第1話:魔力値たったの『三』ですが、夜の王都を支配しています
「ホナ・アユミリス! 魔力測定値、わずか『三』! 魔法適性属性——なし! 判定、最底辺の『Fランク』!」
王立魔法学園の円形講堂。大理石の床に刻まれた巨大な魔法陣の中央で、測定官が吐き捨てるように告げた。
その瞬間、周囲の雛壇を埋め尽くすエリート貴族の子弟たちから、一斉に容赦のない嘲笑が湧き上がった。
「おいおい、魔力『三』だってよ。一般の平民でももうちょっとあるぞ」
「アユミリス伯爵家の恥晒しめ。よくもまあ、あんな地味な顔をして澄まし顔でいられるものだ」
「完全に『記号』だけの無能だな。関わるだけ時間の無駄だ」
向けられる視線は、蔑み、軽蔑、そして「自分たちより下の存在」を見つけたことに対するサディスティックな歓喜。
学園を支配する一元的な評価システム——『魔力量』と『貴族の家柄』という単純極まりない、バグだらけの物差しによって、彼らは他者の価値を測っていた。
だが、罵声の渦中に立つ少女、ホナ・アユミリスの心は凪のように静かだった。
俯き加減にし、いかにも「傷ついた哀れな無能」を完璧に演じながら、彼女の脳内では極めて冷徹な演算処理が高速で走っていた。
【周囲の視線・敵対感情度の解析:正常】
【ヘイト管理ステータス:ターゲットから除外。摩擦コスト『ゼロ』を確認】
【結論:完璧な『無害なパーツ(地味なFランク)』としてのペルソナ構築を完了】
(……完璧ね)
ホナは前髪の隙間から、嘲笑うエリートたちを観察していた。
彼らが自分を「価値のないFランク」と決めつけてくれたおかげで、ホナはこの学園において、最も安全なポジションを獲得したのだ。
この国で「有能」と判定されれば最後、面倒な貴族同士の婚約、嫉妬による引きずり落とし、不毛な派閥争いという『社会的摩擦』にリソースを無限に奪われることになる。
そんな非合理なゲームに参加するのは時間の無駄だ。
1次元的なバグだらけの評価に喜んで踊らされている彼らは、ホナからすれば、ただの非効率な存在に過ぎなかった。
そんな喧騒の中、一人だけ、ホナを心配そうに見つめている少女がいた。
隣のクラスのリーネだ。
彼女は不遇な薬草オタク令嬢として同じく周囲から疎まれていたが、その瞳には他人を嘲笑う浅ましさはなく、ただ純粋な憂いがあった。
(リーネ……あなただけね。この狂ったシステムの中で、まだ『正常なノイズ』を保っているのは)
ホナは小さく息を吐き、誰にも気づかれないほどの速度で、スマートにその場を後にした。
◆
陽が落ち、学園が静まり返る頃、ホナ・アユミリスの「本当の一日」が始まる。
彼女は地味な制服を脱ぎ捨て、一切の光を反射しない漆黒のライダースーツに身を包んだ。
髪をアップにまとめ、顔の半分を覆う魔導防護マスクを装着する。
その姿は、昼間の気弱なFランク令嬢とは完全にかけ離れた、冷徹なプロフェッショナルのそれだった。
ホナが向かったのは、王都の最暗部に存在する裏社会のギルド『アルカノム』。
そこは身分も、学園の成績も、国家の法律すらも一切が通用しない、実力と信用だけが通貨となる絶対零度の領域。
ギルドの頑強な魔導障壁の前に立ったホナは、グローブを外した細い指先を認証プレートに滑らせた。
【生体魔導暗号照合開始……】
【遺伝子パターン:一致。魔力波形:極超短波・非検知型マルチスペクトル】
【マスターキー:認証完了。システムアクセスを許可します】
【ウェルカム、スタンドアローン・キャリア:――『アッシュ』】
「アッシュ」——それこそが、裏社会で「絶対に失敗しない伝説の運び屋」として恐れられ、崇められるホナの真の名前だった。
ギルドの最深部、重厚な鋼鉄のデスクに座る支配人の男が、ホナの姿を見て、深く刻まれた眉間のシワを少しだけ和らげた。
「来たか、アッシュ。お前にしか頼めない、超高難度の『国際特殊輸送』の依頼がある。依頼主は隣国の特使。運ぶのは……厳重に封印された『古代帝国の生体魔石コア』。国家間の軍事バランスを容易にひっくり返す危険物だ」
「ルートは?」
ホナの、高低の抑えられた理知的な声が響く。
「王都を抜ける唯一の街道だが、今夜は『暁の旅団』を名乗る過激派の武装集団が検問を敷き、完全に封鎖している。高位の宮廷魔導師たちが警護を試みたが、ことごとく返り討ちだ。物理的にも魔導的にも、包囲網を突破するのは不可能とされている」
支配人の言葉を聞きながら、ホナはマスクの裏側で薄く笑みを浮かべた。
「『不可能』というのは、既存の予測フレームに縛られた凡庸な脳細胞が導き出す言い訳に過ぎないわ」
彼女は手元のコンソールに指を滑らせ、瞬時に王都の立体MAPをホログラムで展開した。
そこには、武装集団の配置、警戒魔術の網、さらには今夜の気象データ、風速、地脈の乱れまでがリアルタイムで投影される。
「検問のシフト交代に生じるリブート時間は四十五秒。風速が東から南に変わるのが二十三時十四分。そのタイミングで、地脈の第4レイヤーに一時的な『バグ』が生じる。私の計算に狂いはない。——依頼を受けます」
「報酬は……相場通りの金貨五百枚だ。無事に届ければ、お前が作っている『あの場所』の維持費には十分だろう」
「交渉成立。……では、デプロイを開始するわ」
ホナにとって、稼いだ大金は贅沢のためではない。
誰にも干渉されず、世界のいかなる崩壊からも自身と『価値あるもの』を守り抜くための、絶対的シェルター(完全自給自足型要塞)を構築するための兵糧なのだ。
◆
夜霧が立ち込める王都の裏路地。ホナが指を鳴らすと、空間の歪みから、静かにその巨躯が現れた。
銀色の金属質な外殻に覆われ、機械と生物が融合したかのような美しくも恐ろしいフォルムを持つ古代の超兵器——神造魔獣。
「グルル……」
魔獣はホナの足元に跪き、忠実な猟犬のように喉を鳴らした。ホナはその頭部を優しく撫でる。
この魔獣のシステムをハッキングし、自らの手足として完璧にカスタマイズしたのは、世界でホナただ一人だった。
「いい子ね。今日も、完璧な時間管理を始めましょう」
ホナは魔獣のコクピットへと滑り込み、ハッチを閉じた。
眼前に広がる無数の光学的インターフェースが、彼女の瞳の虹彩を感知して鮮やかに立ち上がる。
【神造魔獣:起動】
【陸戦形態:スタンバイ】
【現在時刻 22:58:12。目標地点到着予定:23:15:00。タイム誤差許容範囲:±0秒】
「無能な学園の連中には、一生かかっても見られない景色を見せてあげる」
加速重力がホナの身体をシートに押し付ける。
銀色の魔獣は、音もなく夜霧を切り裂き、絶対の闇へと跳躍した。
無能なエリートたちが夢路を彷徨うその裏で、最強の運び屋が、今夜も完璧な無双を開始する。
物語の歯車が、狂いなく回り始めた。(第2話に続く)




