第2話:タイムマネジメントの完全掌握
「——ターゲット到達予定時刻まで、あと三十秒。タイムラグ、誤差プラスマイナスゼロ」
夜霧を切り裂く銀色の影——神造魔獣のコクピットで、ホナは冷徹にコンソールを見つめていた。
眼下の街道では、完全武装した過激派集団『暁の旅団』の魔導師たちが、十重二十重に警戒網を敷いている。宮廷魔導師すら退けたという、物理・魔導を併用した絶対の包囲網。
だが、ホナにとっては単なる「計算の不備」が放置されたザル同然の壁だった。
「防衛システムのリブート開始まで、あと十秒。風速、東から南へシフト。地脈のエネルギー流が反転する——いま」
ホナが指先を叩いた瞬間、地脈のレイヤーに生じたバグ(一時的な魔力空白)を突き、銀色の魔獣が音もなく跳躍した。
警戒魔導具が一切反応しないまま、街道の検問の真上、高度百メートルの「盲点」を放物線を描いて通り抜ける。
一瞬の風。ただそれだけで、ホナは不可能とされた包囲網を完全無傷で踏み越えた。
「検知器に異常なし! 風の音だ、気にするな!」
はるか眼下で慌てる武装集団の声が、風の音に紛れて小さく消えていく。
「運送目標、指定座標にデプロイ完了。……プロの仕事を『最後は運』という言い訳で片付けるほど、私は怠惰じゃないわ」
目的地に魔石コアを無音で投下し、瞬時に受領サインの生体データを確認する。
完璧な時間管理がもたらした、100%の安全着地。
ホナは即座に機体を反転させ、夜明け前の薄闇の中、再び「いつもの退屈な学園」へと帰還するのだった。
◆
翌朝。王立魔法学園の校門をくぐるホナの姿は、昨夜の伝説の運び屋「アッシュ」の面影など微塵もない、前髪を重く垂らした「地味なFランク令嬢」そのものだった。
「……あ、おはよう。ホナちゃん」
おずおずと声をかけてきたのは、隣のクラスのリーネだった。
お仕着せの制服が少し不格好に見えるほど華奢な体躯、そしていつも抱えている、誰も見向きもしない薬草の図鑑。
「おはよう、リーネ。今日もずいぶんと早い登校ね」
「うん。今日の迷宮実習の準備を少しでもしておきたくて……。あ、でも、どうせ私みたいな落ちこぼれ、役に立たないって言われちゃうよね」
自信なさげに肩をすくめるリーネ。
学園の評価システムは、単純な魔力量だけで「価値」を決める。だからこそ、優れた植物知識や分析力を持つリーネのような存在は「無能なノイズ」として処理されていた。
ホナは、重い前髪の奥で、優しく目を細めた。
「そんなことはないわ。物事の真の価値は、物差しを当てる側の『知性』で決まるのだから」
「え……?」
「なんでもない。実習、遅れないように行きましょう」
◆
学園が管理する『霧の地下迷宮』。
今回の実習は、複数クラス合同による迷宮深部への到達タイムを競うものだった。
「いいか、落ちこぼれ共。俺たちの足を引っ張るなよ。特にFランクのアユミリスと、そこの薬草オタク。お前らはそこに突っ立って、俺たちの快挙でも眺めてろ」
クラスの主導権を握るエリート貴族——魔力測定値『九十五』のAランク令息、ジークが傲慢に言い放った。
他の貴族生徒たちも、ジークに追従してクスクスと笑い声を上げる。
「見てくれよ。この最新の精霊ルート案内アプリ。これを使えば、最短ルートで迷宮を突破できる。最先端の魔導技術を使いこなしてこそのエリートだからな」
ジークが自慢げに見せてきた魔導端末には、キラキラと輝く「推奨ルート」が表示されていた。
周囲の生徒たちは「おお!」と感嘆の声を漏らし、そのアプリを盲信して次々と迷宮の中へと歩き始める。
だが、ホナは端末の画面を一瞥しただけで、そのお粗末なシステムに内心で呆れていた。
(アプリの更新履歴:最終更新三ヶ月前。迷宮の『流動的魔力変化』が考慮されていない。この先にある『魔植物の繁殖期』と地脈の歪みを完全に無視しているわね。……あれは、推奨ルートではなく『遭難ルート』よ)
ホナは、震えているリーネの袖をやさしく引いた。
「リーネ、私についてきて。私たちの歩行ペースは、今から『時速三・六キロ』に固定します」
「え? でも、あいつらは走って行っちゃったよ? 置いてかれちゃう……」
「焦らなくていいわ。——出発を三分前倒しにして、ルートをこちらへ迂回。これで全て噛み合う」
ホナは脳内で、迷宮の「生きたデータ」をデプロイし、頭の中に完璧な退路を展開した。
◆
数十分後。迷宮の中層に、エリートたちの悲鳴が木霊した。
「な、なんだこれは!? アプリのルート通りに進んだはずなのに、なんで魔植物の触手が……!?」
「いやああ! 魔法が吸収されて使えない! どうして!」
ジークたちの目の前に広がっていたのは、アプリには表示されていなかった、繁殖期を迎えて異常活性化した巨大な魔導植物の群れだった。
アプリを盲信して走り込んだエリートたちは、足元をツタに絡め取られ、魔力を吸われて次々と泥の中に這いつくばっていく。
「助け……誰か、助け……!」
もがき苦しむジークたちの傍らを。
まったく泥に汚れていない、新品同様の靴を履いたホナとリーネが、規則正しいテンポで通り抜けた。
「あっ、おい! アユミリス! お前、なんでそこにいる! 助けろ!」
「足を踏み出す位置は、そこから右へ三十センチよ、リーネ。そこに魔植物の感覚神経があるから」
「う、うん!」
ジークたちの叫びを、ホナはまるで石ころの音であるかのように聞き流した。
魔植物の感覚器官の死角、休眠周期、そして胞子が舞う風向きのタイミング。すべてを「完璧なスケジュール」として前倒しで回避しているため、ホナたちの前では、凶暴な植物すらただの背景に過ぎない。
「ア、アユミリス……っ! 待て! 俺を置いていくな……!」
泥まみれになりながら手を伸ばすジーク。
その必死の形相を、ホナは冷徹な一瞥だけで切り捨てた。
「事前準備を怠り、過去のデータにすがり、想定外の事態に思考を放棄してパニックを起こす。——あなたたちを安全に救出するコストは、私のリソースに対して『完全な赤字』です。どうぞ、そこでご自身の『Aランクの魔力量』とやらで奇跡を起こしてください」
淡々と告げられた言葉。そこには、怒りすらなく、ただ純粋な「非効率の排除」としての合理主義だけがあった。
「リーネ、あと一分で魔植物の活性期が最大になるわ。歩行速度を『時速四・五キロ』へシフト」
「わ、わかった!」
混乱を極める迷宮の奥地。
悲鳴と絶望が渦巻くエリートたちを置き去りにして、完璧な時間管理と合理性によって導かれた二人の少女は、何一つ傷を負うことなく、悠然と最深部のゴールへと歩みを進めるのだった。(第3話に続く)




