKANOR製・高圧圧縮廃棄タンク、お預かりします……」
「ふん! 最初からそう言えばいいんだ。絶対に壊すなよ、貧乏人が一生かかっても弁償できん代物だからな!」
ギルバートは鼻を鳴らし、取り巻きを連れて談話室へと消えていった。
誰もいなくなった演習室。
私の背筋が、すっと真っ直ぐに伸びる。
おどおどした表情は消え去り、瞳の奥に冷徹な光が宿った。
「作業目標時間、三分三十秒」
腰の自作マルチポーチから、超硬チタンピンセットを音もなく抜き取る。
このVALKANOR製の廃棄タンク、表向きは最新鋭の魔導圧縮機だが、その内部バイパス回路は『学園地下の暗部施設』へ高純度魔力残滓を不正横領するための密輸パイプに直結している。私が以前、裏社会のリストで確認した型番と完全に一致していた。
「安全リミッターを偽装解除し、横領経路の逆流防止弁を……ピンセットでコンマ二ミリ右へオフセット」
カチッ。微細な金属音が響く。
「暗部への送金ログが記録されたメモリクリスタルを、物理衝撃波の微小パルスでダミー素子へクローンコピー。残った本体側は……次の加圧タイミングで『ギルバート君の認証コード』をトリガーにして、全データを学園監査室へ自動送信するように配線変更、と」
流れるような手技。一切の無駄がない指先の動き。
作業完了までの所要時間――二分四十五秒。
「これで次の実習中、彼らが起動ボタンを押した瞬間にタンクは安全に不発となり、横領の証拠だけが監査室へ一斉送信されます。自滅ルートの完成ですね」
これでギルバート一族の裏利権は吹き飛び、Fランクへの不当な押し付けも激減する。
目立たず、騒がず、内側から確実に制度の癌を切り落とす。これぞ最高効率の学園改革だ。
「よし。余った時間は、ルミナリア様との約束に充てましょう」
私はピンセットをホルスターに収め、ポケットに手を伸ばした。
中には、今朝の購買で手に入れたばかりの『ソルティ・ルミナス(秋季限定・焼き塩マロンフレーバー)』のパックが入っている。これを手土産に、中庭の木陰でルミナリアと合流する予定なのだ。
「任務完了、現場離脱――きゃっ!?」
ツルゥッ!
何もない、完璧に平坦なリノリウムの床。
ワックスの効きすぎたその一点に、なぜか私の右足のローファーが綺麗に滑り込んだ。
「ど、わわわっ!?」
ドッシャァァァン!!
重度のドジっ子属性が炸裂し、私は見事な放物線を描いて背中から盛大にひっくり返った。
その凄まじい衝撃でポケットが弾け飛び、中にあった焼き塩マロン味のソルティ・ルミナスと、先ほど複製したばかりの暗号クリスタルが、床をけたたましい音を立てて転がっていく。
「い、痛たたた……っ! な、なんで……何もない平地で……っ!」
腰をさすりながら涙目で四つん這いになり、散らばった荷物を慌てて拾い集めようとした――その時。
カツン、カツン、と優雅なヒールの足音が響き、演習室の扉が開いた。
「あら……? 大きな音がしたから見に来てみれば……大丈夫、ホナちゃん?」
逆光を背負って立っていたのは、麗しのルミナリアだった。
圧倒的なモデル体型に、艶やかな黒髪。学園中の羨望を集める完璧な令嬢が、目を丸くして立ち尽くしている。
「ル、ルミナリア様……っ!?」
心臓が跳ね上がった。
よりによって、一番見られてはいけない相手に見られた。
しかも床には、機密データが入った怪しげなクリスタルが転がっている。
(ま、不味い……っ! 見られたら『地味なFランクモブ』の設定が崩壊する……っ!)
私は血の気を引きながら、必死の形相で腕を伸ばし、クリスタルを自分の腹の下へ滑り込ませて隠した。
「な、なんでもありません! ただちょっと、床の摩擦係数の測定……じゃなくて、転んじゃっただけでして……!」
「ふふっ、相変わらず慌てん坊さんね。怪我はない?」
ルミナリアは疑う素振りも見せず、ふわりと柔らかく微笑むと、床に歩み寄ってきた。
そして、自分の足元に転がってきた焼き塩マロン味のソルティ・ルミナスを優雅に拾い上げ、愛おしそうに目を細めた。
「まあ、限定フレーバー。……もしかしてこれ、私に渡そうとして急いで走ってきてくれたの?」
「えっ……あ、は、はい! そ、そうです! ルミナリア様に早くお届けしようと……!」
とっさに話を合わせる私。
ルミナリアは嬉しそうに胸に手を当て、私を抱き起こすように優しく手を差し伸べてくれた。
「ありがとう、ホナちゃん。すっごく嬉しいわ。ほら、手を出して。お洋服に埃がついちゃっているわよ」
「あ、ありがとうございます、ルミナリア様……」
差し伸べられた手を取りながら、私は背中に冷や汗を流していた。
腹の下に隠したクリスタルを、なんとかバレないようにポーチへ滑り込ませる。
(あ、危なかった……! 間一髪セーフです……!)
安堵の息を漏らす私。
だが、私に背を向け、ソルティ・ルミナスを嬉しそうに眺めるルミナリアの紫紺の瞳が――ほんの一瞬だけ、鋭く細められたことに、私はまだ気づいていなかった。
(……ホナちゃんのお腹の下。あの一瞬で隠した青い結晶……あれ、軍用通信の暗号素子よね? どうしてホナちゃんがそんなものを……?)
ルミナリアは何も言わず、ただ愛らしい笑顔を浮かべたまま、私の手を取って歩き出す。
「さあ、行きましょうホナちゃん。中庭の特等席でお茶にしましょうね」
「は、はい……!」
隠蔽工作は成功したはず――なのに、なぜか背筋を走る奇妙な悪寒。
学園を内側から変える私の隠密ミッションは、初日から波乱の予感を孕んで幕を開けたのだった。
(第31話に続く)




